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第一話 コーヒーとパンと鳥

俺が生まれる少し前、二十何年とか前には、世の中にヒーローがいなかったらしい。当然、ヒーローの敵である怪人もいなかったそうだ。では世の中が平和だったのかというと、違うようで、犯罪は常に発生していたし、世界でどこかとどこかは戦争をしていたそうだ。平和の実現のために常に誰かが戦っている。

ヒーローがいなかったら、怪人によって世界は目茶苦茶になっていたのだろうか。そうではない。怪人が現れたから、必然的にヒーローは造られた。怪人がいたら、当然ヒーローもいるのだ。では、怪人も現れず、ヒーローもいない世の中だったら、俺はどんな大学生になっていたのだろうか。想像もつかない。それぐらいヒーローというのは当たり前の存在だ。

しかし怪人が表向き活動していない今の世の中にヒーローが必要なのかどうかは、世間の意見は分かれていて、税金泥棒なんてことを言い出すやつもいる。

でも、ヒーローが怪人から世の中を守ってくれたのは確かだ。今もヒーローが怪人撲滅のために戦っているのも確かだ。

それを踏まえても俺にはヒーローが必要かどうか分からない。




地下鉄の駅を出ると、揚げ物の油や調味料の匂いに鼻が刺激される。地上への階段を上れば、そこには学生街が広がっている。

学生街といえば、学生飯である。あちらこちらに、ラーメン屋、定食屋、カレー屋、牛丼屋、はたまたエスニック料理屋、ここでは食べるものに困らない。学生が困るのはお金だけ。

大学のキャンパス内にあるベンチに座り、本日の昼食であるクロワッサン一つとホットコーヒー一杯を大事に楽しんでいる俺も、例に漏れず、金に困っている。

そんな万年金欠の俺でも、昼飯はパン屋のパンにコーヒーチェーン店のホットコーヒーというのは、譲れないこだわりである。コンビニのパンでは納得できず、缶コーヒーはコーヒーと認めていない。

油でギトギトだったり、通常の三倍はありそうな大盛り料理という甘い誘惑に目をつぶり、割安である学食でさえ贅沢のレッテルを貼り付け、節約しつつ、パンとコーヒー代を捻出している。

今日購入したパンは一つだが、大学近くの有名なパン屋の、少し高めのクロワッサンをキャンパス内のベンチで食べているのは、俺のささやかな贅沢である。

雲ひとつない快晴が、俺の贅沢をワンランク上げてくれている。

そんな贅沢体験中の俺だが、思わずため息と独り言が出た。

「働きたくない」

いつからだったであろうか、たまに襲ってくる、この負の感情。将来のことを考えると、具体的に見えてくる労働という恐怖に襲われる。

大学二年生の俺にとって就職なんて遥か未来の話と思っていても、それはいずれやってくる終末。

このまま社会の歯車となって、生きて行くのか。あまりの絶望感で、なんだか全てを投げ出したくなってくる。


ふと隣を見ると、ベンチの空いているスペースに鳥が止まっていた。目が合った気がする。

パンに釣られてやってきたのか、鳥は逃げる素振りを全く見せない。

「喋ったら、パンやるよ」と、鬱々としていた俺は半ばヤケになって鳥に話しかけた。

すると「本当か?」と鳥が答えた。

鳥がだ。

再び目が合う。

「ごめん、冗談だ」

「最近の若いモンは、平気で嘘をつきよる」

どうやらこの鳥、喋っている。何か機械でも付いているのかと、右左と覗き込むが、不自然なものは見当たらなかった。ロボットの可能性もあるので、間近で見てみるが、よく出来ていて判断できない。

最後に平手で軽く叩いてみると、「随分無礼なやつじゃな」と怒られた。

質感も本物である。鳥に触ったのは生まれて初めてだが、温もりに生命を感じた。

「喋るのか?」

「お前が喋れと言ったのだろ。ここのパン屋のクロワッサンは絶品だからのう。釣られてしもうた」

鳥は器用に右足でパン屋の袋を指した。

「これでは喋り損だろう。パンがダメなら金を出せ」

今度は器用に嘴を開閉させてカツカツと音を鳴らすと、金を要求してきた。金を嘴に挟めということだろうか。ここまでくると認めざるを得ない。この鳥と俺は会話をしている。

喋るという奇妙な鳥との邂逅。この出会いはもしかしたら異世界への冒険の始まりなのだろうか。あるいは、俺の助けを待つ囚われの姫からの伝言役なのだろうか。とにかく何かが始まった気がした。

ただ今のところ、物語が始まるキッカケとなりそうな単語が登場しない。カツアゲされそうになっているだけだ。

「金ならない。貧乏大学生ナメるなよ。たかる相手を間違えたな」

「では、パンを出せ。漢に二言があってはならんぞ」

渋々パンを差し出そうとしたところで、ハッと気づく。こいつを餌付けし、手懐けた暁には、金儲けに使えるのでは。そしたら働かなくてもいいのではないのか。

「お前みたいに喋る鳥って珍しいのか?」

「インコだって、オウムだって喋るだろ。小生が喋ったところで何の摩訶不思議もないだろ」

「そうか、そういうものか」

確かにテレビで、喋るインコも喋るオウムも見たことがある。

恥ずかしいことだが鳥に納得させられた俺は、鳥が喋ることを至極普通のこととして受け入れ、鳥に対する興味が急速に失われた。

コーヒーを啜り、溜息をもう一度ついた。いつもより苦く感じたのは豆のせいではない。色づいて見えた未来の世界が再び白黒となったからだ。

「もういいや、どっか行け。しっしっ」

「お、おい。急にどうした」

 鳥が羽をばたつかせる。

「パンならやるから、他の所で食えよ。期待して損した」

「どうした、どうした。お前と小生の仲ではないか。これでさよならとは寂しいではないか」

なぜか鳥は慌てるだけで、この場を去ろうとしない。たった今会ったばかりなのに、仲がどうだの、寂しいだの図々しい鳥である。

「お前は物語の鍵でもなければ、金脈でもない。俺のパンの略奪者だ。そんな奴は即刻俺のストーリーからご退場いただきたい」

「待て、待て。確かに小生はパンをお前からもらう。だがそれはお前がくれると言ったのではないか。それに、鍵? 金脈? 一体何の話だ?」

「俺はお前に失望した。未来に希望が見えない俺に、お前が希望の未来を見せてくれると一瞬でも期待した俺がバカだった」

「お前はだから何を言って・・・」

「働かないで生きていけると思ったんだよ! 現実から脱出できるような期待させといて! とにかく俺は働きたくねーの!」

鳥の言葉を遮り、俺の魂の叫びがキャンパスに響く。


「じゃあ私と一緒に来る?」

背後から突然女性の声がした。驚き振り向くと、女性は笑顔で俺に右手を差し出してきた。手を取れということだろう。女性の年齢は恐らく俺と同じくらい。左手で長い綺麗な黒髪を耳に掛けると、再び口を開いた。

「私は分かるよ。君の気持ち」

「あなたは?」

彼女は俺の問いかけに答えず、代わりに笑顔を返してきた。目と目が合うと、ミステリアスな雰囲気に心臓の鼓動が早くなった。

「で、小生のパンは?」

鳥が邪魔をしてきたので、黙らせる意味を込めて、食べかけのクロワッサンを嘴に突っ込んだ。

仕切り直して女性を見ると、力強さを感じさせる切れ長目で真剣に俺を見ていた。

「俺のことを分かってくれるんですか」

女性は小さく頷く。

「私の手を取ったら、もう日常生活には戻れないかも。それでもいいかな」

首を傾げた彼女は天使か悪魔か。

ついに俺の物語が始まろうとしている。彼女の手を取れば、俺は選ばれしパイロットとなり、人類の敵と戦う使命を帯びる。あるいは、過去へ戻り誤って進んでしまったこの世界を修正する時間旅行に出る。

不安がない訳じゃない。でも彼女となら、どんな困難だって乗り越えられる。だって、すごい美人だし。

何より彼女の手を取れば、働かなくていいんだ。

彼女の甘い誘惑に、俺は抗うことが出来ず、彼女に手を伸ばす。


そこで、はたと気づき、手を止める。今何時だ?

スマホで時間を確認し、急いで勉強道具が詰まったリュックを背負う。

「これから四限の授業なんで、今日はすいません」

女性は手を差し出したまま、唖然としているように見えたが、授業をサボる訳にはいかない。学生の本分は勉学だ。

走って教室へ向かおうとしたところ、鳥はクロワッサンを食べ終え、ピヨピヨ言いながらどこかへ飛んで行った。美人は手を差し出して固まったままだった。


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