吐き出すのは己の弱さ
ロザリンドは、食事が嫌い。何を食べても、美味しいと思えないから。
だからロザリンドは、朝が1番嫌い。1日の始まりが、食事と紅茶――自分の嫌いなもので彩られるから。
「殿下、本日は領内をご案内致します。と言っても、畑ばかりで面白くはないと思いますが……」
クラークは手を止め、ジョーカーを見る。朝食はシンプルで、トーストにスクランブルエッグ。よく焼いたソーセージ、朝摘み野菜のサラダ。理想的で、面白味のない朝食メニューだ。
この食堂と同じ。マホガニーのテーブルに、銀の燭台に食器。何もかもが定番すぎる。
チラッと隣に座るロザリンドを見れば、彼女は青い顔に笑みを張り付かせていた。
「こちらからお願いしようと思っていたんです。ありがとうございます。妻は――」
「よろしければ、お茶会にご招待しようと思っておりますの。妃殿下、お誘いしても?」
アデリンが、にっこりとロザリンドに微笑む。
「お受けしますわ」
言いつつも、ロザリンドの手は止まったまま。食事が一向に、減っていないのだ。
「お口に合いませんか?」
「いえ、美味しいですわ。ただ……」
「妻は少食なんですよ。特に朝食は、食べないことが多い」
ジョーカーが微笑むと、ロザリンドは困ったような笑みを浮かべる。
ロザリンドは立派な淑女だ。出された食事をきちんと食べることが礼儀であることも、重々承知している。
だから、何口かは食べるよう努力している。
ここ数年、公の場で出された食事を完食したことはない。
「そうでしたか……。あまり無理はしないでください。残してくださっても、構いませんので」
「ありがとうございます」
ロザリンドはそう言うと、ナイフとフォークを置き、グラスに手を伸ばす。
「…………」
食事が嫌いなのだから、当然、何かを飲むのも嫌い。
それでも、喉が渇くのも事実だ。一口水を飲むと、ロザリンドは席を立つ。
「失礼致します。美味しかったですわ」
笑顔を浮かべ、ロザリンドは食堂を出て行く。
その後ろには、アシュレイも続く。
「で、殿下――」
「私も失礼します。1時間後に、広間で」
ジョーカーが出て行くと、エリオットも後に続く。残されたプレスコット家の者は、呆然としていた。勇気を出して話しかけようとしたメーガンも、気落ちしたような顔で、グラスの水を飲み干した。
「ロザリーは?」
「浴室へ向かわれました」
2階へ上がるための階段を登りながら、ジョーカーはやっぱりと息を吐く。予想していたが、まぁ我慢していた方だろう。
「妃殿下はやはり……吐いていらっしゃるのでしょうか?」
「だろうな。ますます痩せてしまう」
ヴァールハイト王国でも、同じことを繰り返していた。食べても食べても、吐いてしまうのだ。
「毒も何も入っていないと言うのに……」
食べ物にも、飲み物にも何か入っていると思ってしまう。何も入っていないと分かっているのに、体は拒否して、すべてを吐き出してしまうのだ。医者にも診せたが、体ではなく心の問題だと言われた。
「殿下、今はご遠慮ください」
浴室の前で侍女がふたり、中へ入ろうとしたジョーカーを止める。微かに聞こえる苦しそうな声は、ロザリンドのものだ。
「どけ」
「……かしこまりました」
侍女が扉を開けると、ジョーカーは外にエリオットを任せ、中へ入った。
「殿下、今は――」
ジョーカーの入室に気づいたアシュレイが、一礼する。側には、食べた物を吐き出す妻の姿があった。
ジョーカーは部屋から出るようクイッと顎を持ち上げ、無言で命令する。アシュレイは戸惑ったが、王子の命令に逆らえるはずがない。無言で浴室から出て行く。
「ロザリー」
「……出て行って」
「何故?」
「……分かるでしょう? 見られたく、ないの」
途中で退席するという失態を犯した後に、こんなみっともない姿を見せるなんて……。
今更、と言われても、見られたくないものは見られたくない。
けれど、ジョーカーは出て行かない。ロザリンドの側に膝を付き、背をさする。
「……吐いたか?」
「……えぇ……」
ぐったりとするロザリンドを抱き上げ、浴室から客間へと移動する。ベッドに寝かせると、アシュレイがグラスに水を注ぐ。
「妃殿下、どうぞ」
「ありがとう」
グラスを受け取り、一気に飲み干す。信用できる者は、少ない。信頼できる者は、もっと少ない。
けれど、いつまでも閉じこもってはいられない。人との関わりを避け、暗闇に隠れていても、この心は病んでいくだけ。
だから外へ出た。自分自身が傷つくことを承知の上で。
「妃殿下、お茶会はお断りしましょうか?」
「いいえ、行くわ」
傷ついたとしても、自分で外の世界へ出ることを選んだ。逃げることは、自分の決定に背くこと。
そんなことはしない。
――私が決めたんだから。
「飲めるのか? 絶対に、お前の嫌いな紅茶も出るぞ」
「……飲むわ」
飲むに決まっている。お茶会とは、そういうもの。
「……ジョーカー」
ロザリンドが名前を呼べば、ジョーカーがベッドに腰掛ける。空気を読んだアシュレイ達は、そっと部屋を出て行く。
「私の過去を、聞きたい?」
「お前が話すなら、聞いてもいい」
「じゃあ、私が一生言わなかったら? それでもいいの?」
「構わない。俺が愛したのは、今のお前だ。過去はどうでもいい」
そう、誰も過去を問わない。ロザリンド――ロザリンド・クラウン・マルティーニの過去を、誰も問わないのだ。
ただ誰もが知っている。彼女はロザリンド。ヴァールハイト王国の由緒あるマルティーニ公爵家の令嬢。白金の髪と、蒼玉の瞳を持つ美しい公爵令嬢は、第3王子の目に止まり、出会ってすぐに結婚した。
「ロザリンド。いつも言ってるだろ。お前が望むなら、なんでも与えてやる。夜空の星だって、取ってやる」
ジョーカーが抱きしめると、ロザリンドは笑う。
「夜空の星なんていらないわ。知ってるでしょ?」
ふたりは笑う。
そう、誰も過去を問わない。
だって語り手は、いつだってロザリンド自身だから。