拾われた異世界人(俺)
疲労感が身体を包み込んでいる。
わずかに節々が痛むが………タチの悪い流行り病に罹った時とはまた違うな。
治りかけの骨折のためベッドの上で安静にしている、そんな感覚に近い。
我ながら、何と子細な分析だろうか。
寝ぼけた脳が覚醒してきた。
『―――、―――――……』
暗闇の中で声が聞こえる。
そのまままぶたを開けず、まぶたの裏側を眺めながら耳を澄ましてみる。
『竜の渓谷から流れて来たってのかい!? 正気かい……?』
おばさ……マダム、といった年齢にありそうな女性の驚く声。
ほう、それにしても、あの谷は「竜の渓谷」って言うのか。
『んなこと言ったってよぅ、姐さん、アイツらが見たって言うんでさぁ。あそこに流れ着いたってんなら、上流から流れて来たってことでしょう?』
今度はどこか媚びるような、目上の者にへつらうような男の声。しかししっかり自分の意見を言っていることから、決して劣悪な関係に置かれているわけではないのだろう。
『そうだねぇ……。この子、変わった格好をしているし………どう思う? あんた』
先程のマダムが、誰かに答えを求めた。
『………こんなやつが竜の巣の近くに行って無事でいられるはずがねぇ』
そうして聞こえてきたのは、野太い声。
どこかぶっきらぼうな口調だし、怒っているのかと勘違いしたくなるような不機嫌そうな声だが、深みがあり、不思議と不快にならない声。
あらやだ、どう聞いてもおっさん声なのに、男の私でも聞き惚れちゃうくらい良い声だわ……!
なんてな。
まぁ、現時点ではこの場で一番立場のありそうなのが、この野太い声のおっさんということだ。
『川を流れて来たんならあり得るが、そもそもあそこは人が自由に歩き回れるような地形はしてねぇ。川に落ちたんなら、あの谷の絶壁に身体をこすってミンチになるか、谷底の地面でも岩でも、川面でさえ、あの高さじゃあ鋼みたいに固くなるしな。とにかく、転がり落ちようが真っ逆さまに落ちようが、どこに落ちたって、人間の身体なんざミンチになるしかないってわけだ』
『そりゃあ、確かにそうだねぇ……』
こっわ。何を話してるのかと思えば、落下死に関する随分と生々しい分析だ。
………いや、俺が今怖がるべきは、本当にそうなっていてもおかしくなかった自分の運命だよな。
………………本当に無事なんだよな、俺?
『それにあの谷の近辺をうろついてたんじゃ、十中八九、竜に見つかるはずだ。それなのに生身、それも丸腰の人間が、現に生き残ってる………こんなのは、有り得ねぇことなんだよ』
『なんだい。つまり、何が何だか分からない、そういうことかい?』
『コイツが余程の使い手なのか、それとも余程の強運でもない限りはあり得ねぇ』
『この子には悪いけど、どうしたって使い手には見えないねぇ』
『こんな木の枝みたいな手足じゃ、イノシシ一匹すら狩れやしねぇだろうさ』
『でもカワイイ子じゃないか。戦士の生まれじゃないのは確かだねぇ』
『母親のおっぱいを卒業したばかりみてぇなガキがどうしてこんなことになってんのか知らねぇが、変わった身なりをしてやがるし、ちっと吐かせてやることにするぜ』
吐くのはもう嫌だなぁ。もう散々吐いてきたばかりだし。それより腹が減ったよ。
………。
まぁ、それはそれとして。
散々なまでに酷評されているが、今の俺が貧弱なガキであるのはその通りだし。
ただ、目を開けるのが怖いな。
目を開けて死後の世界だったら―――なんて、今更、そんな風にトボけはしないが。
ただ、これが夢から覚めたということでないのは分かる。俺は今、確かに目が覚めているのだ。
記憶もしっかりあるし、感覚も確か。先程までの一連の出来事は、全て夢ではないと確信を持って言える。
なんだ、つまり、俺………。
生きてる、ってことか?
埃っぽい洞窟内。まさに隆起した大地を横からくり抜いたかのようなその場所には。
岩肌がそのまま露出した壁に壁掛けの松明、踏みしめられた土の地面にいくつか篝火が置かれ、集まった男女達の姿格好を照らし出していた。
彼ら彼女らはいずれも、肌に傷のある者ばかり。そして男女問わずどこか筋肉質なのと、顔にも傷があったり目つきがやたら鋭かったりと、人相に迫力がある点以外は……いや、わざわざ普通な部分を探すだけ無駄だな。
とにかく、そんな特徴的な者達に囲まれる状況にあって、俺は彼ら彼女らの視線を一身に集めているわけだ。
「どうにも信じられねえ」
そう言って椅子(といっても木の切り株だが)に座る、ひときわ身体のデカいおっさんが、俺の寝るベッドのすぐ横で腕組みした。
俺が狸寝入りを決め込んでいる間も、あれこれと相談され、思案気に答えていたご意見番。おそらくは彼らの中で一番偉い人間だろう。
耳の下から顎の下まで、黒く濃い髭に覆われた顔。目つきは鋭く、顔にも腕にも傷が見られた、いかにも「歴戦の猛者」って感じだな。
あるいは「オヤビン」って感じの見た目。
こうして初めて、リアルでこういう風貌の……強面の中年男性を見ると………うん。
怖いな。
「じゃあ、どうするんだい……?」
彼の隣に佇むおばs…マダムが、少し不安そうな顔でオヤビンを見た。
オヤビンよりは若いだろうが、それでも一回りは歳も離れていないだろう女性だ。
というか、オヤビンはもちろんのこと、この女性も、そして―――
「「「「「……」」」」」
二人の背景みたいになっている、何人もの男女も、ただの一人も例外なく全員が筋肉ムキムキなのがヤバい。
……ジムかな?
ここはそういうフィットネススクールですか……?
新規会員をベッドに寝かせて、皆で観賞する制度のある―――それって絶対エッチなやつだ……!
落ち着け俺。
ちょっと動揺の余り逸れてしまう思考を、必死に軌道修正する。
「「「「「……」」」」」
そうそう。それで……この「どうします? やっちまいますか?」みたいな空気よ。
ある者は目をギラつかせ、またある者はどこか恐怖の滲む表情で、俺と、そしてオヤビンの方とを見回す。
「……」
自然、俺の方でも緊張が高まる。
今、流石の俺でも、いくらこのような経験がなくとも理解はできる。
今の俺は、俎上の鯉。
テロリストに拘束された人質も同然なのだ。
だから下手なことはできない。
精々、全く信じる気のないどこかの神に祈るくらいである。
あぁ……神様……!
どうかいらっしゃるのなら、俺と代わって!
「オヤジ。どうします?」
「………」
取り巻きと思しき男の一人に問われ、オヤビンは少し考え込むようにして―――鋭い目つきを細め、さらに鋭くしながら俺を見て言った。
「コイツ、さっきまで狸寝入りこいてやがったんだ。どうにも食えねぇ―――信用できねぇ」
「……ッ!」
心臓が止まるかと思った。
バレていたのか……。
………で、結局。
俺は、命乞いをした。
「お願いしますぅ! 自分でもよく分かんないんですぅ! 気付けばだだっ広い原っぱにいてぇ! お腹が空いてたんでウサギがいたから追いかけ回してぇ! そしてドラゴンがきてぇ! 谷底にまっさかさまでぇ―――!」
そりゃあもう、命を乞うこと誠心誠意、全身全霊だ。
何だったら皆様の足の先だってベロベロ舐め回させていただきますぞ、くらいの勢いで周囲に命乞いしまくった。
びゃーびゃー泣きながら。
「お゛ね゛か゛い゛て゛す゛か゛ら゛ぁ!」
「うおっ、きったね」
「てめぇコラ! オヤジに近づくんじゃねぇ! ―――うわぁ、きったねっ!? 鼻水つけんな!」
「自分でもわけ分かんないだなんて……アンタもしかして、記憶が無いんじゃないのかい……!?」
幸いなことに、大の大人がやればこの上なく惨めなことでも、今は俺の見た目が子供だからこそだろうか、どうやら命乞いは周囲に効果抜群だったようだ。
ただ、涙そのものは縁起でも、俺の切羽詰まった状況、俺の動揺や途方に暮れた内心は本物だ。一応は事実、真実に裏付けられた俺の行動に、何だかならず者っぽい集団の皆様も、快く(?)俺を受け入れることにしてくれたようで。
―――しかし。
「まったくしょうがないねぇ。あんた、可哀想だからこの子の記憶が戻るまで―――」
「いや。コイツは―――」
この、見た目がおっかないけれども心が温かい方々には、俺の記憶が戻るまでの期限付きでお世話をしてもらうことに―――
「―――コイツは、俺らの団に加える」
「「「「「「えぇっ!?」」」」」」
―――ならなかった。
「………………」
さっきは驚く皆様に混じり、俺も驚きの声を上げてしまったが、すぐに喉が引き絞られたかのように声が出なくなる。
「コイツは人は殺せそうにないが……だが頭は悪くねぇ。何かと使えそうだ」
「ひェッ………………」
俺、何かさせられるっぽい。




