第十話 襲撃2
すでに他の学生達は退避済みなのか、廊下に他の学生はいなかった。あれだけの爆破があれば当然すぐに逃げるか。
先程までの喧騒が嘘のようで、廊下には俺らが走る音だけ響いている。高鳴る心臓の鼓動を聞いてるようだ。
もうすぐ階段というところまで来ると、階段から登ってきた人物と鉢合わせた。
「2号」
「あんたは」
俺と2号、お互いに一瞬動きを止める。
もう2号が来るとは想定外だった。
「北見! しゃがめ!」
本橋の言う通りにその場でしゃがむと、頭上で破裂音がいくつも聞こえる。本橋が躊躇なくヒーローへマシンガンを連射していく。
「うりゃ」
続いて、屈んでいる俺を飛び越えた本橋は、怯んだ2号の顔面目掛けて回し蹴りを入れた。2号は壁に叩きつけられる。
素人離れした本橋の動きに驚いた。
「あんた前から思ってたけど、アホだけど色々すげえよ」
俺の賞賛に対して、本橋は反応を見せず、続けてマシンガンを2号目掛けて打ち続ける。
本橋が作ってくれたこのチャンスを生かすため、本橋を置いて、階段まで走り、一気に駆け下りて行く。右手にはきちんとPストーンを握りしめて。
この階段を降りてすぐの窓を開けて飛び降りる。イメージは出来ている。
三階と二階の中間地点の踊り場で、階段を折り返す。そこから二階へ降りる途中で気づいた。階段の下にもう一人誰かいる。走っている俺の視界は流れていて誰だか分からない。
そして階段を駆け下り、流れる視界の終点、二階に到着し、俺はそこに立っていた5号と対峙した。
「ごめんなさい、ここでお終い」
5号のスーツを身にまとった森下先輩はいつもと同じ優しい声で言った。今は変身していて、いつもの優しい表情は見えない。
「森下先輩も出動してたんですね」
「私は言ってないわよ。上が見つけちゃっただけ。所詮私も組織の犬なのよね」
「先輩のことは、疑ってないですよ」
「じゃあ何?」
「今は会いたくなかったです」
「どうする? 私を倒す?」
「汚いですよ、そんなことできないって分かっているのに聞くなんて」
「そうかしら? 生身のあなたと、変身した私。同じレベルだと思うんだけど」
「出来ないって、そういうことじゃないですよ! 俺が森下先輩を相手にするなんて出来る訳ないじゃないですか」
「そうなの? じゃあPストーンもらうわよ」
ゆっくりと5号が近づいてくる。いつでも攻撃してこいと言わんばかりの、無防備なままで。
でも俺は指一本動かすことが出来ず、ただ立っているだけだった。森下先輩への憧れが、俺の身体を縛り付けて動かせない。
至近距離で、5号と向かい合っても、何も言うことができない。5号も何も言わない。
近くで見る5号という存在は、表情が見えずロボットのように、ひどく無機質に感じた。
そして5号は、俺が掴んでいたPストーンを掴むと、ゆっくりと奪い取った。
「生ぬるいことを言ってたら、結局何も守れないわよ。あなたの考え方は幼過ぎる」
5号が耳元で囁いた。
すると、「返せ!」と叫び声が聞こえてきた。
声の主は、下から階段を這い上がってきた並木だった。
手と足にはヒーローが使う拘束用のバンドが巻かれている。
5号は並木の方を見ずに、俺と向かい合ったまま、何も言わない。動かない。
まるで奪い取られるのを待っていた俺の様に。
「俺はあなたと戦いませんよ」
それだけ言って、並木の方へ歩く。拘束されても器用に階段を上っている並木を抱えて、二階まで運ぶ。
「お尻までなら触っていいわよ」
「お前わざと言ってるだろ」
手が尻に当たらないように、慎重に抱える。
「意外と力あるじゃない。ギャップね」
「今、それどころじゃないから」
二階まで上がったところで、並木を床に下ろした。尻を触らないように。
「妬けちゃうな」
ようやく動いた5号がこちらを向いた。
5号の発言には特に反応せず、並木の拘束バンドを取ろうとする。
「返せ! 裏切り者!」
並木が5号に吠える。
「おい、動くなよ」
思ったより、拘束バンドが取りづらい。
「返さない。任務だから。裏切り者の言葉については受け入れるわ」
5号が並木に言い返した。
「お前がやってるのは、泥棒だからな。何がヒーローだ」
「あなたも勝手に持ってきたんだから泥棒じゃない」
5号はらしくないほど、ムキになって反論をする。
「私は冒険で手に入れたんだ」
「子どもがここにも一人いたわね。あなたの子どもっぼいところが、今は不快に感じるわ」
「お前だって楽しそうにしてたじゃないか。それなのに、それなのに」
「演技よ」
「もう森下先輩いいじゃないですか」
もうこれ以上、5号の言葉を聞いてはいられなくて、思わず声が出た。
「無理だ、手じゃ取れない。後で切るしかないな」
俺は並木にそう告げる。今、拘束バンドを取ったら5号に襲い掛かりそうな勢いなので、このままにしておいた方が良さそうだ。
「もう行ってください。俺たちの負けですよ」
「私に対して冷たいよ」
「俺にどうしろって言うんですか?」
「女心が分からないわね」
「どういう意味ですか」
「分からないなら、考えてよ」
先輩の突き放すような口調に、思わず言葉が詰まった。何も言えない俺を待つことなく、「それと」と5号が続ける。
「そこの子どもは一体何者なの? 普通じゃないわよ」
「任務も終わったし、行きますよ」
森下先輩の言葉の意味を考える暇もなく、2号が上の階から降りてきた。2号に対して5号は「そう」とだけ答えた。
「逃げるな! 返せ!」
並木の言葉は虚しく響くだけで、5号は2号の方へ向かう。
2号に引き続いて、本橋が階段を降りてくる。並木と同じ様に手足を拘束されているので、芋虫のように、身体をくねらせながらも、中々速い。
「会長、北見、悪い。負けた」
「勝つ気でいたのかよ」
立ち上がれないくらい叩きのめされたのかと思ったが、元気そうだ。ヒーローが一般人相手に全力で戦うことはあり得ないが。
「お前、ヒーローだって蹴られたら痛いんだからな」
2号が本橋のほうを振り向いて言う。
「ヒーローのくせに鍛え方が足りないんだろ」
負けたくせに本橋が返す。
「誰だか知らないけど、次会ったらただじゃおかないからな」
「こっちのセリフだ」
並木も本橋もヒーローに対して、敵意むき出しである。
二人とも芋虫みたいな形なのに。
「ここにいてもストレスが溜まるだけだ。もう行きますよ」
2号が一階へ下りていく。
5号がついていこうとしたが、一度止まって俺の方を見た。
「ねぇ、北見君。どうして私たちを置いて、ヒーロー辞めたの? 北見君がいなくなったヒーロー部隊大変よ」
心臓が大きく跳ねた。俺は目をそらす。
「まだどうしてか教えてくれないんだ」
何も言うことができない。
「まさか辞めたのに、まだ未練でもあるんじゃないの?」
5号はそう言って、Pストーンを持ったまま階段を駆け下りていった。
敗北と言えばいいのだろうか。被害に遭ったと言えばいいのだろうか。
感情としては前者で、実態としては後者だ。
入り口が爆破され、現在立ち入り禁止となっている部室棟の中、俺らは外へ出ずに部室へと戻った。
まだ昼過ぎなのに、静まり返った部室棟は何だか夜の学校のようで不気味な雰囲気だった。
ヒーローにPストーンを奪われた俺たちには、喪失感が漂っていた。
とりあえず三人とも座ったはいいが、何を話せばいいのか分からず、口を開くことができない。並木は肩を落として俯いている。空気打破の期待を込めて本橋を見ると目が合った。
俺の意図を汲んでか、本橋は迷いながらも口を開いてくれた。
「北見、お前ヒーローだったのか?」
本橋は予想していなかったことを言ってきた。
「そうだよ」
思い出したくない過去。意識して平静に答えた。
「羨ましい」
「は?」
「俺はヒーローになりたくて、アホみたいに鍛えてたんだから」
「アホみたいじゃなくて、実際アホだろ」
「でもヒーローになれなくてさ、諦めて働く訳にはいかないで、それで大学留年し続けたんだよ。いつしか気持ちは折れてたけどな」
「やっぱりアホだな」
「お前、さっきから、俺先輩だぞ」
「先輩のくせにアホだな」
「いつか殴る」と言って、本橋が笑った。
「でもヒーロー辞めたんだな」
「辞めた。辛くて。やっぱり俺働くの嫌だってその時悟った」
ヒーロー時代の記憶。思い出そうとするだけで、胸が少し痛む。
「働くって言ったって、ヒーローだぞ。サラリーマンじゃねえんだぞ」
「サラリーマンになってないから分からないけど、一緒だと思う。ヒーローも結局組織の駒だったよ」
「やめろよ、俺の夢壊すの」
「なったら分かるさ」
本橋が、「えー」と大袈裟に天を仰いだ。
空気も変わり、本橋のおかげで多少喋りやすくなった。ずっと黙ったままの並木の方を向く。
並木は俺の視線に気づいて、無理矢理な笑顔を急いで作った。
「元ヒーローなんて言って、また私を誘惑しようとしてるの?」
「またって何だよ」
今のタイミングでの笑顔は場を取り繕うためのように思えて、胸騒ぎがする。普段の並木はそんなことをする奴ではない。
「短い時間だったけど、元ヒーローと魔王と一緒に冒険ができて良かった。ありがとね」
もう俺らの活動がお終いのような言い方に聞こえる。自分の予感が当たりそうで、心臓の鼓動が一気に早くなった。
「何だよそれ。何て言うか」
お終いみたいじゃないかと続けようとしたが、言葉にするとそれで本当に終わってしまいそうで、続けることができなかった。代わりの言葉を繋げようとしたが、何度か口を開いてみても出てこなくて、「何だろうな」と言って誤魔化した。
そんな俺を、並木が見守るような暖かい表情で見ている。
やめてくれ。まるで他人に接するような、そんな顔は見せないでくれ。
すがるように本橋を見ると、何かを覚悟したかのように、歯を食いしばっているようにきつく口を真横にして、目を閉じていた。
そんな男らしさをみせないで、俺と一緒に女々しくいてくれ。
「もう私たち集まるのやめよう」
俺にとどめを刺す言葉を並木が発した。
「何でだよ! またみんなで何かを探しに行けばいいだろ」
「何でだろうね。せっかくみんなで冒険に出かけて、やっとお宝見つけたのに」
並木が身体を震わせる。
「本当に何でだろう。やっと見つけたのに。あれは私の復讐だったんだ。今まで私についてこなかった奴らに見せつけてやろうと思ってたのに。でも結局手元には何も残ってない。あいつらに笑われる。私、間違ってたのかな」
俺と本橋にとっては、驚くほど簡単に物事が進んでいったが、並木にとってはそうではない。サークルにも入ったが賛同を得られず、並木は一人でもがいて、ようやくPストーンを見つけて、自分を証明した。
俺はあの時、Pストーンを渡すべきではなかった。
俺はPストーンの大事さを認識していなかった。並木を傷つけた。後悔しても遅い。
「だからもう諦める。みんなにも悪いし」
「悪くなんかない」
「言い訳させてよ。悪いことにしてよ。もう私続けること出来ないから」
「でもさ」
「北見」
本橋が制するように俺の名前を呼んだ。
「分かってやれよ」
分からない。俺は何も言わない。
「ありがとう。楽しかったよ」
楽しかったなら、まだ続ければいいのに。言葉にはしない。
並木の言葉で俺らのサークルは解散となった。終わりなってようやく気づく。俺はこのサークルを辞めたくなかったんだ。
あの時と同じだ。俺は受け入れられない現実に流されて漂流する。




