第二話「曇天でもないのに」
対戦相手が確定した直後、俺はすぐに日下さんに連絡を入れる。
友達登録をしていたため、音声通信が可能だ。
どうやら日下さんもつい先ほど対戦相手確定の通知を確認したようで、俺へ連絡を入れるところだったらしい。
「これって……どういうこと……?」
日下さんは動揺しているようだった。
俺が勝手に対戦相手を決めたと思われる可能性もあったため、すぐに訂正の言葉を述べる。
「どうやら鬼椿が、対戦相手を決められるチケットを購入していたらしい」
「そんな……」
もっと早く気づくべきだった。
そしたらすぐに対戦相手を決めて……。
いや、対戦相手の確定は基本両者の合意によって成り立つ。たとえすぐに動いたとしても、即日で承諾してくれる相手が見つかるとは限らない。
どのみち、これは避けられなかった。
「どうするの?」
「勝つしかない」
「でも……」
日下さんは勝てる自信はなかったようだ。
俺も勝てるかどうかは自信はない。
だが、
「勝負は二回。その内一回はこちらの好きなステージを選ぶことができる。ステージ次第では十分勝てる」
正面からでは勝てない。だからこちらは敵の意表を突くしかない。
「うん。じゃあ明日は、」
「どんなステージがあるかを見に行く」
「分かった」
「今日はもう寝よう。明日に備えて」
俺は通信を切ろうとした。
「あの……日向くん」
「どうした?」
「えっと……やっぱり明日話すよ」
何かを言いたげな様子だったが、日下さんはそのまま「おやすみ」と言って通信を切った。
日下さんとの通信が切れる。
一体何を言いたかったのだろうか。
俺は深いため息を吐いてベッドに横たわる。
相手はまだ対戦日を決めていない。もし明日にでも、となれば、状況は最悪だろう。
今はどれだけ考えても仕方がない。明日朝早く起きて、策を考えよう。
俺はそのまま目を閉じる。
そういえば、幾つか気になることがあったっけな。
あれらは全て偶然だったのか、それとも──。
1
三時。
俺は目を覚ます。
眠ったのが二十四時くらいだったから、九時間は眠ったのか。
元いた世界だと二度寝する時間だが、俺は体を起こし、窓へ近づく。
ここは三階のため、飛び下りれば怪我で済む程度の高さに地面がある。寮の背には森があり、その中には神社があるという。
こんな時間にも関わらず、森の中をランニングする生徒もちらほら見かける。
いや、この世界ではこの時間に起きている生徒は珍しくないのかもな。
窓を閉めて伸びをし、腕時計型端末で生徒一覧を確認する。
何人かの生徒のプロフィールを確認すると、名前、顔写真、入学日、貢献度が確認できる。その他にも、受講した講義の成績や出身世界の情報があるが、記載されている生徒とされていない生徒がいる。
貢献度によって公開、非公開を変えられるのか?
俺は鬼椿の情報を確認する。
入学日は五年前。俺と三輪と戦った直後か。貢献度は500を超えている。
その他にも公開されている情報は……、出身世界である百鬼界。俺と三輪がかつて行ったことのある世界であり、鬼椿と戦った場所。
受講履歴も見れるが、つい先日受けた魔法戦の講義以外は、一ヶ月も前に遡る。成績は非公開か。
できれば鬼椿の使える魔法などを知りたかったが、そう上手くはいかないか。
鬼椿の情報をこれ以上追うのは諦め、まだ把握しきれていない端末の機能を確認する。
「お……っ!?」
俺はある機能に目が行き、その機能について気になった。
色々試していき、ある条件に気付く。
「なるほど」
俺はその機能を使い、ある情報を入手するために使ってみる。
先ほど生徒のプロフィールを見た限りでは誰も公開していない情報だったが、その情報もやり方次第では入手できる。
俺はある対価を伴い、その機能を使った。
「これって……」
貢献度の増減が分かる項目がある。
貢献度は四月に入ってから大きな変化は見られない。
「これ以上考えるのはやめよう」
俺は水の入った魔法瓶の機能を使い、水を沸騰させる。洗面所で顔を洗った後、温かい水を喉に流し込む。
制服に着替え、部屋を出る。
その足で仮想闘技場へと向かった。
仮想闘技場の外観は円形の高い塔。中に入れば、一面真っ白な空間が続いている。円形のラインに沿って歩くと、幾つもの扉が見える。
俺は昨晩の内に予約していた十二階にある一室に入る。部屋の中ももちろん真っ白で、部屋の中央に卵形のカプセルが置かれているだけ。
カプセル内は快適に座れるような設計になっており、座ってみると、カプセルが閉じられる。目の前に光画面が現れ、幾つものステージから選択ができる。
「さて、どれにするか」
一通り見てみるが、ステージの数は当たり前のように百や二百を超え、三百以上のステージから選択できる。
好都合だな。
もしステージが十や二十であれば、鬼椿が全てのステージを把握している可能性がある。だがこれほどのステージがあれば、全てのステージを熟知できないだろう。
勝機はある……か。
今から全てのステージを体験するわけにはいかない。あらかじめ鬼椿に勝てる策を考え、それを実行できるステージを絞っておくべきか。
となると……
俺はステージを眺めつつ、鬼椿に勝てる策を模索する。
俺はステージを森で選択し、その世界に意識が吸い寄せられていくのを感じた。
目の前に広がったのは、一面木々が生い茂る大森林。地面にも苔や雑草が生え、それを踏んでいる感触も完全に再現されている。
俺はこのシステムに驚いた。
自分の身体能力も再現されており、自身が現実で再現可能な動きをこの世界でも再現できる。だが現実で再現できない動きはこの世界でも再現できない。
全ての情報をアマレイズが読み取っているからこそ、可能なことなのだろう。
その他にも、自身の弱点が正確に反映されており、痛覚も、味覚も、聴覚の正確さまでもがしっかりと反映されている。
現実との乖離点が見つからないほどに、この世界は優れている。
試しに魔法を使ってみる。俺は手に魔力を集中させ、鍛冶をしているイメージとともに刀を生成する。
この刀は魔力の込め方によって頑丈さや長さなどが変化し、既に生成した刀でさえも後から魔力を追加することで頑丈さや長さを変えることもできる。
実際にそれが可能かどうか。
もはや驚きもしない。
現実と遜色なく、俺の魔法も再現できている。
流す魔力量で強度は変化するため、実際に木を斬って試す。やはり少ない魔力では刀はすぐに砕け、精巧に込めれば強度は増す。
それから六時間。
俺は仮想空間で実験を繰り返した。
2
仮想闘技場から出てメールを確認すると、三時間前に日下さんから連絡が来ていた。
『これからのことについて、会って話をしましょう』
日下さんは三時間も俺からの返信を待っていたのか。
あまりにも仮想空間に夢中になって、すっかりメールを見るのを怠っていた。
俺はすぐに返信を返す。
『返信遅れてすまない。今から会おう』
すぐに返信が返ってくる。
『分かりました。では朝食も食べたいので昨日行ったカフェで待ち合わせましょう』
『わかった』
俺はすぐに返信を返すと、昨日日下さんと行ったカフェに足を運ぶ。
客足はまばらで、俺は空いている奥の方の席へと腰かける。
既に到着したこと、自分の座っている席の位置をメールで伝えると、あと五分ほどで到着するという返信が来た。
俺は簡単にホットコーヒーとホットケーキを頼み、注文が来るのを待つ。
しばらくして足音が近づく。
日下さんが来たのかと思い、振り返る。
「奇遇だな。こんな所で会うなんて」
紅い髪、紅い二本角──鬼椿。
俺に許可を取ることもなく、正面の席に腰かける。
「今日は話をしに来たんだ。決闘の日をいつにするか」
そんな前口上をして、鬼椿は本題に入る。
「俺はいつでもいいんだぜ。だが早い方が良いだろ」
まだ戦闘慣れを戻していないため、できれば遅い方がいい。だがそれを素直に伝えたところで、鬼椿は承諾するだろうか。
「なぜ早い方が良いんだ?」
「あの時の借りは今すぐにでも返したいんだよ。二対一とはいえ、俺に傷をつけたんだ」
鬼椿は威圧するように顔を近づけてくる。
「日付はいつでもいいんだぜ」
「それよりも、決闘日はチケットがあってもそっちで勝手に決められないのか」
俺はどう答えるか考えるため、先延ばしするように話を振る。
「生憎と、今回のチケットの効果は対戦相手の確定だけらしい」
「だったら決闘の日はお互いの希望が一致しない限り、最終日になりそうだ」
決闘の日はそれぞれのペアが承諾しない限り確定はしない。もし最終日まで日付が決定しなかった場合、最終日に戦うことが確定する。
「だがよ、あと九日もあるんだぜ。さすがに長え。退屈な待ち時間を過ごすよりは、早い内に戦う方が良いだろ。その分腕も鈍る」
一瞬、物凄い視線を鬼椿から感じる。
「最終日まで修行すれば良い。そしたら腕も鈍らないだろ」
「かもな」
にやけながら、鬼椿はそう言った。
「まあせいぜい九日だ。待ってやるよ」
「そうか」
どうやら決闘の日に固執はしていないらしい。
ただの会話が目的だったのか。
鬼椿と話を進めていると、驚いた様子の日下さんが恐る恐る顔を見せる。
側に今回の敵となる鬼椿がいれば、当然日下さんは驚くだろう。
「これは……」
俺が事情を説明しようとすると、
「おいおいバレちまったか。俺と日向がこっそり手を組んで、お前の一人負けを画策していたことを」
「……え?」
鬼椿は今まで話題にも上がっていなかったことを口にする。
一体どういう意味なのか、俺は困惑する。だがそれが俺と日下さんの信頼関係を崩そうとしてのものだとすぐに察した。
止めようと口を開きかけた所で、
「がっ……」
言葉が出ない。
不意の出来事に俺は一層混乱を極めた。
その間にも、鬼椿は話を進める。
「こうして日向が言葉も出ず動揺しているのが証拠だ。全く、せっかくの作戦がお前が来たせいで水の泡になっちまったな。日向に対戦相手の確定までしてもらったのに」
日下さんは俺を見て、目を曇らせる。
弁解の言葉の一つでも言えなければ裏切りが事実と言っているようなもの。
だが言葉が出ない。
まるで魔法のような……
……そういうことか。
俺は店内のある席に目を向ける。そこは入店時には埋まっておらず、何も頼まず座っている人物がいた。
桃色の一本角を生やした女性。同年代らしきその女性の顔は、今朝プロフィールを確認した人物だった。
椿女。
鬼椿とペアを組んでいる生徒。
おそらく彼女の魔法によって、俺は喋ることを封じられている。だがそれを知るよしもない日下さんは、俺が図星をつかれて喋れないと勘違いしている。
だが魔法にかかっていることを伝えられれば何とか鬼椿の嘘を分からせることができる。
俺は即座にメールを打とうと指を動かす。
「俺はもう帰るわ」
鬼椿は俺と日下さんを振り返ることもなく、そそくさと店内を去る。それに続き、椿女も去っていった。
魔法は解除され、言葉がようやく出る。
メールを閉じ、すぐに言葉を出す。
「日下さん、これは……」
今すぐ弁解すれば間に合う。
そう思っていた。
「ごめん……」
そう言った日下さんの声は上ずっていた。
視線を俺に向けることなく、表情を曇らせる。
彼女の表情を見て、俺は魔法をかけられているわけでもないのに、言葉が出なかった。
「私…………帰るね……」
上ずった声で、日下さんは顔を覆いながら走って去っていった。
俺の声を聞くこともなく。
俺は彼女の背中をすぐに追いかけるべきだった。だが、あの表情を見て、俺は思わず動きを止めた。
俺はあの顔を知っている。
彼女は俺を信じていたんだ。
だが、俺に裏切られたと思ったから、彼女は──
どうして俺は追いかけられない。
どうしてすぐに事情を話さなかった。
思い出したから。
俺の味方は誰もいないんだと気付いたあの日のことを。
「『ごめん』……。それは、こっちの台詞だろ」
俺は彼女を裏切ったのだ。
「『ありがとう』」
その言葉も言えずに。