第五話「消え行く命を晒して②」
4
最上階。
俺は血だらけになりながら、事前に最上階に用意していた油を床一面に撒き、鬼椿を待つ。
既に意識が遠退きそうになりながらも、必死に堪える。
やがて足音が聞こえる。一瞬止まり、足音が遠退いたと思ったら、再度足音が近づいて鬼椿が俺に姿を見せる。
「やっぱりさっきかけたのは油だったんだな。随分と熱かったぜ」
「はは……。それは良かった……」
駄目だ。
まだ倒れるな。
必死に両足で踏ん張り、鬼椿と相対する。
「だが理解できないな。俺も火を使える。これじゃあ自爆するようなものだぜ」
鬼椿は敷かれた油の外側にいる。
俺は部屋の中央に立ち、油が燃えれば全身を火に焼かれるだろう。
それでいい。
「何が狙いだ」
鬼椿は攻撃するのが正解か、静観が正解か迷っていた。
確かに俺は、このまま何もせずとも死ぬだろう。
「まずは、不意打ちで殺されないためだ」
「どういうことだ?」
「まるで目にも止まらぬ高速移動、あれはただの透明化だろ」
鬼椿は表情一つ動かさない。
だが答える。
「ああ、そうだ」
俺に誤魔化しは通じない思ったのか、素直に答えた。
「上手く足音で誤魔化していたようだが、やはりお前にそれほどの素早さがないことは分かった」
それでも鬼椿が素早いことに変わりはない。
「確かにな。じゃあ油を撒いたのは、透明化して殺しに来ることを避けたのか」
油が撒かれていれば、透明化していてもどこを歩いているのか一目瞭然だ。
「で、油を撒いたのはそのためだけか」
「それだけだ」
「じゃあ終わりだ」
鬼椿は刀に火を纏わせ、先端を油に当てる。
油に引火し、俺は炎に囲まれる。
「さよならだ。日向」
俺を倒せば、この戦いは終わる。
そして俺は魔王のための生け贄となり、二度と会うことはないだろう。
そう、鬼椿は思っている。
今の台詞で、それが分かった。
だから──
「俺の勝ちだ」
俺の言葉を聞き逃さなかった鬼椿は、炎の外側で首をかしげる。
「今更勝ち目があると? この状況からどうやって俺を倒す?」
鬼椿には分からない。
だって全てはあの時から始まっている。
俺の策は──
「俺は勝たなきゃいけない。だから──」
俺の手に生成される刀。
鬼椿は警戒し、刀を構え直す。
俺は刀を鬼椿には向けず、天井に向ける。
「ん?」
魔力を込め、刀は天井を突き破って空高く伸びる。刀が天井を突き破っているのは、ビルの外側からでも明らかだ。
「何をしている?」
鬼椿には理解のできない行動だろう。
「最後に一つ聞きたい。お前は日下を仲間にすることが有益だと考えている。だがここで俺たちが負ければ日下も死ぬ。矛盾だな」
「救う方法はある」
「どんな方法だ」
「…………」
鬼椿は沈黙し、炎に焼かれる俺を見る。
「ここで終わるのは惜しいな」
鬼椿はボソッと口にする。
俺は徐々に腕を焼かれ、遂に足までも焼かれ始める。痛みは既に限界を超えている。
だがまだ、今だからこそ聞き出せる情報もある。
意識が遠退きそうになる中、舌を噛んで寸前で意識を保つ。
「本当は、日下を救済しようと思っていた。彼女の能力は今後を進めていく上で有利に働くから。だが……」
その言葉の続きを、俺は聞かなくてはいけない。
日下が生き残る方法とは何か。
だが、意識は俺を遠くへと追いやってしまう。
続きを聞くこともなく、俺は眠りについた。
5
最上階に一人取り残された鬼椿。
彼との戦いは十分に楽しめる者だった。
まだ自分を倒す相手ではないにしても、この先学園で鍛練を積めば、自分にも匹敵する相手だった。
だが現実は無慈悲にも、日向を奪い去ってしまう。
「いや、違うな。せめて日向には、策略で俺を超えてほしかった。だが、そんな願いは叶わない」
鬼椿は右手に刻まれた十字の傷を見つめる。
あの日もまた、炎に包まれた戦いだった。
五年前。
三輪と鬼椿は炎に囲まれた状況で、援軍が助太刀に入ることはない戦いをしていた。
互いの刀は爆発するほどの衝突を続けるが、三輪は傷を負い、既に鬼椿の攻撃を受け続けることはできなかった。
三輪は膝をつき、刀が手から離れた。開かれた手は血だらけで、これ以上刀を握ることができないのは明白だった。
鬼椿はこの戦いの終わりを予感していた。
だから鬼椿は、最後、大振りに刀を振り上げた。
刹那、三輪は言った。
「これがお前の策か……」
それは鬼椿に向けられた言葉ではなかった。
鬼椿は気にかかったが、首をとるために刀を振り下ろす──
響くはずのない金属音が響いた。
刀を振り下ろした先に金属はない。刀は地を転がっているのだから。
ではなぜ。
その答えを示すように、鬼椿の顔に十字の短剣が迫る。咄嗟に右手を動かし、短剣は右手に十字の傷を刻んだ。
目の前には、全身に火傷を負った少年がいた。
「お前は……」
すぐにその少年を蹴り飛ばす。
少年は地面を二転三転し、三輪の側まで転がった。
「日向……!?」
三輪は少年──日向の背中に手を伸ばす。
「日向、まさかホントにあんなに分厚い火の中を通ってきたの!?」
三輪と鬼椿を囲んでいた火は十メートルはあった。
日向は火の中を十メートル進んだのだ。
だが鬼椿は気付いている。
日向という少年は、火の中でずっと好機を狙っていたということに。
でなければ、最も隙をつけるタイミングで現れることができない。
その時、鬼椿は日向という人物に興味を持ったと同時、恐れた。
──命の使い方が狂っている。
そして五年の月日が経ち、今現在、日向は鬼椿によって敗れた。
だが鬼椿はまだ勝利の確信を得ていない。
自らを燃やすため、油を撒いてまで何がしたかったのだろうか。
鬼椿には倒されていない、そう言いたいのだろうか。
いや、それは鬼椿自身ですぐに否定する。
あの狂気を持った日向が、そんなことのためにこんな行動に出るだろうか。
ずっと考えている。
考え続け、そして違和感に気付く。
「……終わらない?」
日向は火の中で既に十分以上の時間を過ごした。既に死んでいてもおかしくない。であればなぜこの決闘は終わらない。
鬼椿はその答えを知っている。受け入れることを脳が拒否している。
「いや……まさか…………」
だが、残された可能性はそれしかない。
その可能性について思索していく過程で、鬼椿は気付いた。
鬼椿は日向に超えてほしいと願いつつ、心の奥底では勝ちたかったのだ。
自分を超えてほしいと思っていたのは、負けた時に言い訳をするため。
思い浮かんでしまった可能性の正体を確かめるように、炎の中にいる日向を見る。
日向の左肩には鬼椿が浴びせた深い刀傷があった。だが胴体、そこに長く一本の切り傷が走っている。その傷はこの戦いで鬼椿と椿女がつけたものではない。
「そういうことかよ。日向」
爆発音が響くとともに、ビルが揺れる。
「やっぱりか……。やっぱり…………」
鬼椿は敗北を確信した。
だって──
「生きていやがったんじゃねえか──」
ビルの外、遥か遠くから、ある人物がビルを見ている。
桜のような髪をして、桜の髪留めをつけた少女。
「──日下ああああああああああ」
遥か遠くから、日下は呟く。
「バイバイみんな」
日向が上階で鬼椿、椿女と戦っている間、日下はビルの一階に幾つも爆弾を取りつけていた。
日向と日下は欺いた。
鬼椿を。
だから勝ったのは──
爆炎に包まれ、ビルは崩壊していく。
崩れ行くビルの中で鬼椿は瓦礫に埋もれる。
『鬼椿、椿女の死亡を確認。よって、第二試合は日向大和、日下朝ペアの勝利とする』