できることなら魔法学講座と物理学講座を同時に受講したい
最近ではめっきりオヤジも修行をつけてくれなくなった。「後は自分で勝手に上達しろ」とだけ言われて、もうそれっきりだ。
ともすれば見放されたかとセンチメンタルになるところかもしれないが、俺は一応、身体はガキでも魂は元社会人。新卒社員の気持ちになって、世話係の上司から知識を搾り取る勢いで学びまくった結果である。もちろん失礼のないように、かなり気を付けて教えを請うた。自分で言うのもなんだが、学ぶ側としてこれ以上なく「良い生徒」だったはずなのだ。
だから………察するに、これはいわゆる“卒業”というやつなのではないだろうか。
「卒業かー」
寂しいような、誇らしいような。
再三に渡り述べている通り、俺が魔法を学んだのは、強面・髭面の、むくつけきオッサンだ。顔にも身体にも古傷のある歴戦の猛者。この傭兵団のカシラであり、団内最強の実力者。
そんな人から教えを授かったのであれば、そりゃあ俺みたいな異世界人でも、馴染みのない魔法を上達させてしまうものだろうか。
「上手くいきすぎても、どうにも戸惑ったりするもんなんだな……」
いつも水浴びをしている、小さな滝のある池の畔で。
俺は岩の上に座っていた。
「ソウジの魔法ってさ、なんて言うか………」
「ん?」
隣には、エレンがいる。
かつてのツンツンした態度からは考えられないほど、こちらに身を寄せ、肩などはぴたりと密着しているし。
美しいプラチナブロンドの髪をさらりと風になびかせながら、彼女は、俺が手のひらの上で火・水・土・風の四種の魔法を最低出力で行使するのを隣で眺めていた。
「俺の魔法がなんだ?」
「んー……ソウジの魔法って、なんか、普通の魔法とは違う気がするんだよね……」
「? そうか?」
「いや、ウチもなぜかって聞かれると分からないし、根拠っていう根拠は、ないんだけどさ」
エレンが突然に言い出したことは、やや要領を得ないものの、しかし頭の片隅ではなるべく憶えていようと思う。
「………」
手のひらでは、どこからともなく土くれが集まってきて小さな泥団子を形成する。
すると次の瞬間には小さな火の玉として燃え上がる。
そしてどこからともなく水を集めて完成した五センチ四方の水の玉が、火の玉の数十センチ上から落下し、ジュッ、と高温の水蒸気を発生させて、火の玉が消え去った。
もうもうと立ち込める水蒸気は、高温の空気の塊として前方にヒュンと飛んでいくが、空中でそれほど温度を維持できるわけでもなく、次の瞬間には密度さえ維持できず、割かし近距離で霧散していた。
「ソウジって、風魔法、苦手?」
「苦手っていうか………いや、俺がまだまだ実力不足なのかもしれないけど。でも他の魔法より、思ったように効果が出せないのは事実だな」
「もしかして風魔法って弱いの?」
「もしかしなくとも、そうだろうな」
ふぅん、と頷いたエレンは残念そうだ。
エレンは魔法の威力こそ伸び悩んでいるが、魔法適性の幅の広さでは俺と同じくらいという才能を持っている。
そんな彼女は最近、他の魔法にやや遅れて上達してきた風魔法を持て余しているのだ。
「ソウジが言ってたシンクウ……? ウチも、一応できるようになったよ」
「ん、すごいな」
「あれってどうやって使えばいいの?」
「良い弟子は良い質問をしてくるなぁ……」
「えへへ。そりゃ、あなたの弟子ですから♪」
ただ、今のところ俺には、そこに明確な答えを返し、今後の明確な指針とするだけのビジョンがなかった。
風魔法に関しては、少し扱いが難しい。
その有用性についてだ。
攻撃手段としての起用のしづらさ。
例えば元の世界のゲームだのマンガだので見た「真空の刃」なんぞは、現実では、あるいは魔法でさえ、発生し得ない。真空で相手を切り刻むってどんな理屈だよ、という話。
敵を風魔法で素早く害したいのなら、かなりの高密度の空気弾を当てるか、超高温の風か超低温の風などをぶつけるくらいが関の山。風魔法でそれを効果的に実現するには、必ず他の魔法と併用しなければならず、戦闘中において出の遅さは致命的な隙になる。大量の魔力を使えば風魔法の威力は上がるが、その分だけ魔法は大規模になり、しかも対象の指定ができない。範囲攻撃で自分も巻き込まれたのでは本末転倒だ。これは他の魔法でも言えることだが………他の魔法こそ、対象を絞った魔法が、しかも殺傷力の高いものがそれぞれの属性ごとに存在しているだけに、風魔法の不遇っぷりは否めない。
真空、という特殊な状況を作り出せる風魔法に焦点を絞っても、維持可能な時間がわずか数秒であるのを鑑みても、戦闘における効果的な利用はまず難しいとみていいだろう。
まぁ、強風には強風なりの強みもあるし、敵の動きを鈍らせたり吹き飛ばしたり、大規模な行使で周囲一帯を荒らしたり……といった安直な使い道だけを想定するなら、一定の価値はあるものの。
ただし、それは「攻撃」というより「妨害」という向きが強く、こと対人戦で直接のダメージソースとするには、風魔法は他の魔法よりもやや不利な印象だ。総評としてはそんな感じ。
「すごい、風魔法、まるで良いところがないように聞こえるけど………ソウジって風魔法、嫌い?」
「いや、好きとか嫌いとかじゃなくて。強いか弱いかを考えた時に、他の魔法に半歩以上はどうしても後れを取ってしまうのが風魔法だって話だからな」
「火を起こしても水の玉を落っことしても土の壁を勢いよく砕いても、結果的に風って起きるものだしね」
「それな」
攻撃手段としては他の魔法が優秀過ぎるのもあるかもしれないが、そもそもにおいて風魔法というのは一つの属性ではなかったのではないか、そんな疑問さえ生まれて来る。
空気を熱したり冷やしたりしても気流は生まれるわけで、単体で存在する風魔法の起源からして既に謎なのだ。
誰かが何らかの目的のために体系化した魔法であるなら、もっと何かがあって良いはずだとは思うが……。
「ソウジが前言ってたさ、あのシンクウ? って、空気の影響を受けない、ってことっしょ?」
「厳密には空気抵抗と熱伝導がなくなるってことだけどな」
真空冷却というものがあるくらいだから、生成と維持の難しい真空というものは、そもそも逆説的に周囲の空気や熱と切っても切れない関係にあるのだろうが。
「じゃあさ、じゃあさ、クウキテイコウが減れば、投げた石ころなんかもめっちゃ速くなるってことじゃない!?」
「空気抵抗の有無が重要になるほどの速度領域の問題であるなら、わざわざ真空と他の魔法を組み合わせる手間こそ厭うべき、そんな結論になる気もするけどな………」
短時間だけ真空の空間を作り出せる風魔法もあるにはあるが、これは例えば石のつぶてを高速で射出する魔法なんかと合わせて、飛躍的に威力と速度を向上させることができる―――が、組み合わせの難しさもあって、実戦等への応用は見送られる運命にある。
結局、ヘタに殺傷力を高めようとしても、それなら俺が既に習得して使いこなせるまでに練度が上がっている【ウォーターカッター】で良くね、という話になってしまうように。
「難しいんだね………」
「本当にな………」
俺がいた元の世に溢れた漫画で風属性というものがもてはやされる理由が、俺にはついぞ理解できなかったというのもあるが。
断っておくと、俺は別に風属性アンチというわけではない。
ただ、それは本当にそれ単体で成り立つのかと思われる属性であるだけに、興味が尽きないだけなのだ。
だって風属性だけ、明らかに弱いからな。
むしろ属性ごとに強さの偏りがあるだけリアル、ということにでもしておこうか。
とどのつまりは、魔法を攻撃手段として見た場合、その本質は「物理」にほかならないのだから。
対象を直接熱したり冷やしたりするのでなければ、石の塊を射出してぶつけたり、氷の刃をぶつけたり、威力を極めた鉄砲水で切断したり、対象を燃やしたり………本当、どこまでいっても物理現象でしかないのだ。物理で殴っているようなものなのだ。
そこへいくと、風はどうだ。吹き付けたりそよいだりしたところで、他の魔法よりはダメージ量が明らかに少ないだろう。面での制圧力は高くとも、確実に相手を無力化するなら火や水の方が優秀だ。
やっぱりダメじゃないか風魔法。どうにか救えないのか、風魔法。
………まぁ、もういいか。いずれ来るべきブレイクスルーのために、風魔法の可能性を探りつつ、研究はやめずにいようか。新たな成果が出た時に、改めて戦闘への転用の是非を検討すればいい。
「まぁいいや。じゃあエレン、次は理科の授業だ」
「ほいキタ! ソウジ先生♪」
俺が話題を変えると、エレンは俺の隣ではしゃぎながらこちらに向き直る。
「はいエレン君、では本日の第一問! 一般的に、火属性の天敵は水属性とされているけれども、火魔法を同等の規模以下の水魔法で防いではいけない理由、分かるかな?」
「うーんと、それは………えぇと―――」
「ヒント:火の玉を水の壁で受ける際、水の壁の陰に隠れた人間が受ける被害を想像してみてくれ!」
「あっ、分かったっ! 答えは―――」
何はともあれ、学んでみるとやはり奥が深い魔法について、今のうちにたくさん研究しておくことにしよう。これが後に繋がると信じて。




