実は足し算もできない……
『割り算のできない大学生でどこが悪い?』
↑このエッセイ、そんなに歪んでいたでしょうか?
応用問題を見て公式なんか知らなくても、導入式を閃き、方程式や関数を組み立てることのできることの大切さを訴えたエッセイです。
そうして作った関数を解く暗算や筆算の単純計算の速度や正確さは、まあ役には立ちますが、それはPCに任せるのが現代、という趣旨です。
ついでに、私の別のエッセイ、
『あなたは正常ですか?』
↑を、読んでいただければご理解下さると思うのですが。
(個人の認識のズレ、を記したエッセイです)
では始めますね。
・ポケットを叩いたらビスケットは?
1+1=1
1-1=2
1/2=2
1×2=1
これらの答えは、幼稚園児が粘土遊びをしているときに、粘土の塊の数を数えた例えですよ。
一つの塊にもう一つ塊を足したら大きな塊一つ。
一つの塊から一つ塊を抜いたら、小さな塊二つ。
一つの塊を二つに千切ったら塊二つ。
一つの塊が二倍なら二倍の塊が一つ。
いかにも子供が考えそうな間違いでしょう?
でもそれを頭ごなしに、子供の弁解も聞きもせずに、バカ扱いするのはよくないということです。
むしろこんな間違いをする子供の方が、ものごとの本質に迫ってくれるかも。
もちろんこのままでは、学校の算数についていけなくなりますから、きちんとほんらいの算数を教えて守らせないといけませんけれどね。
おっしゃる通り、そもそも世界に、正確な 1 なんてものは、数学の概念上しか存在しません。数とは概念です。
ひとつ、ふたつと数える同じものにも、微妙に誤差があります。
(原子や素粒子レベルでは同じなのかもしれませんが……揺らぎが加わると? 量子力学とかは私には理解不能ですし、話がそれるのでお許しください)
リンゴの個数はいくつかな、の問題につまずく子供は、リンゴにだって大きさ、形、重さ、いろいろあるよね、とか、必死に考えているものですよ。
それを単にすべて同じ 1個 とみなしてしまうのが算数です。
こちらの方が机上の空論です。社会へ出て応用問題にとりかかったときにこんな考えでは、どんな悪影響が出るか?
粘土なら量ですし。こんななにかを測るなら、単位はそろえなくてはいけません。
それなのに、学校のテストって、こうしたこといちいち記されていないのですよね。
こうした踏み込んだ話題こそ、たまに授業で話されるべきなのに……
私は問題児で構いません。科学的にも歴史的にも、生き物にはイレギュラーがいてこそ、長続きすると知っていますし。(平時の社会には大迷惑でしょうが……)
みんながみんな同じでは、環境が変わったとたんに全滅してしまいますよ。
妙な誤解と軋轢が生まれてしまいましたが。
まあそれは、あくまで問題を解決するアプローチに当たってのこと。
PCプログラミングって、型指定がたいへんで。
論理型 1、true 0、false
整数型
実数型
文字型
文字列型
バリアント型
……などなど続きます。
論理型の論理和における、
1+1=1
に関しては、この場合は。
「1」が「真(true)」を表し。
「+」が「論理和(or)」を表し。
ですから、この場合の 1 は数値ではありませんね、失礼しました。
この場合の + も、加算記号としてのものとは働きが違いますし。
「=」の意味こそ変わりませんが、数式だとかなり扱いが違ってくるのですよね。
たいていプログラミング言語だと、「=」は代入演算子にされているからややこしいですし。しかも代入演算子として扱われるのが圧倒的で、比較演算子として処理されるのは少ないですし。
私は過去、少しだけプログラマをしていました。抽象概念を数式に置き換える、自ら function を構築する仕事です。それで知りましたが……
・論理学に矛盾在り……
肯定の肯定は肯定に思えて、相対的肯定の対立から否定になってしまうことも。
否定の否定は肯定に思えて、別の否定になることも。
肯定の否定は否定に思えて、同じ論旨の肯定なのになぜか論議が堂々巡りなことも。
だから人間、多少意見が食い違っても、仕方ないし。ラッキーなら許し合えることもあることも知っています。
仮に間違えていたとしてもいいや。どうせ私は大学生ぢゃないもん。
再度アップします。(/・ω・)/
一昨年は波乱していたな。錯乱というか。