第二話 古代文明の声が聞こえる
信じられない!」
昨日突然現れた美人は、並木という名前で、俺と同じ学年らしい。その並木は、昨日と同じ場所、同じ時間である今、俺の目の前で烈火のごとく怒っている。
ベンチに座った俺の正面に仁王立ちである。これでは逃げようもない。あいにく今日の授業は全て終わってしまい、逃げる口実もない。
昨日はあんなに美人だったのに、そんなに怒ったら台無しである。
「今日はやらないから去れ。しっしっ」
俺が手で追い払っているのは、昨日突然喋り出した鳥である。今日も俺の隣に止まっている。
今日買ったパンは二つ。クリームパンとアンパンを一つずつ。甘いパンはブラックコーヒーにベストマッチする。このベストマッチのパンをくれと言うのだから、話にならない。
「二つもあるのだから、一つくらいいいだろう」
「やる訳ないだろ。何とか工面して買ったパンなんだ」
まさか今日も鳥が来るとは思わなかった。やはり馴れ馴れしい鳥である。
明日は場所を変えて食べよう。
「話を聞け!」
鳥の方に向いていた顔を並木に両手で挟まれ、正面に戻される。首から変な音がした。
しかし美人の顔が間近にあるという貴重な体験によって、感覚は麻痺し、痛みは感じなかった。
「はい、聞いてます」
並木は鳥が喋っているのに、特に驚いている様子はない。やはり鳥が喋るのは普通のことなのか。
「信じられない!」
並木が顔を近づけたまま、怒鳴った。声が大きい。
「俺も信じられなかったのですが、鳥が喋っているのは事実です」
「違うわよ!」
そろそろ鼓膜が震えに耐えられそうにないので、もう少しボリュームを抑えてほしい。周囲の学生からも注目を浴び始めた。
「うるさいのう」
鳥が俺の代弁をしてくれたが、並木に睨みつけられると、ホーホケキョと鳴いて、どこかへ飛んで行った。
「北見君は冒険を望んでたんじゃないの?」
並木はボリュームを落として、俺の隣に座った。
「望んでるさ。非日常的な何か特別なことが起きないかと願ってた。それで俺を現実世界から連れ出して欲しかった」
「だったらどうして私の手を取らなかったのよ」
「四限の授業だったから」
「授業と冒険どっちが大事なのよ」
「あの授業、出席が大事だから」
「単位と私との冒険どっちが大事なのよ」
再び顔を両手で挟まれ、思い切り潰される。美人にされたら、嬉しいことなのだが、目が全く笑っていないので、嬉しさより恐怖が勝っている。再び捻られた首も痛みを感じ始めた。
「ぐるじぃ」
俺の訴えに、彼女は手を離した。
「あんな恥ずかしい思いまでしたのに、信じられない」
あの芝居がかった行動が恥ずかしかったようだ。今思えば、とんでもない厨二病の行動である。まるで自分が選ばれた人間のような振る舞いは、確かに恥以外の何物でもない。
思い出すと笑ってしまいそうだが、思い切り睨まれているので、何とか耐えた。
「またこうやって誘いに来てあげたんだから、感謝しなさいよ」
今日はまだ誘われていないが、どうやら並木の言う冒険に誘ってもらえるらしい。
こうやって美人が連日会いにきてくれるんだから、確かに感謝したいが、詐欺ではないかと勘繰ってしまう。
「どうして俺を誘ってくれるんだ?」
「あなた毎日ここのベンチで、ブツブツつぶやいてるじゃない。現実がどうのとか、将来がどうのとか」
唖然とした。意識していなかったが、口から出ていたのか。しかも毎日。もう少し頻度が低いと思っていた。口から出ないように気をつけないといけない。
言い訳をさせてもらうと、俺が毎日ブツブツ呟いてしまうほど、働きたくないという願望が強いということである。
「冒険と言えば仲間じゃない。あなたはいつも一人でベンチにいるし、しかも現実から逃げたがってるなんて、うってつけの逸材だから声を掛けたの」
サークルに入っていない俺には、授業のある教室か昼を食べるベンチくらいしか大学に居場所はない。言葉にされると恥ずかしく思えた。そんな俺を観察して声を掛けてきた並木も一人だったのだろう。
「一人で旅行は寂しいもんな。分かるぞ、最初はわくわくするんだが、次第に一人でいることに不安を感じるんだよな」
並木の境遇を思い同情する。
「旅行じゃなくて、冒険ね。まあ、寂しいと言われれば、そうなのかな」
並木が少し照れた表情を見せた。
「以前にはね、古代文明調査サークルに所属していたんだけど、そのサークルがただのランチ会とか飲み会とか季節毎のイベントをやるだけの、クソみたいなサークルだったの」
「そんな嘘くさい内容のサークルで、真剣に古代文明の謎を解き明かそうなんて奴いないだろ」
「嘘くさい? 古代文明調査サークルって名乗っているんだから、古代文明の謎を、みんなで解き明かそうって思うのは当然じゃない。それなのに、古代文明の話を私が始めたら、みんな聞きもしない。分からないのかしらね、古代文明のロマンというのが。ただみんなで集まって遊びたいだけの、面白味のない人間には」
よっぽど嫌な環境だったのか、言いたい放題である。照れる表情が可愛かった彼女はもういない。
「古代文明は私たちに語りかけているの、それに耳を傾けるのが大切なの。この上野の骨董市で見つけた古代文明の遺産の地図も間違いなく本物の地図よ」
「は?」
話が急に具体的な内容になった。古代文明の遺産の地図、なんだそれは。
並木が筒状に丸められた紙を鞄から取り出した。
「百円で売ってるんだもん、驚いたわ」
「うわぁ」
「ほら、耳を傾けて。古代文明の声が聞こえるわ」
「うわぁ」
「それで、文明の声を聞くためにサークルも作るから。北見君も入るのよ。この地図が示す大いなる遺産を発掘し、謎を解き明かす冒険に出るわよ」
「うわぁ」
詐欺ではなさそうであるが、残念な人のようである。可愛いのに、残念な人とはもったいない。
「どう? ワクワクしてきたでしょ? 私もよ」
俺が引いてるのには、全く気づいてくれていない。
なんだろう。上手く言えないけど、俺が求めているものとは違う気がする。ただ、ここまで高まってしまっている人に、違うと言ったら、どんなことが起こるか不安である。
それに自分の求めているものは何なのか、考えてみるがぼんやりとして言葉にできない。。
でもあの地図嘘くさすぎて、ついていけない。
「その地図見せてもらってもいい?」
「え? もう始めるの? せっかちね」
嬉しそうに並木は地図を渡してきた。広げてみると、真新しい紙に地形図が書いてあり、ある一箇所に赤いバツ印が付いている。
「これが古代文明の地図だという根拠は?」
「骨董市で売ってたんだから、古代文明でしょ」
こいつ何言ってるんだと言わんばかりの表情を並木が見せた。これは結構な重症である。
「違う可能性もあるんじゃないか」
「逆に何の地図だと言うの?」
「小学生が埋めたタイムカプセルの地図なんていい線いってるんじゃないかな」
並木はもう一度、こいつ何言ってるんだという表情を浮かべた。
「北見君、あなた冒険を望んでるのよね?」
「いいや、違う」
後ろから男性の声がする。驚き振り向くと、そこに立っていたのはボーズ頭の格闘家みたいなガタイのいい男だった。鋭い目付きで俺らのことを見ていて、圧力を感じる。
「うわ、魔王だ」
並木がその男を魔王と呼んだ。
「この人が魔王か。初めて見たな」
魔王というのは、並木が自分の世界に入り込んで口走ったわけではなく、この大学の有名人で、留年し続けているという男のあだ名である。
噂で聞いたことはあるが、本人を見たのは初めてだった。
「こいつが望んでいるのは、日々生産性皆無のまま、ゲームをしたり、漫画を読んだりしての、時間の消費。こいつは堕落に溺れたいんだ。つまり、働いたら負け!」
魔王は俺の肩を掴んで顔を近づけてきた。
「そうだろぅ、兄弟」
「うわぁ」
あまりの馴れ馴れしさに思わず引くと、「どうした?」と魔王は首を傾げた。俺が引いていることに気づいてくれない。
「どうもしないです」と俺が正直に言えないでいると、魔王は「そっか」と満面の笑みを見せた。見た目とは違い恐い人ではなさそうだが、アホっぽいと直感した。
魔王は「俺と一緒に遊んで暮らそう」と、手を差し出してきた。遊んで暮らすという、夢のような誘い。この手を取れば働かなくて済むのか。昨日の並木に続いて、連日の甘い誘惑。
俺は抗うことが出来ずに手を伸ばそうとしたところで、並木が声を張り上げた。
「あんたいきなり何なの? 私が北見君と冒険に旅立つと決まったところを邪魔しないで!」
「邪魔なのはどっちだ。俺の方が先に見つけたんだ。毎日、毎日飽きもせず、ひたすら働きたくないと呟くその姿、俺は感動した」
並木に負けじと、本橋も声を張り上げた。俺はというと、恥ずかしくなって、二人から視線を外し、コーヒーを啜った。ぬるくなったコーヒーも嫌いじゃないなんて思うことで、気を紛らわせる。
それにしても他人にそこまで見られていたとは思わなかった。鳥と会話しているシーンなんか見られていたら最悪だ。確実に危ない奴だと思われる。
「北見っていうんだな。俺は本橋。今、八年生だ。陰で魔王って呼ばれてる。よろしく」
「よろしくお願いします」
魔王と呼ばれていることを知っているようだ。表情から魔王と呼ばれることが嫌でもなさそうだ。
「よろしくなんかしないでいいわよ」
並木が挨拶に割って入ると、本橋先輩が並木を睨みつけた。その容姿から、かなりの迫力であるが、並木も負けじと睨み返す。
「やっと俺は分かり合える相手に出会えたんだ、出会うのに八年かかった。それを急に横から入り込みやがって!」
「知らないわよ、早く卒業しろ!」
「無理ですー、出来ませーん」
大学は八年間までしか通えないと聞いたことがあるので、もうこれ以上留年できないんじゃないだろうか。来年からどうするのだろうか。
「先に声掛けたの私なんだから、どっか行きなさい。やっと見つけたんだから。私のことを分かってくれる人を」
「俺はずっと声を掛ける機会を探してたんだ。先に声を掛けようとしたのは俺だ。ただ、話し掛けたら迷惑かなとか、嫌がられたらどうしようとか考えたら、普通は躊躇うだろ。お前みたいにデリカシーのないやつこそ、どこかへ行け。俺は北見とモノポリーで世界大会を目指す」
「でかい図体して、何小さいこと言ってんのよ」
俺を奪い合って喧嘩をしないでほしい。




