選ぶこと、その重さ
雲ひとつない快晴の下、ロザリンドは思いがけない人物と顔を合わせていた。
「貴方が来るとは、聞いていなかったわ」
視察で使う馬車の前、立っていたのはエルヴィンだった。アーチボルド侯爵が、美術館や図書館を案内すると聞いていたのに。
「私ではご不満ですか?」
「……いいえ、構いません」
ロザリンドは分からぬよう、小さく息を吐く。ダイヤの耳飾りが、動くたびに揺れている。
この石のように、強くあらねば。
「では、馬車へどうぞ」
エルヴィンが手を差し出し、ロザリンドは一瞬、躊躇した。
しかし、それを悟られてはならない。ロザリンドは無表情のまま、差し出された手に自分の手を重ねた。
「まずは王立図書館へ向かいます。よろしいでしょうか?」
「お任せします」
御者が馬車の扉を閉め、車内にはふたりだけ。アシュレイ達を同乗させても良かったのだが、ロザリンドはあえてふたりを選んだ。
「何かご質問など、ありますでしょうか?」
王族御用達の馬車は、やはり質が良い。座席も悪くないし、柔らかなクッションも置いてある。
エルヴィンはにこやかな笑みを浮かべ、目の前に座るロザリンドを見つめていた。
「……貴方は今日、夫と会うのかと思っていました。アロイス王と共に」
「陛下は確かに、お会いしておりますよ。ただ妃殿下も、国賓でございます。故に、私が参りました。王妃様がご案内しても、良かったのですが……」
「……王妃様は、私の要望をお受けしますか?」
ロザリンドの問いに、エルヴィンは表情を変えない。にこやかな笑みが、嘘くさく見える。
「私は交渉するためにも、こうして妃殿下の前におります」
「王妃の退位を譲るつもりはありません」
「そのお気持ちは、理解しております。ですから、退位するのは王妃様のみにしていただきたいのです」
ロザリンドとエルヴィンは、互いに視線を逸らさない。交渉してくるだろうと、ロザリンドは予想していた。マリアンヌ自身が交渉するとは、思っていなかった。彼女はプライドが高い。自ら動きはしないだろう。
ならば、動くのは宰相のエルヴィンだ。
「厳しいことを言いますが、国王陛下は王妃様のお望みならば何でも叶えようとしますでしょう? 王妃様が退位されても、いつか返り咲こうと思うのでは?」
「私がそばにおります。そんなことにはなりません」
「いいえ、信じられません。貴方は元々、ミルフォード家の執事だった者です。王妃に微塵も、忠誠心が無いと?」
「信じていただくしかありません」
「……私が無条件に信じる者は、この世にひとりだけ。貴方ではない」
ハッキリと答えれば、エルヴィンは何故か、悲しげな目をした。
「私は十分に譲歩しています。何も、この国をヴァールハイトの支配下に置こうとしているわけではないのですよ? ですが……もしも私の提示した要求を承諾いただけないのでしたら、色々と変わるのでしょうけれど」
「…………」
「退位は十分な譲歩です。それとも、廃位をお望みですか? 私は一向に構いませんよ」
ロザリンドの言葉に、エルヴィンは少しばかり目を見開いた。退位と廃位では、意味合いがまったく異なるのだ。退位は自ら、けれども廃位は――強要される。
「王妃様は自尊心が高い方。廃位は、お嫌だと思います」
「……貴女はまるで、別人のようですね」
エルヴィンは、目の前のロザリンドをジッと見つめている。
「2年前よりもずっと、お美しくなられました。けれどお心には、人らしい醜さを宿された」
「貴方達のお陰です。私は多くを学ぶことができました」
「否定されないのですね。2年前に会っていることを」
「忘れることができますか? エヴィエニスで最後に会った者は、他ならぬ貴方だというのに」
ロザリンドの顔には、いつの間にか微笑みさえも消えていた。眉間にシワこそ寄っていないものの、表情は険しい。
「エルヴィン・J・リヴィル――私は貴方に、死んでもらいたい」
冷ややかな声。
そして、強くもある声。震えてはいないが大きくもない声は、車内に不思議と響く。
ロザリンドは視線を、一瞬も逸らさなかった。
王の執務室は、宰相の執務室よりも広くて快適だ。室温は常に管理され、過ごしやすい。
「宰相殿は、欠席ですか?」
執務室に入ったジョーカーを待っていたのは、アロイスと文官ふたり。エルヴィンも出席すると思っていたので、つい問うてしまった。
「リヴィル宰相は、ロザリンド妃の視察に同行されております」
「……そう、ですか」
ジョーカーは表情こそ変えなかったが、内心動揺していた。
いつだって、ジョーカーの自信は揺らがない。そういう環境で育ってきたし、そういう人に育てられてきたからだ。
だがどんな人間も、恋をすると弱くなる。
ジョーカーは、ロザリンドに会って欲しくないのだ。エルヴィンと。
「ご安心ください。必要な書類は用意しておりますので」
文官が、大量の書類をローテーブルの上に置く。
「……この国の支援制度について、いくつか指摘したい点があります。まずは、農業ですが」
「お待ちください。農業関係の書類は――」
文官が大量の書類の中から、目当ての書類を探し出す。山積みにされた書類が倒れそうになったが、なんとか書類を見つけることには成功したようだ。
「こちらになります」
ジョーカーとアロイス、ぞれぞれに書類が渡る。少し呆れながら、ジョーカーは書類に目を通してみた。
「……やはり、支援制度が甘いですね。この国は肥沃な大地を持っています。もう少し農業に力を入れても良いと思いますよ。支援制度を充実させれば農家の手助けになりますし、自給率も上がる」
「そう、ですね」
アロイスの反応が悪い。薄々感じてはいたが、アロイスは政治に興味がないようだ。文官も基本通りの仕事はするが、有能とは言えない。
「それから、冬に栽培できる穀物などもあります。スティーリア帝国が原産ですが、視野に入れてみるのもいいでしょう。あの国は魔法も発展していますし、真似をして屋内栽培に手を出すのも手ですね」
「は、はぁ」
「新米農家には返済しなくてもいい支援金を出してもいいですね。土地代を免除するとか」
「…………」
開始10分、アロイスは既にやる気がない。ジョーカーの言葉を文官がメモしているが、実現されるかは分からない。
やはり、この国の実権を握っているのはエルヴィンだ。
ただ、エルヴィンが奪ったのではない。アロイスが自ら、手放したのだ。
「貴方は王に相応しくない」
ジョーカーは書類をテーブルに投げ、アロイスを呆れた目で見る。
「たとえ望んだ地位でなくとも、先王よりも劣っていても、1度その王座に着いたのなら、責任を持つべきだ。それなのに、貴方は目を背けるばかり。王に相応しくない者が王座に座っていても、王権は宙に浮いたまま。まるで、傀儡の王だ」
アロイスは何も言わない。文官は顔を真っ青にして、ふたりを交互に見つめていた。
やはり、ロザリンドの選択は正しかったのかもしれない。アロイスは退位すべきだ。彼は明らかに、力不足。
「……貴方は、私と違う。自信に満ち溢れていて、強国の王子で、きっと王にも相応しい。愛しい人の愛も得ている。……退位すれば、楽になれますか……?」
「それは分かりません。この国の現状は、良いとは言えない。いっそ、ヴァールハイトの属国になっては?」
「……誰も認めません」
「貴方は王ですよ。最後の王命くらいは、責任を持ってもいいのでは?」
アロイスは自信がなさそう。実際、なんの自信もないのだろう。王としての威厳もない。妻の愛も離れていっている。自分を肯定する者が、どんどん壊れていく。
「妻は属国の件を、了承してはいません。本人は認めていませんが、まだこの国に愛情が残っているんでしょうね。膿をかきだし、この国が再び立ち上がることを望んでいるのかもしれない。ただ私は。この国がヴァールハイトの属国となると決まれば、すぐに動きます」
「ぐ、具体的には……?」
「先程も言いましたが、この国は肥沃な大地を持ってます。私ならば、この国には農業だけに専念してもらいます。ヴァールハイトは大国です。簡潔に言えば人口が多く、その分、食料も必要になる。属国から定期的に安定した食料が供給されれば、ひとつ問題が解決される」
「…………」
「これは、平和的だと思いますよ。属国のひとつに、クラーク王国があります。彼の国は長年、ヴァールハイトと争ってきましたが、結局、属国になる道を選んだ。ヴァールハイトと長年戦える国は多くない。クラーク王国は優秀な騎士団を持っていましたからね。そのため、属国となったクラーク王国の役目は、我が国の盾であり剣となること」
それは、とても現実的な話だ。クラーク王国は、完全なまでの軍事国家となった。戦争が起き、ヴァールハイトから声がかかれば、拒否することはできず、戦争に参戦する。
そして、ヴァールハイトを守るため、ひいては自国を守るため、戦う。
それ以外の面は、ヴァールハイトが保障している。
「エヴィエニスは戦いますか? 我が国のために」
「……エヴィエニスに軍隊はありますが、規模は小さく……」
「知っています。だから、農業に専念させるのです。この国に戦えと言えば、足りない兵力を国民で補うしかない。1度も剣を持ったことのない若者が、前線に立つことになる。それは避けたいでしょう?」
エヴィエニスに残された道は、あまりにも少ない。ロザリンドの提案を受ければ、少なくとも王国として保たれる。同盟国になり、ある程度の支援を受けられるだろうが、それは永遠じゃない。支援期間が終われば、エヴィエニスは自ら立ち続けることになる。
だがヴァールハイトに従属すれば、未来が約束される。安定した未来だ。明るいかどうかは、分からないが。
「選んでください。そして王としての決断を、責任を持って下してください」
「まだ目を通していない書類がありますが……」
立ち上がり部屋を出て行こうとするジョーカーを、文官が呼び止める。テーブルには確かに、大量の書類が山積みしたままだ。
「これ以上、何を話すんですか? あとは、陛下がお決めになることです」
冷ややかに、そしてハッキリと告げ、ジョーカーは執務室を出て行く。文官は困った顔で、アロイスを振り返る。
「陛下……どうされますか?」
「……決めるのは苦手なんだ、昔から。……エルヴィンに聞かないと」
ジョーカーの望み通りの展開には至らなかったようだ。
アロイスは目を伏せ、静かにしていた。目の前に用意された選択肢が、あまりにも厳しい。
そんな重大な責任を、負いたくない。国の未来が、自分の双肩にかかっている――その事実が、どうしても気持ちを沈ませる。
こういう気持ちの時はいつも、マリアンヌに会いたくなるんだ。




