第十話:『取材』という名の初デート? ~遊園地・昼食と夕暮れ~
「俺が、弥生さんのこと、絶対に守りますから!」
航くんの、真っ直ぐで、力強い言葉。それは、これから向かうお化け屋敷への恐怖を、ほんの少しだけ和らげてくれると同時に、私の心臓を別の意味で激しく高鳴らせた。「守る」だなんて……そんな、まるでラブコメの主人公みたいなセリフを、彼は(おそらく無自覚に)さらりと言ってのけるのだ。本当に、油断ならない年下の男の子だ。
私たちは、夕暮れの光が差し込み始めた園内を、あの不気味な洋館風の建物……お化け屋敷「呪われた人形館」へと向かっていた。近づくにつれて、その古びた外観と、どこからともなく聞こえてくる不気味な効果音(本物の悲鳴も混じっているかもしれない)が、私の恐怖心をじわじわと煽ってくる。
「うぅ……やっぱり、怖い……」
思わず、隣を歩く航くんの腕に、そっとしがみついてしまう。彼は、ビクッと肩を震わせたが、振り払うことはしなかった。むしろ、少しだけ、私の方に体を寄せてくれたような気がする。そのさりげない優しさが、嬉しい。
「だ、大丈夫ですよ、弥生さん。俺がついてますから」
彼も、緊張しているのか、声が少しだけ上擦っている。でも、その声には、確かに「守る」という意志が感じられた。
お化け屋敷の入り口には、やはりそれなりの列ができていたが、ジェットコースターほどではなかった。順番を待つ間も、私は航くんの腕を掴んだままだった。もう、離れるのが怖かったのだ。周りのカップルたちも、同じように密着している組が多く、私たちの姿も、それほど不自然には見えなかったかもしれない(と、信じたい)。
やがて、私たちの順番が来た。無表情なスタッフから懐中電灯を渡され、「決して振り返らないでください……」という不気味な注意を受ける。重い扉が開き、ひんやりとした暗闇が口を開けて待っていた。
「……行きますよ、弥生さん」
航くんが、私の手を引くようにして、一歩踏み出した。私も、意を決して、彼の背中に隠れるようにして、暗闇の中へと足を踏み入れた。
バタン!と背後で扉が閉まる音に、思わず「ひぃっ!」と悲鳴を上げてしまう。もうダメだ。完全に雰囲気に飲まれている。
「だ、大丈夫ですか?」
「……だ、大丈夫じゃない……! もう無理……!」
私は、彼の背中に顔を押し付け、ぶるぶると震えるしかなかった。情けない。本当に情けないけれど、怖いものは怖いのだ。
「俺の後ろに、ぴったり隠れててください。絶対に、守りますから」
彼の、少しだけ震えているけれど、頼もしい声がすぐ近くで聞こえる。私は、こくりと頷き、彼のカーディガンの裾を、ぎゅっと強く握りしめた。背中に感じる彼の体温だけが、この暗闇の中での唯一の支えだった。
私たちは、懐中電灯の頼りない光だけを頼りに、恐る恐る、迷路のような通路を進んでいく。壁から突然手が伸びてきたり、床が不意に揺れたり、不気味な人形が物陰から現れたり……。古典的だが、効果的な仕掛けが、次々と私たちを襲う。
「きゃあああっ!」
「うわっ!」
その度に、私たちは同時に悲鳴を上げてしまう。私は彼の背中に顔をうずめ、彼はビクッと体を震わせる。お互いに怖がっているのは明白だが、それでも、一人ではないという事実が、かろうじて私を支えてくれていた。特に、航くんが私の前に立って、懐中電灯で前方を照らしながら、「こっちです」「足元、気をつけて」と、必死にリードしようとしてくれている姿は、なんだか健気で、そして、とても頼もしく見えた。
(……航くん、頑張ってくれてる……)
普段は少し頼りないところもあるけれど、こういう時、彼はちゃんと「男の子」なんだな、と改めて思う。そのギャップに、またしても私の心臓はキュンとする。
いくつかの部屋を通り抜け、いよいよ、私が最も恐れていた「日本人形の部屋」へとたどり着いてしまった。薄暗い和室に、無数の市松人形がずらりと並んでいる。その、表情のない瞳が一斉にこちらを見ているようで、全身の血の気が引くのを感じた。
「……いや……いやぁ……! こっち見ないで……!」
生理的な恐怖に襲われ、私は完全にパニック状態に陥ってしまった。もう、前に進むことなんてできない。その場にうずくまって、泣き出してしまいそうだった。
「だ、大丈夫ですよ、弥生さん! 人形ですから!」
航くんが必死になだめてくれるが、もう耳に入らない。
「だって、目が……目が動いたもん……!」
「気のせいですって!」
その時だった。
航くんが、何も言わずに、私の手を、そっと、しかし力強く握りしめたのだ。
「……!?」
驚いて顔を上げると、彼は、真っ直ぐな目で私を見つめていた。その瞳には、恐怖の色はなく、ただ、私を安心させようとする、強い意志が宿っていた。
「俺の手、握っててください。そうすれば、怖くない……はずですから」
彼の、不器用だけれど、心のこもった言葉。そして、繋がれた手の温かさ。
それが、不思議なほど、私の心を落ち着かせてくれた。
恐怖が完全に消えたわけではない。でも、彼の手を握っている限り、大丈夫なような気がしたのだ。
「……うん……」
私は、こくりと頷き、彼の手を強く握り返した。
「……行きましょう」
彼に手を引かれるまま、私は、なんとか立ち上がり、日本人形たちの視線から目を逸らしながら、その部屋を通り抜けることができた。
手を繋いだまま、私たちは、お化け屋敷の残りの道のりを進んだ。
相変わらず、悲鳴を上げっぱなしだったけれど、もうパニックになることはなかった。繋がれた手の温もりと、隣にいる彼の存在が、何よりも心強かったからだ。
そして、ついに、前方に微かな光が見えてきた。出口だ。
外の眩しい光の中に飛び出した瞬間、私は、安堵感から、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「……はぁ……はぁ……。こ、怖かった……! もう二度と入らない……!」
「大丈夫ですか、弥生さん」
隣に、同じように息を切らせた航くんが腰を下ろした。彼の額にも汗が滲んでいる。彼も、相当怖かったのだろう。
「……でも……ちょっとだけ、面白かった、かも……」
息も絶え絶えになりながら、私は呟いた。恐怖体験はもうこりごりだが、彼と一緒にそれを乗り越えた、という事実は、なんだか特別な達成感があったのだ。
「航くん、本当にありがとうね。手を……繋いでてくれなかったら、私、本当にダメだったかも……」
見上げると、彼は、少し照れたように、でも嬉しそうな顔をしていた。
「い、いえ……俺の方こそ、弥生さんが一緒だったから、最後まで頑張れました。……かっこよかったですよ、弥生さん」
「え? 私が? あんなに怖がってたのに?」
「はい。怖がりながらも、ちゃんと前に進もうとしてる姿が……すごく、かっこよかったです」
……かっこよかった? 私が?
予想外の褒め言葉に、私はまたしても顔が熱くなる。彼は、本当に、私のことをよく見ている。そして、私が気にしていないような部分を、ちゃんと評価してくれるのだ。
「……あ、あの、手……」
そこでようやく、私たちがまだ手を繋いだままだったことに気づき、慌てて離そうとする。
だが、航くんは、離そうとした私の手を、逆に、きゅっと握り返してきたのだ。
「え?」
驚いて彼を見ると、彼は、顔を真っ赤にして、俯いていた。
「……もう少しだけ……このままで、いてもいいですか……?」
か細い、でもはっきりとした声で、そう言った。
(……えええええええええええ!?)
今度は、私の方がパニックになる番だった。
航くんが、私と、手を繋いだままでいたい、と……?
これは、どういうこと? 夢? それとも、彼も、私と同じように……?
思考が完全に停止する。ただ、握られた手の温かさと、彼の真っ赤な耳だけが、やけにリアルに感じられた。
周りの喧騒も、時間の流れも、何もかもが遠くに聞こえる。
ただ、繋がれた手の感触と、すぐ隣にある彼の存在だけが、世界の全てだった。
*
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
どちらからともなく、ゆっくりと手を離した時、空はもう、美しいオレンジ色と紫色に染まり始めていた。
「……あ、もうこんな時間だね。お腹、空かない?」
私が、照れ隠しにそう言うと、彼は、はっとしたように頷いた。
「あ、はい! 言われてみれば、ペコペコです!」
「ふふ、じゃあ、お昼ご飯にしようか! ……あ、もう夕ご飯に近いかな?」
私たちは、パンフレットを広げ、レストランを探した。いくつか候補があったが、少し落ち着いて話もできそうな、テラス席のあるイタリアンレストランに決めた。
レストランへ向かう道すがら、私たちは、さっきまでとは打って変わって、饒舌になっていた。お化け屋敷での出来事を思い返しては笑い合ったり、次に乗りたいアトラクションの話をしたり(もう絶叫系はこりごりだと私が言うと、彼は残念そうな顔をしていた)。繋いでいた手の感触が、まだ互いの手のひらに残っているようで、時折、視線が合っては、どちらともなく照れてしまう。そんな、甘酸っぱい空気が、私たちの間に流れていた。
レストランのテラス席は、夕暮れの光が差し込み、とても気持ちが良かった。
メニューを見ながら、またしても二人で悩む。「ピザもパスタも美味しそう」「シェアする?」なんて言いながら。結局、マルゲリータピザと、きのことベーコンのクリームパスタを頼み、シェアすることにした。
料理が運ばれてくるまでの間、私たちは、また色々な話をした。航くんの小説の話、私の大学の話、家族の話、将来の夢……。話せば話すほど、彼の真面目さ、優しさ、そして、時折見せる鋭い感性に、私はますます惹かれていった。彼もまた、私の話を、真剣に、そして楽しそうに聞いてくれた。年の差なんて、もうほとんど気にならなくなっていた。ただ、一人の人間として、彼ともっと深く繋がりたい、そう感じていた。
熱々のピザとパスタが運ばれてきて、私たちは「いただきます!」と声を合わせた。
「んー!美味しい!」
ピザを頬張る私を見て、彼がまた優しい目で見つめている。もう、その視線には慣れた(いや、慣れてないけど)。私も、彼の皿からパスタを取り分けながら、「こっちも美味しいよ」と勧める。彼が、少し照れながら「ありがとうございます」と言ってパスタを食べる姿が、なんだか微笑ましい。
(……幸せだな、こんな時間)
美味しい食事と、楽しい会話。そして、すぐ隣にいる、愛しい人。
これ以上、何を望むというのだろうか。
食事を終え、食後のコーヒーを飲みながら、私たちは、窓の外に広がる景色を眺めていた。
空は、さらに深く、美しいグラデーションを描いている。園内のイルミネーションが、星のように瞬き始めている。そして、ひときわ高くそびえ立つ、あの巨大な光の輪……観覧車。
(……観覧車……)
自然と、私たちの視線は、そこへと引き寄せられていた。
遊園地デートの、締めくくり。ラブコメの、クライマックス。
あの、二人きりの空間で、私たちは、どんな時間を過ごすのだろうか。
昼間の、はしゃいだような雰囲気とは違う、少しだけ甘くて、切ないような空気が、テラス席に流れ始める。
隣に座る彼の横顔を、そっと盗み見る。彼もまた、じっと観覧車を見つめていた。その表情は、真剣で、どこか決意を秘めているようにも見えた。
(……もしかして、彼も、意識してる……?)
期待と、不安が、また胸の中で交錯する。
このまま、何も言わずに、この時間を終えるのか。
それとも……。
「……ねえ、航くん」
先に口を開いたのは、私だった。もう、駆け引きなんて、どうでもよくなっていた。ただ、素直な気持ちを伝えたかった。
「……今日の『取材』、そろそろ、締めくくりかなって思うんだけど」
「……はい」
彼の声も、少しだけ緊張しているように聞こえる。
「……それでね、思ったんだけど……」
私は、ゆっくりと、観覧車を指差した。
「……あそこの、観覧車……一緒に、乗ってみない?」
「……ラブコメの、定番だし……。『取材』の、締めくくりには、ちょうどいいかなって……」
言いながら、自分の心臓がドキドキと鳴っているのが分かった。
「取材」という言葉を、またしても使ってしまったけれど。もう、その言葉に、本当の意味なんてないのかもしれない。ただ、彼と、あの特別な場所に、一緒に行きたい。その一心だった。
彼は、私の言葉を聞くと、一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。
そして、次の瞬間、まるで、ずっとその言葉を待っていたかのように、力強く、そして、とても嬉しそうに、頷いたのだ。
「……はい! 是非……!」
その返事を聞いて、私の心にも、温かいものが広がっていくのを感じた。
どうやら、私たちの気持ちは、同じ方向を向いているのかもしれない。
私たちは、どちらからともなく、顔を見合わせて、微笑み合った。
夕暮れの光の中で、二人の間に流れる空気は、確かに、特別な色を帯び始めていた。
これから始まる、観覧車での時間。それは、きっと、忘れられない瞬間になるだろう。そんな予感を胸に、私たちは、レストランを後にするのだった。




