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第二話:頼れるお姉さん、演じます

図書館での、少しだけドラマチックな出会い。日野航くん――「ラブコメを書きたい」という、真っ直ぐで、でも不器用な夢を持つ年下の男の子。彼の真剣な眼差しと、書けない苦悩に触れて、私はすっかり彼の夢を応援したい気持ちになっていた。


「俺、書いてみます。俺だけの、ラブコメを」

そう言って、吹っ切れたような笑顔を見せた航くん。その表情は、さっきまで机に突っ伏していた彼とは別人のように、輝いて見えた。少しだけ、年相応の少年らしい、危うさと隣り合わせの純粋さが眩しい。


「うん! 応援してるよ! もし、また何かあったら、いつでも声をかけてね。私でよければ、相談に乗るから」

私は、できるだけ優しく、そして頼りがいのある「お姉さん」を意識して、そう声をかけた。実際、彼の悩みは他人事とは思えなかったし、少しでも力になれるなら、嬉しいと思ったのだ。それに、彼の書くラブコメがどんなものになるのか、単純に興味もあった。


「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」

航くんは、ぱあっと顔を輝かせた。その反応が、なんだか大型犬の子犬のようで、またしても微笑ましく思ってしまう。

「でも……弥生さんにご迷惑じゃ……」

すぐに、彼は不安そうな顔になる。こういう、妙に遠慮がちなところも、彼らしいのかもしれない。

「全然、迷惑なんかじゃないよ。むしろ、私も楽しいから。それに、私も文学部で、少しだけだけど創作論とかもかじってるしね。役に立てるかは分からないけど」

「本当ですか!? すごい……! ますます、心強いです!」

彼は、本当に嬉しそうに目を輝かせた。その純粋な尊敬の眼差しに、少しだけくすぐったいような、そして、ちょっとだけ背筋が伸びるような気持ちになる。


(しっかりしないと。この子の期待を裏切るわけにはいかないわね)


自然と、そんな責任感のようなものが芽生えていた。


「じゃあ……もしよかったら、連絡先、交換しませんか? いつでも相談できるように……って、ダメ、ですかね……?」

航くんが、おずおずと、しかし期待のこもった瞳で尋ねてきた。スマホを握りしめる指先に、力が入っているのが見て取れる。

「もちろん、いいよ」

私は、にっこりと微笑んで頷いた。彼が、勇気を出して一歩を踏み出そうとしているのだ。私が、それを拒む理由はない。


私たちは、互いのスマホを取り出し、メッセージアプリの連絡先を交換した。画面に表示された「日野航」という名前と、デフォルトの味気ないアイコン。これが、これから始まる、少しだけ特別な関係の、最初の証。なんだか、不思議な気分だった。


「ありがとうございます! これで、いつでも弥生さんに泣きつけます!」

航くんは、安心したように、満面の笑みで言った。泣きつく、って……。言い方はともかく、それだけ私を頼ってくれているということだろう。

「ふふ、いつでもどうぞ。ただし、本当に泣かれても困るけどね?」

冗談めかして言うと、彼は「だ、大丈夫です! 泣きません!」と慌てて否定していた。本当に、素直で面白い子だ。


その日は、連絡先を交換した後、少しだけお互いの好きな作家や作品について話をして、閉館時間になったので別れた。

「今日は、本当にありがとうございました!」と、何度も頭を下げて去っていく彼の後ろ姿を見送りながら、私は、なんだか久しぶりに、心が温かくなるような感覚を覚えていた。

退屈だと感じていた日常に、ほんの少しだけ、新しい風が吹き込んできたような。そんな予感があった。



それから数日後。

私のスマホに、航くんから初めてのメッセージが届いた。


『弥生さん、こんばんは。航です。先日はありがとうございました。あの……早速で恐縮なのですが、小説のことで、少し相談に乗っていただきたいことがありまして……。今、お時間大丈夫でしょうか?』


丁寧で、少しだけ硬い文面。彼の人柄が表れているようだ。

「可愛い弟分」からの初めての頼み事だ。断る理由はない。


『こんばんは、航くん! もちろん大丈夫だよ。どうしたの?』

そう返信すると、すぐに既読がつき、返事が来た。


『ありがとうございます! あの、実は、弥生さんにアドバイスいただいた通り、まずはプロットを見直して、冒頭部分を少しだけ書いてみたんです。それで……もし、もしご迷惑でなければ、それを読んでいただいて、感想とか、アドバイスとか、いただけたら嬉しいな、と……。もちろん、お忙しいようでしたら、全然、気にしないでください!』


……読んでほしい、と。

彼が、勇気を出して書き始めた、初めてのラブコメ。それを、一番に私に読んでほしいと言ってくれているのだ。

それは、なんだか、すごく光栄なことのように思えた。そして、彼の信頼に応えたい、という気持ちが、強く込み上げてきた。


『もちろん、読ませてもらうよ! 送って送って! 楽しみだな(^-^)』

私は、期待感を込めて返信した。


すぐに、航くんからテキストファイルが添付されたメッセージが届いた。

『ありがとうございます! でも、本当に拙いものなので……お手柔らかにお願いします……!』

という、弱気な一文が添えられていた。可愛い。


私は、早速そのファイルを開き、彼の書いた文章を読み始めた。

タイトルは……まだ決まっていないようだ。

冒頭は、主人公である「俺」(名前は、航くんと同じ「航」だった。安直だけど、彼らしいかも)が、ラブコメを書こうとしているけれど、恋愛経験がないために苦悩している、というモノローグから始まっていた。


(……ふふ。この部分、完全に実体験じゃない)


思わず、笑みがこぼれる。彼の悩みや葛藤が、正直な言葉で綴られていて、なんだか共感してしまう。文章は、まだ少し硬いけれど、丁寧で、読みやすい。彼の真面目な性格が表れているようだ。


そして、物語は、主人公とヒロインの出会いのシーンへと移る。

舞台は、雨の日のバス停。傘を忘れて雨宿りする主人公の前に、綺麗な年上の女性が現れ、傘に入れてくれる……という展開。


(……王道だなぁ)


ラブコメの教科書に載っていそうな、あまりにも定番のシチュエーション。でも、彼は「テンプレートでもいいから、まずは形にする」と決意したのだろう。その、不器用ながらも前に進もうとする姿勢が、健気で、応援したくなる。


ヒロインの名前は……「弥生」!?

……え? 私と同じ名前?

これは、偶然……? それとも……?


一瞬、ドキリとした。でも、すぐに「いやいや、まさかね」と思い直す。たまたま、同じ名前だっただけだろう。彼は、私の名前を、そこまで意識しているはずがない。……多分。


(でも……もし、少しでも、私をイメージしてくれてたら……ちょっと、嬉しい、かも……?)


そんな、淡い期待を抱いてしまう自分に、少しだけ驚く。

私は、彼の「頼れるお姉さん」であり、「アドバイス役」のはずだ。それ以上の感情を、抱くべきではない。そう、自分に言い聞かせる。


読み進めていくと、主人公の航が、ヒロインの弥生(仮)に対して、戸惑いながらも、少しずつ惹かれていく様子が描かれていた。

傘の中での、ぎこちない会話。不意に近づく距離。彼女の優しい笑顔や、ふとした仕草に、心をときめかせる主人公。


(……うんうん。ちゃんと、キュンとするポイントは押さえてるじゃない)


だが、やはり、全体的に描写が硬く、説明的すぎるきらいがあった。特に、ヒロインの弥生(仮)の人物像が、まだぼんやりとしている。ただ「綺麗で優しいお姉さん」という記号的な存在になってしまっていて、人間味があまり感じられないのだ。セリフも、どこかで聞いたような、ありきたりなものが多い。


(……なるほど。ここが、彼の今の課題なのね)


読み終えた私は、ふむ、と頷いた。

彼の悩みは、的確だった。恋愛経験の不足が、キャラクターの感情描写や、リアルな会話の構築を難しくしているのだろう。


でも、絶望する必要は全くない。

素材は、悪くないのだ。文章は丁寧だし、物語の骨格もしっかりしている。何より、「書きたい」という熱意が伝わってくる。

あとは、いかにして、キャラクターに命を吹き込み、物語にリアリティを持たせるか、だ。


私は、スマホのメモ帳を開き、具体的なアドバイスをいくつか書き留めた。

感情描写をもっと具体的にすること。五感を意識した描写を入れること。キャラクターの個性が出るようなセリフ回しを考えること。そして、ヒロイン像をもっと深掘りすること……。


(ヒロイン像……弥生(仮)ね……)


ここが、一番のポイントかもしれない。

彼が、このヒロインを、もっと魅力的で、共感できる存在として描けるようになれば、物語は格段に良くなるはずだ。


(……でも、どうアドバイスすればいいかな……)


「もっと、人間味を出して」と言っても、抽象的すぎて伝わらないだろう。

具体的な例を挙げるべきか?

例えば、「ただ優しいだけじゃなくて、ちょっと意地悪な一面もあるとか」「完璧に見えて、実はドジなところがあるとか」……。


(……あ、そうだ。私の、あの弱点を話してみる……?)


方向音痴とか、怖がりとか。

そういう、私の「ダメな部分」を、彼にこっそり教えてあげて、それをヒロインの設定に加えてみたらどうだろうか?

そうすれば、ヒロインに「ギャップ」が生まれて、もっと魅力的になるかもしれない。


(……でも、そんなことしていいのかな……? まるで、自分をモデルにしてくれって言ってるみたいじゃない……?)


少しだけ、迷った。自分の弱点を、彼に知られるのも、少し恥ずかしい。

でも……。

彼の、あの真剣な眼差しを思い出す。彼が、どれだけこの物語に懸けているか。

それに応えるためには、私も、少しだけ踏み込む必要があるのかもしれない。


(……よし。決めた)


私は、心を決めて、航くんへの返信メッセージを打ち始めた。


『航くん、読んだよ! まず、最後まで書き上げたこと、本当にすごいと思う! 拍手!(^-^)』

まずは、とにかく褒めることから。彼の努力を、ちゃんと認めてあげないと。


『文章も丁寧で、すごく読みやすかったよ。主人公の航くんの、ラブコメを書きたいけど書けないっていう葛藤、すごくリアルに伝わってきた。私も、卒論とかで悩む時あるから、すごく共感しちゃった』

共感を示すことで、彼に安心感を与えたい。


『出会いのシーンも、雨のバス停っていうシチュエーション、王道だけどやっぱり良いね! これから二人がどうなるんだろうって、ワクワクしたよ』

良い点も、具体的に伝える。


『それでね、もし、アドバイスをするとしたら……だけど』

ここからが本題だ。慎重に言葉を選ぶ。


『一つは、やっぱり感情描写かな。例えば、主人公がヒロインにドキッとした時、ただ「ドキッとした」って書くんじゃなくて、心臓がどうなったか(速くなった? 跳ねた?)、息はどうなったか(詰まった? 浅くなった?)、顔は?(熱くなった? 赤くなった?)みたいに、体の反応を描写すると、もっと読者に伝わりやすくなると思うんだ。五感を意識するのも大事かも。彼女の香りは? 声の響きは? 触れた時の感触は? そういうのを少し加えるだけで、ぐっとリアルになると思うよ』


具体的なテクニックを、できるだけ分かりやすく伝える。


『それから、もう一つ。ヒロインの弥生さん(仮)についてなんだけど……』

いよいよ、核心部分だ。


『今のままでも、すごく素敵なヒロインだと思うんだけど、もし、もっと魅力的にしたいなら、「ギャップ」を意識してみるといいかもしれない』

『例えば、普段はしっかりしてるのに、実はすごく方向音痴で、よく道に迷っちゃうとか』

(……ふふ、私のことだけど、気づくかな?)

内心で、小さく笑う。


『あるいは、落ち着いて見えるけど、実はホラーがすごく苦手で、映画館で悲鳴を上げちゃうとか』

『完璧に見えるけど、料理で必ず何か失敗しちゃうとか……』

『そういう、ちょっと意外な一面とか、弱点みたいなものがあると、キャラクターに人間味が出て、読者も親近感を持ちやすくなると思うんだよね。可愛いなって思ってもらえるかもしれないし』


自分の弱点を、あくまで「例えば」の話として、さりげなく提示してみる。これが、彼にとってのヒントになればいいな、と願いながら。


『……長くなっちゃってごめんね! あくまで、私の個人的な感想とアドバイスだから、参考程度に聞いてくれれば嬉しいな。でも、航くんの小説、すごく可能性を感じたよ! これからが、本当に楽しみ!』


最後に、改めて励ましの言葉を添えて、メッセージを送信した。

……少し、踏み込みすぎただろうか。お節介すぎただろうか。

不安がよぎるが、もう送ってしまったものは仕方ない。


あとは、彼が、このアドバイスをどう受け止めてくれるか、だ。

彼の才能が、花開くきっかけに、少しでもなれたらいいな……。


そんなことを考えながら、私は、スマホの画面をぼんやりと眺めていた。

航くんからの返信を、少しだけ、ドキドキしながら待っている自分がいることに、この時の私は、まだ気づいていなかったのかもしれない。

ただ、「頼れるお姉さん」として、彼の成長を見守りたい。純粋に、そう思っていた……はずだった。

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