金のなる木
16.6.9 書き足してます。
夕食までの時間、ロザリンドは自室にいた。窓際に椅子を移動させ、外の景色を眺める。膝の上に置いてある本は、一向にページが進まないままだ。
「妃殿下。スープをお持ちしました」
「ありがとう」
アシュレイが作って来たのは、コンソメスープ。良い香りだ。上質の牛肉から取った出汁をベースに、たくさんの野菜を加えて煮立たせたものだ。
アシュレイの得意料理で、ロザリンドも好んで口にしている。
「こちらのパンもどうぞ。私が作りました」
「ありがとう。いつも、迷惑をかけるわね」
「良いのです。ですが妃殿下、夕食はどうされますか?」
侍女がテーブルを移動させ、その上にスープ皿を用意する。焼きたての白いパンには、バターも添えてある。
「……ジョーカーは、いつ頃戻るのかしら?」
「もう間も無く、帰られます。それまで、お腹に少しでも入れておきましょう」
スプーンを渡せば、ロザリンドは躊躇いがちに一口目を含む。
「いかがですか?」
「……美味しいわ」
アシュレイは安堵の笑みを浮かべ、後ろに控える侍女も笑みをこぼす。2年間、試行錯誤を重ね、ようやくこのコンソメスープにたどり着いた。パンも、必ず焼きたてを用意するようにしている。触ると、思わず落としてしまいそうな熱さのパンを、必ず用意する。
「妃殿下、ゆっくりで構いません。ですが必ず、すべてお食べください」
「分かってるわ」
ロザリンドは笑顔で頷き、二口目を口に運ぶ。
「――食事中か」
扉の開く音が聞こえて、顔をそちらへ向ける。部屋に入って来たジョーカーは、食事をするロザリンドを見て、満足そうな顔をしていた。
「殿下、お帰りなさいませ。妃殿下、失礼致します」
アシュレイが一礼し、控えの侍女と一緒に部屋を出て行く。
「殿下、私も失礼致します」
エリオットも、護衛の騎士を引き連れて出て行く。
途端に、部屋は静かになってしまった。
「しっかり食べろ、ロザリー」
「分かってるわ。……面白いものは見つかった?」
パンを手に取り、手でちぎる。熱いけれど、我慢できないほどじゃない。冷たい料理は嫌いだから、熱すぎるくらいがちょうどいいのだ。
「特には何も。楽しい領地の視察だったが、実りはなかった」
「そう。……私にはあるわ」
パンを置き、スープを見つめる。
「この国には、最高級と称される茶葉がいくつかあるのだけれど、そのひとつがネーベル領の『貴婦人』」
「いい名前だ。茶葉に使うには、仰々しい気もするが」
椅子を持ち上げ、ロザリンドの前まで移動させる。腰掛けると、焼きたてのパンを手に取り、一口かじった。
「この『貴婦人』を愛飲しているのは、王族と限られた貴族だけ。生産量も少なくて、王族のために生産されていると言ってもいい程の茶葉よ。それをどうして、この伯爵家が飲んでいるのかしら?」
「今日のために、奮発したとか?」
パンを食べながら、ジョーカーは自身の考えを述べる。ふたつめのパンには、バターをたっぷりと塗り、口に運ぶ。
「だとしても、簡単には手に入らない。言ったでしょう? 『貴婦人』は、王族のために生産されているようなものだと。決まった相手にしか売らないのよ」
それを、どうやって伯爵家は手に入れたのだろう?
王族御用達というブランドイメージは、何ものにも勝る。他に売るメリットはあるだろうか?
また、余った茶葉は選ばれた貴族――公爵などが買い上げてしまう。市場には出回らないのだ。
「自分の望みを叶えるために必要なもの。なんだと思う?」
バターを塗ったパンを飲み込み、ジョーカーはペロリと唇を舌で舐める。
ロザリンドは笑顔で、質問の答えを口にした。
「コネ、情報ーーあるいは、弱味。そして、魅力的な取引材料。つまりは――」
ふたりは見つめ合い、そして。
「金」
「お金」
同時に答えへとたどり着いた。
「このクレーヴァー領には、金のなる木があるようだ」
「探すの?」
「見当はついてる」
「じゃあ、見つけてどうするの? 奪うの?」
ロザリンドは、スープを飲む。話に夢中になりすぎて、少し冷えてしまっている。
けれど、アシュレイに全部飲むと約束しているし、飲まないわけにはいかない。
「生憎と、金のなる木は欲しくない。だから、燃やしてしまおうと思っている」
「貴方の物じゃないのに?」
「いずれ、この国のすべてがドラクロワの、ヴァールハイトのものになる。だから許されるんだ。俺の小さな我が儘なんてものは」
ジョーカーは立ち上がり、扉へと歩く。
「どこへ行くの?」
「調べ物だ。ロザリー。しっかり、残さず食べろよ。いいな?」
念を押してから、ジョーカーは部屋を出て行く。外へ出ると、エリオットを呼ぶ声が聞こえた。
ロザリンドはスープを飲みながら、思い出す。『貴婦人』と言う名の紅茶について。
あれは、本当に素晴らしい茶葉なのだろう。選ばれた者にしか口にできない味だと、言っていた。
「……こっちの方がいいわ」
どんなに高級な、特別な茶葉よりも、アシュレイの作ったスープの方が何百倍も美味しい。王族御用達なんて言う付加価値は、いらない。大切なことは、ただひとつ。
愛があるかどうかだ。
ロザリンドはスプーンを持ち直すと、コンソメスープと向き合う。すべて飲み干してしまわないと。
これは、自分のためのスープなのだから。
「あったか?」
「……無いわ」
屋敷の住人が夕食を楽しんでいる時間、アシュレイとエリオットはクラークの書斎にいた。書斎机の引き出し、本棚の本、ソファーのクッションの中、ありとあらゆる場所を探して回る。
「この引き出しは? 開けた?」
「鍵がかかってる」
書斎机の1番上の引き出しには、エリオットの言う通り、鍵がかかっていた。鍵はないようだから、開けるのは無理そう。
「貸して」
アシュレイは髪留めのピンを抜くと、それを鍵穴へと差し込む。
「お前はまた……」
「黙ってて。鍵を閉めて出れば、バレないわ」
カチャ……と音を立てて、鍵が開いた。アシュレイは自慢するように笑いかけると、引き出しを開ける。中に入っていたのは、帳簿のようだ。今年度の分と、去年の分の2冊。
「……違うな」
「……違うわね」
ふたりは揃って、帳簿を閉じる。
これは探している物ではない。引き出しに戻し、鍵を掛け直そうとしたアシュレイが、引き出しの奥に何かが入っていることに気づいた。
「これは……葉巻ね」
ケースを開けば、中には5本、葉巻が入っていた。アシュレイは女性だから馴染みは無いが、エリオットには分かった。
「これは『フェリータ』。……我が国のものだ」
「国境近いのだし、ヴァールハイトの商品を持っていても不思議じゃないわ。そうでしょ?」
「ならどうして、鍵付きの引き出しに入れるんだ?」
ケースをマジマジと見つめるが、これといっておかしな点はない。普通の葉巻だ。
「戻して。鍵を掛け直すから」
アシュレイに言われ、エリオットは引き出しにケースを戻す。
「どこかにあるはずだ。隠し帳簿が」
「けど、書斎には無いみたいだわ。他の部屋かも」
「例えば?」
「……私に任せて。明日には、見つけてみせる」
「何するつもりだ?」
訝しむような視線を向ければ、アシュレイは心外だ、とでも言いたげな視線を返す。
「使用人の話に、無駄なことなんて無いのよ。クレーヴァー伯爵が、触らないよう言っている場所がどこかにあるはず。そこが、隠し場所」
「……なるほど。なら、お前に任せることにする」
コンッ。
ひとつ、ノックの音が聞こえた。ふたりは同時に、扉を見る。
「夕食が終わったようです」
外に控えていた侍女が、扉を開け、囁くような声で一言。
アシュレイとエリオットは、本を棚へ戻し、わずかに開いていた引き出しを閉じ、足早に書斎を出て行く。
その後を、侍女が小走りで追いかけた。