第一話
何処かで聞き覚えのある響きが聞こえる。なんだっけ? これ? 無性に鬱陶しくて不快で五月蠅いこの音は。
俺は自然と音の原因に手を伸ばした。掴んだその物体は丸く冷たく甲高い音を発し続けていた。
あ、これ昔使ってた目覚まし時計だ。
懐かしさに目を開け確認をする。あーこれだ、これ。最後踵落としをして壊しちゃった奴だ。……ん?
ガバリと体を起こす。周りを見渡すとそこは懐かしい実家の自分の部屋だった。
は? 何これ? ……そう言えば羽杵さんは?
突然呪文のようなものを唱えて光に包まれたのを思い出す。頭の中には助けてと言った羽杵さんの言葉と姿が今もはっきりと残っている。
しかし今の状況がさっぱり分からないいつ実家に戻ってきたっけ? というかさっきからすごい部屋に違和感がある。《《懐かしいのに新しいのだ》》。
よく見てみると部屋にある物が中学から高校の時位の時期の物だった。そして極めつけは枕元にあった旧型の携帯電話と画面に映し出された日付だ。
マジかよ……
そこには15年前の4月25日の日付が表示されていた。
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何故こうなったか全く分からないが、どうやら高校一年の時代に精神だけタイムスリップしてしまったようだ。母親に急かされ少し感動しながら久しぶりの制服をきてバスに乗り学校に向かった。
いやー母親が若い!! 洗面所で自分の姿も確認したがそこにはまだ幼さの残る自分の若かりし姿が映し出されていた。体も気持ち軽い気がする。自分が若返ったことに感動し思わず顔がにやけてしまう。
うわーやべーなんか緊張する!!
教室に入る前、思わず立ち止まる。一度経験したこととはいえもう10年以上昔のことだ。気分的には入学式とか会社の初出勤の時に近い。こういう時は深く考えては駄目だ。
教室に入ると俺に気づいた男子が一人話しかけてきた。
「おはよう! 今日はちょっと早いじゃん」
「おう。一本早いバスで来た」
こいつ……誰だっけ?
若者特有のニキビに日焼けた肌のそいつは俺に親しげに話してくるが俺はそいつが誰なのか全く思い出せない。
取り敢えず無難なあいさつでやり過ごし教卓に置いてある座席表を確認した。まずこの時の自分の座席が分からなかったからだ。そして、その座席表を見ておかしな事に気が付いた。元の記憶があやふやなせいもあるだろうが、全く記憶にないクラスメイトの名前が多すぎる。
――というかクラスの人数多過ぎじゃないか?
たしか一年の時、クラスの人数は20人ちょっとだったはずだ。しかし、数えてみるとこのクラスには40人在籍しているらしい。
また分からないことが増えたな……
判明した自分の席に座り取り敢えず教科書やノートをパラパラめくって確認した。
あ~習ってたなこんなやつ。完全に忘れてるけど。
数学や化学など10年以上前に習ったことなど完全に忘れている。まぁ高校始まって2週間位だしノートを確認してもそこまで量がないので今から復習すれば大丈夫だろう……多分。
昔の記憶を掘り起こしていると視界の端で羽杵さんが教室に入って来るのに気付いた。意外と始業ギリギリに来るんだな羽杵さん。
高校生の羽杵さんの姿は記憶の中にあった姿以上に綺麗に見えた。今すぐ色々と話しかけたい衝動に駆られるが、もうすぐ朝のHRが始まる。俺は落ち着いてチャンスを待つことにした。
昼休みまで待ち弁当を急いで平らげ、もう一度座席表を確認する。そして俺に話しかけて来る男子の名前が判明した。興梠英輔というらしい。おかしい、興梠なんて珍しい名前の奴がいたら忘れそうにないもんだが……先程も自然と集まって一緒に弁当を食べたためそこそこ仲がわかる。しかし興梠も、興梠以外の一緒に弁当を食べたメンツもやはり記憶に無かった。そもそも俺は高校時代《《一人で弁当を食べていた記憶しかない》》。
謎は深まるばかりだがここはこの事態を引き起こしただろう張本人に聞くのが一番いいだろう。
俺は満を持して、一人教室の端の方で弁当を食べている羽杵さんの席まで行き話しかけた。
「あの……羽杵さん。ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」
大きな声で言った訳じゃないのだが俺の言葉で教室内が少し騒然となった。
しまった、これじゃこれから告白するみたいじゃないか。
羽杵さんは弁当を持ったまま俺を一瞥して数秒だけ動きを止めた後、口を開いた。
「私に話しかけないでくれる? あと2m以内に近づかないで」
バッサリ言われた。
おう……まじか。
そこまで言われたらいったん引き下がるしかない。羽杵さんは何も無かったかのように弁当を食べ続けている。
俺、昔から羽杵さんの眼中に無かったということか……
「ドンマイ!! 残念だったな。でも見直したぜ宗吾!男らしかった!カラオケ行く?カラオケ!歌ってすっきりしようぜ! 俺奢るから!」
自分の席に戻ると一部始終を見ていた興梠が慰めてくれた。
こいつ普通に良い奴だな。話易いし気も合いそうだ。こいつの存在を忘れてしまったことに申し訳なく感じる。
「ああ、すまんカラオケは今度頼む」
そう言いながらも俺は羽杵さんを横目で確認した。俺のせいで未だに数人羽杵さんの方を見てひそひそと喋っている者が居るが、羽杵さんはそんなもの意に介さず弁当を食べ終わり片付けている所だった。
羽杵さんは確かに俺に助けてと言った。そして俺は高校生まで戻った。この時代もしくはこれから羽杵さんに助けが必要な事態が起こるということだと思う。
「助けて」って何から?
大人の羽杵さんの言葉の意味を俺は考えたがそれ以上はさっぱり分からなかった。少なくとも今の羽杵さんにはとても助けが必要そうには見えない。
それにしても女子に話しかけて来るなとか近づくなと言われるとは……へこむぜ……
俺は落ち込みながら午後からの授業が始まるのを待った。
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しかし、俺はメンタルの強い男、社会人生活で無駄に磨かれたこの長所を生かす時が来たようだ。そもそも一度拒絶されたくらいで諦めるわけにはいかないのだ。
HRが終わると羽杵さんはあっという間に一人で教室を出て行ってしまった。直ぐに追いかけるとまた目立ってしまうので少し時間を置いて学校前のバス停まで走った。携帯に残っていたバスの時刻表によれば今行けばギリギリ一緒のバスに乗れるはずだ。しかし、いざバス停に着くとそこに羽杵さんの姿はなかった。
学生時代に一緒のバスに乗ってドキドキしていた記憶があるので羽杵さんもバス通学で間違いないはずだ。羽杵さん部活してなかったと思うけどなー
その後も校内をうろうろして羽杵さんを探す。もう俺完全にストーカーだ。我ながら完全にヤバい奴だと思う。だって昼、近づくなと言われた女子をここまで探し回っているんだから。でも仕方がない、正直今の羽杵さんに俺の状況を尋ねても完全に変人扱いされて終わる可能性もある。しかし、手がかりが羽杵さんしかないのも事実だった。
学校内を探し続け遂に日が傾きもうすぐ6時になろうとしていた。人の気配が無くなった廊下を歩きながら今更ながらにここが学校なのだと実感が湧いてきた。懐かしい匂い、廊下の窓から夕陽が差し込み耳をすませば部活に励む生徒たちの声が聞こえる。あまりのノスタルジックな雰囲気に思わず泣きそうになった。
もう一度青春を送れるんだな……
慌てなくても羽杵さんは明日も学校に来るだろう。いくら嫌われようとも未来の羽杵さんについて相談しよう。大丈夫だ。だって俺は精神年齢30歳のおっさんなんだから。嫌われても仲直りする方法はいくらでもある。社会で人は人を嫌い続けることが如何に疲れるか俺は学んだ。
青春をやり直すんだ。勉強ももっとちゃんとして、興梠ともカラオケに行こう。忘れてしまっていたクラスメイトと友達になるのもいい。これからの流行もわかるからうまくやれるはずだ。
部活を何かするのもいいな。中学まではテニスをしていたが高校では何も部活に入らなかった。何か新しい事を始めるのもいいかもしれない。
恋愛もしよう。高校生の羽杵さんにはまだ好きだと伝えていない。今の状況を相談したらまたちゃんと告白しよう。なーに、話かけるのと近づくのが禁止されただけだラブレターを書こう。
こうして色々考えてるともうすぐ死ぬ人みたいだな俺。
あと一回校舎を見て回って羽杵さんが居なかったら帰ろう。そう思って再び歩き出すと不意に後ろから大声で声を掛けられた。
「なんでまだ学校にいるの!!」
驚いて振り返るとそこには羽杵さんが佇んでいた。夕日が羽杵さんの制服を赤く照らし鬼気迫る表情をいていたため丁度同窓会の時の羽杵さんの姿と重なって見えた。しかし、やはりその姿は同窓会の時の羽杵さんとは格別の美しさを放っていた。この姿こそ俺が心奪われた羽杵さんの姿だ。
羽杵さんはひどく慌てた様子で俺に詰め寄って来る。
「早く学校から出て!!はやく!」
「いや……俺、羽杵さんに聞きたいことが――」
俺の言葉が言い終わらないうちに校舎中に突然けたたましい笑い声が響き渡った。人間の声ではなく笑い袋のような感情のない乾いた五月蠅い笑い声だった。
俺は知らなかった。
それが僕の知らなかった青春の裏で行われていた、殺し合いの開始の合図だったことに。