ビギナーズラックが災い呼んだ
〈〈状況はどうだ白兎〉〉
「まぁ、ぼちぼちかな。今はまだ様子見ってところだ」
〈〈常日頃言っていることだが、決して監視を怠るな。一瞬の油断が任務の失敗に繋がるのだからな〉〉
「そッスね、確かに油断できないわ。ちょっと油断するだけでも大分損するっぽいし」
俺は今、人生の起点とも言える状況下にある。
親父の言う通り、楽観的になって何も考えずに行動していたら、俺の“全て”が潰えてしまうことは否めない。
今の俺に必要なものは即ち、明鏡止水の心だ。
荒波が立たぬよう、たとえ何が起ころうとも取り乱したりせず、ただただ静寂に執行する。
さすれば、目的は必然的に達成へと繋がるはずだ。
〈〈今回のターゲットは過去最大の大物だ。失敗したら最後、私達の命は無いと思った方がいい〉〉
「あぁ~確かに大物だ。賭けたものも大きいし、失敗なんて認められるはずがねぇよ」
〈〈よく理解しているようで何よりだ。何せこの作戦は白兎、お前の手に掛かっているのだからな〉〉
「だろうな。そもそも俺以外にゃどうしようもねぇだろ。他の奴らは何も見てねぇんだから」
〈〈お前に一番負担を掛けるのは父親として心苦しいが、これはお前にしかできないことだ。だが“天性の才能”を持つお前だからこそ、私はお前を信じているぞ〉〉
「あぁ、信じててくれ親父。この黄金の右手に誓って必ずやり遂げて――むむっ?」
〈〈どうした白兎。まさかターゲットに動きが……?〉〉
「まさにそうだ。ついに動きやがったぞ」
全身に緊張感が迸り、それらが汗水となってこめかみを滴る。
自然と右手が震え出し、どくんどくんと脈動が静かにゆっくりと加速していく。
しかしターゲットからは決して目を離さず、一心になって途切れそうになる集中力を今一度引き締め直す。
〈〈総員、武装準備! いつでも動けるようにしておけ!〉〉
焦るな、落ち着け、大丈夫だ。自分の可能性を信じろ野幌白兎。お前ならできる、お前ならやり遂げられる、お前なら導き出せる。今こそ言霊の力を心酔し、目覚めさせる時なんだ。
「後少し……もう少しで……違うそうじゃない……そう、そんな感じで……」
〈〈状況を説明しろ白兎。ターゲットの動きは?〉〉
「後一歩ってところだ。この流れを維持できれば、必ず仕留められると思う」
〈〈焦っているな? しかし大丈夫だ。お前の腕なら問題はない。一発で十分だろう〉〉
「むしろチャンスがもう一発分しか無くなっちまったよ」
〈〈何だと……?〉〉
ここまでチャンスは何度もあったが、運の悪いことにほぼミスってしまった。
しかしここまでは予想の範疇内。本当の勝負はここからだ。
緊張のあまりに吐き気を催してきたが、持ち場から離れるわけにはいかない。ここまで来た以上はもう引き下がれない。最後の最後まで、俺は自分の可能性を信じ続けてやる。
「…………きたっ」
〈〈総員、構え!〉〉
運命のラストチャンス。目を逸らさずに見つめ続け、唇を噛み締めて手に汗を握る。
「三……二……一……っ!!」
〈〈総員、突撃開始――〉〉
ついにその時が訪れ――俺は勢いよく立ち上がった。
「はい来たビンゴぉぉぉ!!『一』揃ってフィーバータイム来たぁぁぁ!!」
スロットの数字が見事三つ出揃い、じゃらじゃらと銀色の玉が大量発生。任務達成に浮かれ、公然の場でついつい諸手を挙げてしまった。
「やっぱりビギナーズラックってのは迷信なんかじゃなかった! きてる、きてるよ俺! ギャンブルの女神様が微笑んでくださってますよぉ!」
〈〈……おい白兎〉〉
「あん? なんだよ親父? ちょっと今忙しいから後にしてくんない? ここ逃したら数千円無駄にすることになるんだよ。財布の中で閑古鳥を鳴かせるわけにはいかねぇのよ」
〈〈なら一つだけ聞かせろ……今何処にいる?〉〉
「最寄りの駅のパチンコ店だけど」
〈〈パチンコ店って……え? 殺しのターゲットの別荘じゃなくて?〉〉
「そうだよ。ほら、俺って今日で十八歳じゃん? だからパチンコ入店の権利が得られたわけじゃん? 人生で一度はやってみたいことだったもんで、ついつい結構な額を玉に換金しちゃったよ。もう少しで失敗して破産するところだったけど、ついに来てくれたよフィーバータイム。ここから巻き上げますよ必ず!」
〈〈いや……だから仕事は? 暗殺の依頼は?〉〉
「馬鹿か、お断りに決まってんだろ。今の俺は楽して金を稼ぐことで頭いっぱいなんだよ。裏稼業はそっちで勝手にやってろや」
〈〈こ……この馬鹿者がぁ!! 先程にも言ったが、今回はお前の晴れ舞台でもある重要な――〉〉
スマホの電源を落とし、強引に通話を切ってポケットにしまい込んだ。
ぎゃーぎゃーと喚いてうるさいクソ親父だ。暗殺稼業? 天性の才能? 期待の殺し屋? そんなもの知ったことか。
物心ついた時から暗殺者となるべく、身体を鍛え上げることを強制され、毎日が地獄のような日々を送っていた黒歴史の過去。
そのせいで“天性の殺し屋”なんて称号を与えられたけど、俺からしたらぶっちゃけそんなことどうでもいい。
人を殺して生きる? 馬鹿か、戦国時代に暗躍する忍びじゃあるまいし、この時代でそんな裏稼業を続けていられるわけがない。昨今の警察の調査力をなめてはいけない。
親父は殺し屋の頭として俺を後継人にしようとしているつもりみたいだけど、そんなものを継ぐつもりは一切ない。
むしろ、しつこく後継人のことを問い詰めて来るつもりなら、警察に洗いざらい家庭の裏事情を暴露することで蹂躙することも厭わない。
俺は使命が嫌いだ。俺は責務が嫌いだ。俺はしがらみが嫌いだ。俺のやりたいことを害する者を嫌悪する。
好きなことをして、時には笑い、泣き、怒り、そして生きるのだ。
それが俺の信条である以上、たとえ何者であろうともこの生き方を否定させはしない。
そう、俺はすべからく自由なのだ。
「いいよいいよ、じゃんじゃん揃っちゃってよスロットちゃん! 揃えば揃うほど、俺の歓喜なる魂は激しく躍動するのだから! 揃って揃って揃いまくっちゃってぇ!」
幾度となく回るスロットが三つの数字を揃える。まるで終わりの時が無いかのように、願っても無い数字の羅列が繰り返される。
そうして永遠とフィーバータイムが続いていく中、パチンコ台が突然変形すると、黄金色の輝かしい光を発した。
「おぉ〜、これが今時のパチンコの演出ってやつか! 時代はどんどん近未来に近付いてってんな!」
小学生の頃に見ていた戦隊モノの超合金を思い出し、童心に帰って見たこともない演出に瞳の奥を煌めかせる。
……というかこれ、流石に眩し過ぎないか? このままだと光に包み込まれそうな勢いだ。
目を逸らすわけにはいかない状況だというのに、いつまで光るんだこのパチンコ台。家計を揺さ振る電気代を何と心得ているのやら。
「しつこいな……光るのはもういいって」
あまりもの眩しさに耐えられなくなり、失明という最悪の結末から逃げるように力強く目を瞑った。
「…………ん?」
その時、突然の異変に耳を疑った。
一瞬のことだった。さっきまで周囲に響き渡っていたパチンコの機械音が途切れ、急に静かになっていた。
まるで、周りのものが魔法で消えてしまったかのように。
ふと抱いた疑問を解消するべく、一気に見開かないように慎重になってそっと目を開いた。
「…………は?」
そして俺は、言葉を失った。
気付けばそこは、何もない無の世界だった。
自分の姿だけはハッキリと見えているのに、周りは真っ暗で物一つ存在しない。
しかも身体が宙を彷徨っているのか、地面に足が付いている感覚がない。
そのせいでどっちが上でどっちが下なのかすらも分からず、ここは何処なのかという在り来たりな疑問をようやく抱くことができた。
超常現象でも起こっているのか? それとも、これもパチンコ台の演出だと?
だとしたらいつの間に世界は空間転移なんてものを可能にしたんだ? 未知の領域との遭遇に頭が追い付かない。
「よくぞ参られました、現代に生きる未来の勇者様」
「あん?」
自分の身に起こっている事態に理解が追いついていないままでいると、何処からか女の声が聞こえて来た。
ふと後ろを振り返ってみると、案の定、声の主であるっぽい女が立っていた。
白い羽衣を見に纏い、綺麗な銀髪の長髪をなびかせ、サファイアのように綺麗な碧眼の瞳を輝かせている。
まるでその姿は才色兼備なる女神様――のコスプレをした痛々しい人だった。
「今自分の身に何が起こっているのか、恐らく理解が追いついていないことだと思います。ですが安心して下さい。ここは地獄でも無ければ、天国でもありません。ここは――」
「あぁ~長い長い。そういう前置きとかいいからさ、逆に俺の質問に答えてくんない?」
「え? あ、はい。何でしょうか?」
「ここが何処なのかってことはぶっちゃけどうでもいいんだよ。それ以前に俺が聞きたいことは、ここに俺を連れて来たのはアンタなのかってことなんだが」
「えぇ、そうです。その説明は今からあだだだっ!?」
地面のない空間を立ち泳ぎで移動し、コスプレ娘にアイアンクローを仕掛けて、めきめきと顔面の骨を軋ませる。
俺の手を外そうと両手で手首を掴んでくるが、赤子の力と何ら変わりない華奢な手が添えられているだけに等しく、女はただただ悲鳴を上げ続けるだけだった。
「痛い痛い痛いです! 割と洒落になってません! せめて加減をしてください!」
「黙れコスプレ女。こちとら人生初のパチンコフィーバーに浮かれていたのに、お前に水を差されたせいで全部パーになっちまっただろうが。閑古鳥が鳴いていた財布に富をもたらすチャンスだったのに、どんな風に落とし前つけてくれるんだ?」
「おおお落ち着いてくださいビャクト様! 確かにパチンコの結果は無残にも損するオチになってしまいましたが、その失態を払拭できるだけのことが貴方には待っているんです!」
「言い訳すんならもっと上手い言い訳しろや」
「言い訳でもなければ嘘でもないんです! とにかく話だけでも聞いて……あっ……なんだか段々とお花畑が見えてきました……」
白目を剥き始めたところを見計らい、手から力を抜いて顔面の拘束を解いた。
力無く倒れるコスプレ少女だが、べっこりと指の痕がついたこめかみを摩りながらすぐに立ち上がった。
「これがアイアンクローなんですね。想像以上に強烈なものでした」
「いらん感想はいいから、とっとと話すこと話せよ。イライラしてるんだよお前のせいで」
「す、すみません。では、改めまして……」
咳を立てて今一度仕切り直し、改めて面を合わせてきた。
「まずは初めまして、野幌白兎様。私の名はミルク。現代と異界を繋ぐ境界の案内人兼、女神の役割を務めている者です」
「なるほど、つまり頭イっちゃった可哀想な虚言者ってわけか」
「違いますよ! 私は至って正常ですから! それに女神は状態異常無効体質という特殊ステータスがあるので、幻覚とも幻惑とも無縁なんです!」
「何処のRPG話だ。人をおちょくるのもいい加減にした方がお前の身のためだぞ」
「だから嘘じゃないんですって! そこまで疑うのなら、私が女神である証拠を見せてあげましょうか?」
「興味無いからいいです。それより早く本題に入れよ。さっきも言ったが前置きが長いんだよ」
「ひ、酷い……」
酷いのは俺のビギナーズラックを台無しにしたそっちのはずなのに、何故被害者である俺が悪者扱いされなくちゃいけないのか。
「ぐすん……もういいです。私が女神であることを証明するのは後にするとして、貴方をここに呼んだ要件を単刀直入に言います」
目尻から出ていた涙を拭い取り、真面目な顔になって俺の瞳の奥を見つめてきた。
「野幌白兎様。異界を救うべく、どうか貴方の力をお貸しください」
「宗教の勧誘なら間に合ってるんで」
「危うい宗教教徒でもないです! 私は真面目な話をしてるんですよ!」
女神だとか異界だとか、非現実的な話を持ち出すから疑われるんだ。ラノベや漫画じゃよくある王道パターンだが、それが現実に起こってたまるか。
「やはりビャクト様にはまず、異界の存在を信じてもらうところから始めた方が良さそうですね。ここでは信用してもらえないようですし、少し移動しましょう」
と言うと、狂信者が俺に手を差し伸ばしてきた。
「掴まってください。話をする前に、異界の方へ案内致します」
「そうやって俺を人目のつかない場所に連れ込んで、神様がどうこうみたいな話をして洗脳するつもりだな? 姑息な奴め、その手には乗らんぞ」
「だーかーらー違うって何度も言ってるじゃないですか! えぇい、こうなったらもう問答無用です!」
「おいコラ、勝手に人の手首を掴んでんじゃ――」
拒む俺の手首を掴んで来たと思いきや、真っ暗闇だった周囲が再び黄金色の光に包まれた。
またもや目が開けられなくなり、眩しさあまりに目を瞑った。
だが彼女には周りが見えているのか、俺を掴んだ状態のまま何処かに進んでいるようだった。
一分間程そのままの状態でいると、足が地面についた感触がした。ようやく移動先に辿り着いたのだろうか。
「着きましたよ。もう目を開いても大丈夫です」
言われるがままに、ゆっくりと目を開いてみる。
「…………マジかよ」
世界が、丸々変わっていた。
目がチカチカするパチンコ台が立て並べられていた光景は何処にもなく、代わりに見えるのは何処までも広がる青空と緑の草原。
そして、もっさもっさと草を捕食する草食系の未確認生命体だった。
「クェー! クェー!」
「な、何だあれ?」
それは明らかに非現実的な景色の世界。これまた未確認生命体な鳥類の群れを見たところで、ようやく現実味を感じられた。
どう見ても考えても、ここは現代じゃない。
なんか火を吹いてる怪物も遠くに見えるし、本当にここは世間でよくネタにされていた異界なのだろう。
「どうですか? 私の言っていたこと、信じてもらえましたか?」
えへんといった態度で胸を張る狂信者。
少しだけ手加減したビンタで返事を返した。
「あいたっ!? 何するんですかまた!」
「悪い、お前のドヤ顔についイラっときたもんで」
「だからってすぐ手を出さないでください! 女の子にタンバリン感覚で暴力振るうのは感心しませんよ女神として!」
「喧しいわ狂信者。それより目的地には着いたんだから、さっさと要件言えよ。取り敢えず異界の存在が本当だったことは信じてやるから」
「随分と潔い順応力ですね。それでは私が女神だということも――」
「それはそれ、これはこれ。自称女神を名乗るのは勝手だが、それを事実として語るのは別の話だ」
「……頭の硬い人ですね」
「あァ?」
「嘘です冗談です! わ、分かりましたよ。この際、私が女神であることはもう信じてもらわなくても結構です。ですが異界の存在を認めてもらった上で、貴方に今一度お願いをさせてください」
狂信者は急に真面目な顔付きになると、草原の上で正座になって三つ指を立て、深く頭を下げて来た。
「今一度お願いします、野幌白兎様。この世界の秩序の均衡を保つべく、どうか貴方の力をお貸しください」
「やだ」
「…………」
硬直する自称女神。顔を上げると、碧眼から煌めきが失われていた。
そして、全く同じ動作でまた頭を下げて来た。
「今一度お願いします、野幌白兎様。この世界の秩序の均衡を保つべく、どうか貴方の力をお貸しください」
「やだ」
「……………………」
二度硬直する自称女神。顔を上げると、頰を膨らませて涙目になりながらぷるぷると震えていた。
「……今一度お願――」
「くどいわ馬鹿が」
「せめて最後まで言わせてくださいよぉ!!」
精神が決壊でもしたのか、女の子らしかぬ顔になってみっともなく泣き叫び出した。
まるで、捨てられたくないという執着心を見せ付けて夫に縋り付く嫁の様だ。惨めな姿に目も当てられない。
「なんでですか!? なんでそんなに頑ななんですか!? 普通そこは『任せてくれ!』と爽やか顔で受け答えるところじゃないですか! それがテンプレじゃないですか! 無理して王道展開から道を外れようとしなくてもいいんですよ!」
「お前は一体何の話をしてるんだ……」
「貴方のことを言ってるんですよ! 察してくださいよ! 貴方がこういう世界に連れて来られたってことは、貴方に何かしら特別な力や器が備わっているってことなんですから!」
「んなこと言われても知らんがな。で、俺はいつになったら帰れるんですかね?」
「もう帰る気満々なんですか!? ほら、見てくださいよこの世界を! 広大な大地! 未知なる生物の魔物! そしてそれらの要素から湧き上がって来るであろう飽くなき探究心! ね? 何だかワクワクしてきたでしょう? 唆られてきたでしょう?」
「いや特には」
「貴方には童心というものが欠片も無いんですか!?」
オーバーリアクションでギャーギャーと騒ぎ立てる狂信者。
何が彼女をここまで突き動かしているのやら。女神(思い込み)としての使命感とか?
「ドライ過ぎる貴方が怖くなってきましたよ私! まさかそれが殺し屋の特徴なんですか?いかなる物事に対して一切関心を示さない機械的な人間の集まりなんですか?」
「さっきから失礼の雨霰だな。というか、なんで俺が殺し屋だってことを知ってんだ? まさか割とマジなストーカーとか――」
「違います。私はずっと探していたんです。現代の中でも飛び切り人間離れした身体能力を持ったお方を。それが貴方だったんです、ビャクト様」
「ふーん……で?」
「いいですか、よく聞いてください。この世界は今、ある者の手によって闇の世界に陥れられ掛けている状態にあるんです。倒しても倒してもキリなく現れる魔物の数々。冒険者の方々は日々奮闘していますが、全ての人が強者というわけではありません。むしろ腕の立たない方々の方が多いため、最近は魔物に圧倒されて引き返す人が続出しています。このままでは近いうちに闇の世界に染まるのも時間の問題です」
「ふんふん……で?」
「このままだと、この世界の均衡が崩壊してしまう可能性がある。それを見越した神様は、とある手段を考えました。それこそが、貴方という存在なんです」
「あぁ~……で?」
「神様は数千年に一度しか使えないと言われる召喚魔法を使い、貴方を召喚する計画を実行しました。そういうことがあり、今に至るということです」
「つまりはこういうことか? 天性の殺し屋の才能を持った俺に目を付けて、この世に蔓延る悪しき魔物をバッタバッタと殺戮してほしいと」
「そういうことです」
なるほど、よく分かった。なら答えは迷うまでもない。
「じゃ、俺帰るから。早く元の世界に返せ」
「ここまで話を聞いておいて尚もですか!? いい加減納得してくださいよ! 貴方にしかできないことなんですビャクト様!」
必死こいて何度も頭を下げてくる彼女に対し、呆れの意味を込めた深い溜息を吐き捨てる。
話は分かった。要は、強い奴らが人手不足しているから、現代に生きる特殊な人間をスカウトして、手っ取り早く世界を救ってもらいたいと。
馬鹿にも分かるように言えば、この世界を救いに導く勇者になってくださいと頼んで来ているわけだ。
なんともスケールがでかく、現実味のない唐突な話だろうか。
ただそれ以前に、人の都合を視野に入れていない話であるということがよく分かる。
どうやらこいつには、自分の立場というものを分からせておく必要があるようだ。
だったら手加減無用だ。存分に身の程を分からせてやる。
「あのさぁ……ぶっちゃけ言うけど、お前何様なの?」
「何様って……だから女神様だと何度も私は――」
「じゃあ仮にお前が本当に女神様だとしよう。だとしても、流石に自分勝手だとは考えられないか? 赤の他人をいきなり知らない場所に連れて来て、世界を救ってくれだとかさ。突拍子がないにも程があんだろ?」
「そ、それはそうですが……」
「いや分かるよ? そういう愚行を犯すくらいに、アンタは危機感を感じて手段を選んでなかったってことは。でも俺にもプライベートってものがあるわけよ。それなのに自分の都合を一方的に押し付けて納得してもらうとか、都合が良い話だとは思わないか?」
「は……はい……」
「だろ? なのにお前は俺に対して配慮の一つもせずに、天性の才能だの殺し屋だのと勝手なことばかり言ってさ? お前は人一人の気持ちすら汲み取れない、名ばかりの女神様だったってのか?」
「……すいませんでした」
「すいませんでした、じゃなくてさ。俺は謝って欲しいわけじゃないんだよ。誠意を見せろっつってんの」
「誠意と言われても、何をすれば良いんですか?」
「ここまで言っても分からないと?流石は肩書きだけの女神様だぁ。世界で一番偉いとか愚かしい勘違いをしてるだけあるわぁ。神様だから何をしても良いとか、ジャイアニズムな思考乙ですわぁ」
「も、もう勘弁して下さい! 分かってますよ! 私は無力な神様だってことくらいずっと昔から分かってることなんですよ! でも他にどうしようも無かったんですよ! 私は女神と言っても、戦闘能力においてはスライムに等しい実力なんですから!」
「だからって自分の都合で人様に迷惑を掛ける理由にはならないだろうが。何か間違ったこと言ってるか俺?」
「正論ですよ! 紛うことなきド正論ですよ! だからこうして恥を忍んでお願いして……」
すると、彼女は急に大人しくなって真下を向いた。
「……そういうことですか」
何を納得したのか、今にもまた泣き喚きそうな顔になって俺を見上げて来た。
「ビャクト様が何を伝えたいのか分かりました。つまり、人に物を頼むというのなら、それなりの見返りを寄越せと言っているんですよね?」
「寄越せと言った覚えはないが、それが常識ってなもんだろ」
「……分かりました」
今度は何を理解したのかと思った矢先、ついに真なる狂信者にでも目覚めてしまったのだろうか。急に着ている衣服を脱ぎ始め、下着姿になり始めた。
「……何してんの?」
「わ……私は女神という立場ですが、残念ながらビャクト様が納得できるような差し上げられる物を何一つ持っていません。で、ですからせめて私の身体で勘弁してもらあだだだっ!?」
再びアイアンクローを仕掛け、みしみしと顔面の骨を潰しに掛かる。
「何も無いからって潔く自分の身体を差し出すたぁ、どういう親の教育受けて育ったんだ馬鹿野郎。自分の身体を安く見やがって、ここまで育ててくれた親父さんとお袋さんの気持ちをなんと心得る?」
「ならもうどうすれば良いんですか!? 何が正解なんですか!? 何が最適解なんですか!? もう分かりません私!」
「簡単な話だ。俺を元の世界に返して諦めればいい」
「だからそれは無理だって何度も……あっ……またお花畑が見えてきて……」
手を離して拘束解除してやると、自称女神はとんでもないことを口にした。
「ビャクト様をこの世界に召喚した時点で、貴方はもう二度と元の世界には戻れなくなってるんです。それが召喚魔法のデメリットであり、メリットでもあるんです」
「……は?」
二度と元の世界には戻れない。こいつは今、確かにそんなことを口にした。聞き間違いでもなんでも無い、恐らく事実である情報を。
「えっと……つまりはこういうことか?ここで俺がどれだけ駄々を捏ねたところで、俺がいた現代には一生戻れないと」
「そうです」
「……そうか」
俺は目を瞑ってふと笑い、彼女の胸ぐらを掴み上げて、右手の五本指全ての骨を曲げて音を鳴らした。
「天性の殺し屋と言われていた俺だったが、実はまだ人って殺したことないんだよ。犯罪に手を染めたくなかったし、それが俺の流儀だからな。でも今この瞬間お前にだけは非情になれていることが不思議でたまらんよ」
「おおお落ち着いてくださいビャクト様! 大丈夫です安心して下さい! もう元の世界に戻ることは叶いませんが、この世界は現代と違って良いこと尽くめなんです!」
「言い訳なら誰だって何とでも言える。明確な根拠を言ってみろ」
「魔物を狩るだけでお金を稼ぐことができます! つまり、何度か魔物を狩っていさえすれば、仕事をしなくても比較的裕福な生活ができるんです!」
「…………」
手を離し、遠くに見える町らしき方に向かって歩き出す。
「虚言だったら承知しないからな。とっとと行くぞ狂信者」
「……最初に言えばよかったよぉ」
手で顔を塞ぐ自称女神も、泣きべそをかきながら歩き始めた。
今更過去のことを後悔しても遅い。『後悔先に立たず』という諺を胸に抱いて生きることをお勧めしておこう。
こうして、俺の唐突な異界生活の幕が開いたのだった。