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雪と死に神

作者: エバンス

    雪と死に神


朝、起きると雪が積もっていた。

 寝た後から降り出し、起きる前に止んだらしい。

 いつもの窓から、いつもと違う風景を眺めた。アパートの前に広がる道路、小さな公園、近所のパン屋の看板。雪がすべてを白く染めていた。雪が積もっているというよりは、白いコートを身に纏っているようだった。

 僕は着替えてアパートの外に出た。雪があまりにもきれいだったからだ。

 吐く息が白い。吐いた息は、少し戸惑い空に消えた。空にはまだ太陽はなく、くすんだ青色をしていた。

 マフラーを耳までひっぱりあげて、アパートの階段を降りた。カンカンという音が鳴りすぐにきえた。雪が音を吸収しているからなのかもしれない。

 誰の足跡もない雪の絨毯。足を下ろす度にサッサッと、シャーベットをくずす時のような音がした。

 粉砂糖のような雪だった。両手ですくってみると、サラサラと指の間からこぼれおちた。何度かそれをくりかえした後、息を思いっきり吸ってみた。

 鋭く、冷たい空気が肺に満ちる。細胞の一つ一つが、ぴしぴしと音をたてて目覚めていくような気がした。

 さて、少し散歩でもするかな。と僕は思った。幸い今日は日曜日で昼まで予定はない。彼女のいない大学二年生にはまず悪くないアイディアだと思った。

 少しぶらぶらしてから、近所の公園へ行った。子供の姿のない公園は、主を待つ犬のように寂しそうだった。

 すべり台、ブランコ、シーソー。すべてが雪を纏い、その姿を大きくしていた。僕はそんなところにいると、ひどく落ち着かない気持ちになった。巨人の国に迷い込んだ小人。そんな感じだ。

 なるべく雪の積もってないベンチを見つけ、腰をおろした。タバコを吸おうとして、自分が震えていることに気づいた。寒いからではない。魂が体から脱け出そうとしている、あるいは、体が魂をお追い出そうとしているのだ。いやそのどちらでもないかもしれない。ただ一つ確実なことは僕が、僕であることを拒否しているという事だけだ。

 よくある事だ。中学生の時から始まり、その時は半年に一度程度だったのがどんどんひどくなり、今では一週間に一度のペースでやって来る。僕の根底にあるものを揺るがす激しい震え。

 瞳を閉じ、自分の心と向かい合う。深く,深く、自分の心の底まで潜っていく。どんな色なのか、どんな形なのかさえ分からない魂に触れてみる。生まれたての赤ん坊に触れるようにそっと。ただ、そこにあることを確かめるだけのために。

 次はそれを囲む。誰も入って来れないように。魂が傷つかないように。高く、厚く、黒い壁で。

 この作業はちょうど、面白味のない自己紹介のようなものだ。

 A型です。好きなスポーツはサッカーです。嫌いな食べ物はチーズです。・・・・・・

 主観性はいらない。必要なのは客観性だけだ。自分は周りから見て、どんな人間なのか、どんな人間ではないといけないのか。自分のフィルターを通さずに認識する。

 次に、それを固める。ペタペタと何度も、何度も。崩れないように、壊れないように。自分が消えてしまわないように。

 中学一年生の時から僕はこうやって生きてきた。十年間ずっとだ。

 

 気がつくと。僕の隣に少女が座っていた。自分でも驚くくらい驚かなかった。まだ少し混乱しているのかもしれない。

 まだ中学生だろう。髪は不自然なほど黒く、長い。鼻筋はスーと通り、唇は今出来たばかりのようにつややかだった。瞳は受ける光によってその色を変えているように見えた。

 美しく、それ以上に儚かった。まばたきをしている間に、雪に溶けてしまいそうなほどだった。

 彼女は前の方をじっと見ていた。まるで雪の上に何か僕の見えない物が見えているようだった。

 風も、鳥も、ブランコも彼女のために息を潜めているように思えた。

 何かきっかけが欲しくて、咳払いをしてみたがその音は驚くほどひびかなかった。

 「ねえ。」彼女は姿勢を崩さずに言った。

 「こんな所で何してるの?」

 高くもなく、低くもない声。トーンと胸に届く。

 「別に、ちょっと考え事をしていただけだよ。」本当の事ではないが嘘も言ってない。

 「嘘」

 「嘘って?」

「あなたは嘘をついてるってこと。」

 なんだか、それは僕には死の宣告のようにも聞こえた。

 「なんでそんな事が分かるんだろう?」出来るだけやさしく言ってみた。

 「なんとなく。私には分かるの。」まだ前方を見つめている。

 「そう。ならそうなのかもしれない。」

  彼女は不思議そうにこちらを見つめた。初めて彼女がみせた表情らしい表情だった。

 視線がぶつかり、ゆれて、きえた。

 彼女の瞳は雪解け水のように、透き通っていた。その瞳はみるのも全てを水面に映すのだろう。

 僕はなんだか、落ち着かない気持ちになった。こころがザワザワと音をたてているような気がした。

 「じゃあ。」と僕は言って公園の出口に向かって歩き出した。振りかえる事はしなかった。振りかえると、彼女が消えているような気がしたからだ。

 家に帰ると、シャワーを浴びて、そのままベットに飛び込んだ。体がまだ、ガチガチと震えていた。僕は自分の体を自分で抱きしめた。そうしてる内に急に眠りに落ちた。意識の束が斧でバチンと切断されたみたいだった。


 夢の中で、僕は工場で働いていた。全体的に灰色をした工場で、広さは高校の体育館ぐらいあった。僕はベルトコンベアを流れる人間の頭に髪の毛を装着していた。

 ここは死に神を作る工場だ。死に神というと、人間の骸骨で鎌を持ち、黒いマントを羽織っている、というイメージがあるがそれは間違いだ。そんな死に神なら歩いてイルだけで、目立ってしまって、人の命を奪うどころではないだろう。実際は本物の人間に限りなく近い。まあ、僕達がそう作ってるだけだが。それが会社からの命令なのだからしょうがない。

 しばらくその作業を続けていると、昼休みを告げるベルが鳴った。僕は先輩の五十嵐さんと昼食を食べに行った。いつもなら、工場の中庭で弁当を食べるのだが、五十嵐さんが奢ってくれると言うので、着いて行った。

 なかなか良い雰囲気のレストランだった。心地よい音楽が人の会話を邪魔しない程度に流れていた。

 「おう、何にする?」と五十嵐さんが言った。

 「じゃあ、僕はシンパシーの雪和えで。」僕がそう言うと、五十嵐さんは満足そうに笑い、

 「おう、お目が高いねえ。ここは活きの良いシンパシーで有名なんだ。」と言った。

 「そうなんですか。今では国産物のシンパシーは高いですからね。」

 「おう、そうだな。じゃあ、俺は構造主義のお造りで。おばちゃん頼むよ。冷えたコンプライアンスを二つ付けてね。」と五十嵐さんが大声で言うと、店の奥から

 「あいよ!」と威勢の良い声が聞こえた。

 「先輩、良いんですか、コンプライアンスは会社で禁止されてるんじゃ。」

 「おう、良いんだよ。死に神作りなんてしょっぺ―仕事の飲まなきゃやってられるか。」おう、というのは五十嵐さんの口癖だ。五十嵐さんが居るところからはどこでも、おう、おう、と聞こえてくる。

 食事が運ばれてきた。確かに冷えたコンプライアンスは絶品だったが、すこし頭の奥がカチカチと点滅している気分になった。午後からの仕事に支障が出ないか、心配だった。

 「あのー、先輩一つ聞いても良いですかね。」

 「おう、なんだ、俺にドンと聞いてみろ。」と言い実際に胸をドンと叩いた。五十嵐さんはなんと言うか、そういう人間なのだ。

 「何で、僕達は死に神なんか作ってんでしょうか?もしかしたら自分の命を奪いに来るかもしれないんですよ。」

 「おう、お前も、もうそんな時期か。」

 「そんあな時期あるんですか?」

 「おう、ある。ない?いや、ある。その時期を越えればお前も一人前の死に神作りになれる。でも、その時期にやめる根性無しもいっぱい、いる。さあ、お前はどっちかな!」と言って五十嵐さんはガハハと豪快に笑った。

 五十嵐さんはその笑いで、僕の相談事が吹き飛んだと思っているようだ。その後はいつもみたいに、あしかについての話になった。五十嵐さんはなんと言ったってあしかに目がないのだ。

 午後からは液体付けにされた、指を一本一本、手にはめていく仕事だった。液体の匂いがきつくて、気持ち悪くなったが何とかやり遂げた。

 仕事終わりに、同僚からアドミニスレ―ターを見に行かないか誘われたが、断った。いつまで経っても慣れない仕事に少しうんざりしていた。安アパートに着くと、熱い風呂に入って、冷たいビールを飲み、買ったばかりの本を読んだ。

 椅子に座ったまま、うつらうつらしていると、ドアをドンドンと叩く音がした。ドアを開けると、金髪のショートヘアの美しい女性が立っていた。

 「死に神です。」とその女性は言った。気絶なりそうな程、甘い声だった。彼女が僕の頬に触れた。すると、僕の意識はするすると抜けていった。


 頭の奥で、バチという音がして目が覚めた。時計を見ると、もう昼前だった。僕は驚いた。眠っていた感触は全くなかった。まるで一瞬の内にタイムスリップしたような奇妙な気持ちだった。

 昼からは家庭教師をする予定の家に挨拶に行かなければならなかった。初めは家庭教師を派遣する会社に入っていたのだが、浪費する時間の割りに給料が少ないので、やめた。幸いな事に教えるのは上手い方だったのですぐに固定客がついた。それに主婦の間で評判が広まったのか、仕事は尽きる事がなかった。

 今日の昼に訪れる家は家庭教師が初めてなので、会社の宣伝文句より、主婦間の情報網を信じ、僕を選んでくれたらしい。親に気に入ってもらう為のポイントはいくつかあるが、僕が一貫して貫いている姿勢はただ一つだ。それは僕が親なら、どんな家庭教師に来て欲しいのかを考えるのだ。そして出来るだけ具体的なイメージにし、それを出来るだけ忠実に再現するのだ。

 僕は清潔な服を着て、家を出た。訪れる予定の家はそんなに遠くはない。まだ昼ご飯を食べていなかったが、時間に遅れて印象を悪くするよりはましだ。

 電車をいくつか乗り継いで、予定の家まで行った。なかなか大きな家で少し緊張した。嫌味じゃないぐらいに西洋風でセンスが良いな、と感じた。ふーと深呼吸をしてインターホンを鳴らす。はい、と言う声がして玄関の扉が開いた。もちろん引き戸じゃない。

 綺麗な人だな、というのが最初に感じた事だった。でも、そのすぐ後に何故か違和感を覚えた。それが何かは分からなかった。

 「あの、家庭教師で来ました。」と言い名前を名乗り、名刺を差し出した。名刺はフリーになってから、作った。形だけのものだが、相手を安心させる効果はある。

 「あ、そうだったわね。今日だったかしら。」と独り言を言っていたが、僕が不思議そうな目で見ているのに気付いたのか

 「あ、ごめんなさい、どうぞ上がって。」とスリッパを差し出した。

 「おじゃまします。」と僕は言いスリッパを履いて、リビングに案内された、テーブルに座った。リビングは広く、片付いていた。いささか、片づけられ過ぎていた。そこで僕は前に感じた違和感の正体が分かった。生活観が無さ過ぎるのだ。僕の目の前でお茶を入れようとしてくれている彼女もエプロンは着けてないし、まるでこれから外出するような格好をしていた。もしかしたら、父親がいないのかな、と思ったが口には出さなかった。僕が詮索する問題じゃない。僕はただの家庭教師だ。

 お茶を飲みながら、仕事の話をした。お金の話や、僕が教える事の出来る教科の種類、レベル、それに子守りの仕事はやってないという事も話した。他の家庭と違い、ここの母親は聞き分けが良かった。というより、ほとんど話を聞いてないようだった。

 僕の話が終わってからも、彼女は何故かボーっとしていた。

 「あの、それで僕の教えるお子さんは。」と僕が言うと、初めて気付いたように

 「あ、ごめんなさい、すぐに読んでくるわね。」と言い、ドタバタと二階に上がっていった。僕の経験上、子供に無関心な親の子供は、大体において、生意気で、自分は大人だと思っており、扱いにくかった。

 階段を降りてくる音が聞こえて、そちらに目を向けると、親の後ろに少女が立っていた。その少女を見た瞬間、僕は言葉を失った。その子が今朝会った女の子だったからだ。でも、今朝ほどの儚さも、美しさも、この家では影を潜めているように見えた。僕がこんなに驚いているのに、彼女は表情一つ動かさなかった。彼女は僕の事なんて覚えてないのかもしれない。

 「ほら、挨拶しなさい。」と母親が言うと、娘は

 「斎藤ユキです。」と言った。表情は全く変わらなかったが、声には精一杯の気だるさが込められていた。

 「よろしくね、ユキちゃん。」と僕は言った。

 ユキは僕の顔をじーっと凝視した後

 「あんまカッコ良くないね、今回は。」と言った。興味は無いんだけど、と言う風な感じだった。

 今回は?と僕は思った。家庭教師を雇うのは初めてだと聞いていたが。

 「あ、やだあ、違うわよ、ユキちゃん。この人は私の彼氏じゃないわ。ただの家庭教師よ。」と母親は友達に言うかのような口振りだった。

 「そうなの。私にとっては関係無いけど。」とユキは言った。

 僕は親子の前で絶句していた。色々な親子を目にしてきたつもりだが、こんなに子どもに対する影響を考えない親も、これほど無関心な子供もはじめて見た。さすがの営業スマイルも崩れそうだった。

 「そうだよ、僕はただの家庭教師だよ。」とかろうじて言ったが、誰も聞いてなかった。

 「そうだ、先生、昼食は食べましたか。」と母親が言った。

 「いえ、食べてません。」と僕は言った。何かをご馳走してくれるのだろうか。

 「じゃあ、ユキと何処かで食べてきてくれませんか。先生なら安心ですもの。私、今からちょっと出かけなければいけなくて。」

 「あの、ちょっと。」子守りはしないって言わなかった、俺。

 「大丈夫ですよ、お金は出しますから。ねえ、ユキ良いでしょ。」

 「良いけど。」とユキは言った。こういう状況に慣れているのか、なんだかあきらめている様子だった。

 「じゃあ、先生これでお願いしますわ。」と言って一万円と鍵を僕に渡してきた。

 「鍵はしっかりとかけてくださいね。お釣りはもらって結構ですよ。」と言い、ユキの頬にキスをして

 「じゃあ、行ってくるわね。」と言って出かけて行った。あの慌てぶりだと、最初から僕をあてにしていたのだろう。

 「今日はいつも来ている家政婦さんが居ないから。」ユキが独り言のように言った。

 お母さんは何の仕事をしてるの、お父さんはいないの、一人でいる時間は長いの、あれこれと質問が浮かんだが、言わなかった。というか言えなかった。ユキの凛々しいともいえる顔を見ていると、そういう質問をするのが失礼だと思った。

 「じゃあ、飯でも食いに行くか。」と僕が言うと、ユキは返事もしないでついてきた。

 これから数時間の間、この子と二人きりか、と思うと気が重くなった。玄関を開け、雪で真っ白になっている道路を見た瞬間、意識が薄れ、不吉なイメージが浮かんできた。


 視界がだんだんと開けてきた。暗闇がひび割れ、光が射し込んでくる。意識が戻って初めて見えるのが死に神だとは、僕はついていない。

 金髪の死に神はベットに寝転んでいる僕の脇に立っていた。その目からは、何の感情も伝わってこなかった

 「何故だ。」と僕は言った。

 何を言っているの、と言う風に死に神は首を傾げて見せた。作り物の髪の毛が揺れる。

 「寝ている隙に、僕の命を奪う事も出来るだろ。」死に神は一瞬で、人間の命を奪う事が出来る。掃除機でゴミを吸うみたいに。その事は死に神を作っている僕が1番知っている。

 「ただ命を奪うだけなら、死に神じゃなくても出来ますよ。」と言って死に神は笑った。その笑顔は死に神である事も考慮しても、素敵だった。

 「どういうことだ。」と僕は言った。体がまだ重く、だるかった。

 「私達、死に神は何故人間の命を奪うと思いますか。」

 「知るかよ、僕は死に神じゃないからね。」

 「考えた事も無いでしょうに。」

 「まあ。そうかもしれない。」実際こうやって死に神を本当に目にするまで、どこか性質の悪い冗談かもしれない、という思いがどこか心の中にあった。

 「私達は、人間になりたいんです。それも素晴らしい人間にね。考えてもみてください。人間は良くなろうとしていますか。ただ、怠惰にこの世に存在してるだけじゃないですか。その点、私達、死に神は違います。私達はそのために、人間の命を奪っているんです。」抑揚の無い声で死に神が言った。その声は僕に届いていたが、その声をすぐに意味あるものへ転換する事が出来なかった。

 「人を殺したものが、素晴らしい人間になれるものかな。」と僕は言った。

 「可笑しな事を言いますね。人間なんて、見知らぬ土地の為に同種族内での大量殺人を犯す唯一の動物ですよ。それと比べれば、人間になるために人間を殺す、なんて可愛いもんじゃありませんか。」

 「それなら、さっさとしろよ。」これ以上死に神なんかと喋ってられるか。

 「まあ、そう焦らずに。絶対に命は奪いますから。でも、その前に質問させてください。」

 「質問?何だそれは。」

 「人間を知るためですよ。良く考えて答えてくださいね。」

 「ああ、分かったよ。」

 「私とした事が大切な事を忘れていたわ。」と死に神がわざとらしく言った。

 「あなたが死ぬのはあちらのあなたが死んだ後です。」

 あちらのあなた?何を言っているんだ、こいつは。と僕は思った。

 「じゃあ、行ってらっしゃい。」と死に神が言い、僕の唇にキスをした。僕の意識は暗闇にすうっと消えていった。


 遠くからが声がしていた。とても小さく、綺麗な声だった。まるで世界の果てから、硝子が鳴いているような声だった。そんな声を聞いていると、徐々に頭が冴えてきた。

 「ちょっと、どうしたのよ。急にしゃがみ込んじゃうなんて。」ユキの声は怒っているようにも、心配しているようにも、聞こえた。

 「いや、何でも無いよ、大丈夫。」朝と同じだ、と僕は思った。でもその時より意識を失っていた時間は短いようだ。なんだか頭の奥に凝縮されたイメージが残ってるような気がした。

 ユキが不安そうに僕を見上げていた。そんな風にしていると、子供だな、なんて今更実感した。

 「本当に大丈夫だから、じゃあ、美味いもんでも食いに行こう。」

ユキは頷き歩き出した。雪に彩られた道路を歩いていると、ユキは、風や、空気、を従えた女王様みたいに見えた。僕がその事を言うと、黙殺された。

 「ねえ、僕はここら辺の事、良くわかんないからさ。なんか美味しいところ、知らないかな。」と僕は言った。

 「いつもそうなの。」とユキは言った。

 「えっ。」と僕は聞き返した。

 「彼女とデートする時も彼女に聞くの。」

 「うん、そっちの方が多いと思うけどな。」

 はあ、あきれたという風にユキはため息をついた。

 「何だよ。」と僕は聞いた。少し傷ついた。普通の子供なら聞き流すところだが、ユキの場合はなんだか、洗礼された女性のようなところがあるので、ついむきになってしまう。

 「別に、何でも無い。少し歩いたところにいつも行く所があるから。そこで良い。」

 「君に任せるよ。」と僕は言った。下手に逆らうと、大変な事になりそうだった。

 ユキの連れていってくれた所は、高そうなフレンチレストランだった。不安そうにしている僕を見かねたのか

 「大丈夫よ。一万円で充分足りるわ。」と言った。

 「そう・・・なんだ。」なんだか負けた気がした。

 ユキは大丈夫と言ったが、僕はまだ不安だったので、3000円のランチセットにした。

 「同じもので良いわ。」とユキも言った。僕に気を遣ってくれたのだろうか。

 「ねえ、私の話を聞いてくれる。」食事が運ばれてくるのを待っている間、ユキが不意に言った。磨かれた凍りのように透き通った瞳に見つめられて僕の嶺がうずいた。

 「ああ、良いよ。」と僕は言った。いくらか声が緊張している気もした。

 「私は死に神なの。」とユキは言った。

 僕は声を失った。何を言ってるんだい、と笑おうとしたが笑えなかった。やっぱり、そうかと思う気持ちも少なからずあった。その思いは朝に出会った時から僕の胸でくすぶっていた。

 「やっぱり、気付いていたのね。」とユキは言った。

 「ああ、じゃあ、朝は僕を狙ってたのか?」と僕は言った。周りの人達に僕らはどのように見えているのだろう。兄弟だろうか。歳の近い友達だろうか。少なくとも死に神とその獲物には見えないだろう。

 「そうよ、あなたは随分と弱ってるみたいだったからね。」ユキの声にはもう、血が通ってなかった。

 「何の為に、いや、どうして僕なんだ。死に神なんてこの世に存在するのか。」僕は動揺していた。目の前の子が死に神なんて。でもそれほど彼女は非現実的に、儚く、綺麗だった。

 「あれこれ言わないでくれる、私、静かに食事したいタイプだから。」とユキは言い、僕の目を覗きこんだ。

 その瞳には僕が映っていた。彼女の瞳の湖の中に僕はいた、体の力が抜けてきた。まるで、水の中に漂っている気分だった。不思議と怖くは無かった。先ほどまでの動揺は消え去っていた。そして僕の意識は湖の底に沈んでいった。

 

 「質問。」と死に神が言った。

 その声で僕は現実に引き戻された。いや、ここは本当に現実なのか。僕は、僕が存在するこの世界の事も信じられなくなっていた。

 「聞いてる、質問するわよ。」

 「ああ。」と僕は言った。舌が上手く回らなくなっていた。

 「死刑制度には賛成ですか。それとも反対ですか。」死に神はまるでクイズ番組の司会者のように言った。

 「理不尽な質問だな。」僕はほとんどつぶやくようにしか言えなかった。

 「答えてください。」

 「基本的には反対だ。」

 「どうしてですか。」

 僕は確実に鈍くなっていく頭をフル回転させて、考えをまとめた。これが僕の最後の言葉になるかもしれないのだ。

 「まず、国家に国民を殺す権利があるのかどうかが疑問だ。それに裁判官の人間性や器量に差があって、平等じゃない。他にもいくつかあるけど、それが基本の僕の意見だ。」

 「そうですか。参考にさせていただきます。」死に神は僕の顔を掴み、僕の瞳を覗きこんだ。心に暗闇が広がっていくのを感じた。

 「でも、最後に言わせてもらいますが、死に神がもたらす死は平等ですよ。」

 

 そうして僕達は死んだ。

 


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