表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/56

クレーヴァー伯爵家

 クレーヴァー領は、ヴァールハイト王国との国境にも近い。治めているのは、プレスコット家。広大な領地のほとんどが、農地となっている。

 この領地の収入源は、穀物なのだ。領民の多くが、農地を耕す農民。秋になると、黄金色に輝く小麦畑が領地を彩るのだ。

 それは見事な光景で、多くの者の心を奪う。


「殿下、妃殿下。到着しました」


 馬車の扉を開けたのは、ジョーカーの従者であるエリオット・バークワース。腰には細身の剣が光っており、彼がただの従者ではなく、戦える従者であることを示してくれている。


「ロザリー」


 ジョーカーが馬車を先に降り、ロザリンドに手を差し出す。

 その手を借りて、ロザリンドはクレーヴァー領へと降り立った。


「ようこそおいでくださいました。私はクレーヴァー伯爵、クラーク・プレスコットと申します。妻と娘をご紹介しますので、中へどうぞ」


 ロザリンドが馬車から降りると、待っていましたとばかりに男性が近寄って来た。焦げ茶色の髪が少し薄くなっているのは、年齢のせいだろう。年齢相応に、お腹も出てきているようだ。

 ジョーカーは笑顔で、クラークと握手を交わす。


「オスカー・J・ドラクロワと申します。妻のロザリンドです。しばしの間、世話になります」


 ロザリーは声を発することなく、控えめにお辞儀をする。


「お部屋はご用意しております。それにしても、我が国と貴国が同盟国になるとは……嬉しい限りです」


 腕を組み、ふたりは伯爵邸へと足を踏み入れる。

 プレスコットは伯爵家だが、資産で言えば大したことはない。収入は安定していると言えるが、領地の管理にかなりの額が飛んでいく。冬は穀物を育てることが出来ないので、春から秋まではきたる冬のために貯蓄しておかなければならないし。

 それを表すように、伯爵邸は色々と目がつく。建物は典型的なカントリー・ハウス。 掃除は行き届いているようだが、カーテンの色がわずかばかり色あせている。通された応接間のカーテンも同様。壁紙も変えていないのだろう。流行のものとは言えない。調度品も、磨かれてはいるがいかんせん古すぎる。


「妻のアデリンと、娘のメーガンです」


「アデリン・プレスコットと申します」


「め、メーガン・プレスコットです」


 ふたりは淑やかに挨拶を済ませる。

 ふと、ロザリンドはあることに気づく。屋敷の調度品が古く、カーテンも変えられていないのに、彼らの服は良い品だ。伯爵家なのだから当然と言えるが、新しいドレスに、新しい靴。壁紙は流行遅れなのに、ドレスは流行のデザインだ。

 ロザリンドはチラッと、娘のメーガンを見てみた。視線に気づいたのだろう。メーガンも、こちらを見る。

 そして――。


「エリザ――!!」


 驚いたメーガンは、大きな声を上げる。両親に睨まれた為、言葉は途中で遮られたが、ロザリンドには分かった。

 エリザベス――そう言おうとしたのだ。


「ロザリンドと申します。見た所、年が近いようですわ」


 美しい笑顔を浮かべて、ロザリンドはメーガンを見つめ返す。馬車の中でしっかり眠ったからだろう。気分が良い。


「娘は17でございます、妃殿下」


「そうですか。妻は18なんです。レディ・メーガン。良かったら、話し相手になっていただきたい」


 ジョーカーが微笑むと、メーガンは頬を薔薇色に染めて頷く。

 なんと愛らしい姿だろうか。 初心うぶなその姿は、多くの男性が望む理想そのもの。


「ありがとうございます、楽しみにしていますわ」


「は、はい」


 メーガンは、ロザリンドを見ようとしない。

 まるで、幽霊か何かを見たような顔をしている。

 それが可笑しくて、ロザリンドはつい、笑みが溢れてしまっていた。





 ふたりがクレーヴァー領へ滞在する間使う部屋は、使用人達が隅から隅まで掃除したので、ホコリひとつない。清潔な白いシーツに、ふかふかの枕、天蓋まで付いている。書物をするための机には、上質な紙とインク。隣の部屋には、浴室バスルームもあるし、湯冷めする心配のない距離だ。

 国賓を招く部屋にしては手狭だが、文句を言うつもりはない。この国へ来ると決めた時点で、国王に伝えてある。特別扱いはいらない、と。


「殿下、しばしお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 声を発したのは、エリオットだ。

 この部屋には今、ロザリンドとジョーカー、エリオットの3名しかいない。国から連れて来た使用人は、荷物の片付けに大忙しなのだ。伯爵邸に滞在すると言っても、期間は長くない。すべての荷物を紐解く必要はないので、必要なもの、そうでは無いものとに分けているのだろう。


「屋敷の全体図を把握して参ります」


「あぁ、頼む」


 エリオットは一礼すると、部屋を出て行く。

 ジョーカーはフロックコートを脱ぐと、ベッドへ投げる。


「ロザリー。すぐにアシュレイが来る。それまで待っていろ」


 ロザリンドは部屋に入ってから、1度も声を発していない。

 それどころか、身動きひとつ取っていない。

 ジョーカーが歩み寄れば、ロザリンドはようやく1回、首を縦に振った。顔色が悪い。


「座ったらどうだ?」


「……気にしないで」


 ジョーカーはやれやれと言った様子で、ベッドの足元に置いてあるオットマンに腰掛ける。

 すると、彼は両腕を広げてロザリンドを呼ぶ。


「立ってると疲れるだろ」


「平気よ。アシュレイが来るまで待つわ」


 1歩も動きたくない。家具にも触れたくない。

 それを知っているジョーカーは、ロザリンドの手を引き、自分の膝の上に座らせた。


「これなら、触れているのは俺だけだ」


「……そうね」


 ロザリンドは膝から降りようと思ったが、やめた。足を休めたかったし、ジョーカーの優しさに甘えることに決めた。

 ジョーカーの首に手を回し、体重を預ける。


「また痩せたな。きちんと食べろ」


「食べてるわ」


「この国に来たから、お前はもっと痩せるだろうな」


「……食事は嫌いなの」


 嘘は言っていない。量は少ないが、確かに食べている。

 でも、量があまりにも少ないから、栄養が足りていないのも確か。体重は落ちていくばかり。


「お前は嫌いなものが多すぎる。嫌いなものじゃなく、好きなものを数えろ」


「好きなもの? ……あるわ。たくさんある」


 ロザリンドは、ジョーカーの肩にそっと頭を乗せる。

 そして、自分の指を使って数え始めた。


「静かな雨、石鹸の香り、猫」


「他には?」


「流れる水の音、月の光、それから――」


「それから?」


「お父様とお母様、お兄様も好き。アシュレイも好きだし、エリオットも好きよ」


「俺は? 夫のことは、数えてくれないのか?」


 ロザリンドは微笑む。

 子どもみたいなことを言わないで――その言葉を飲み込み、代わりに出てきた言葉は。


「貴方のことは、愛しているもの。他と一緒には、数えられないわ」


  妻の答えに満足したのか、ジョーカーは笑顔を浮かべてロザリンドの頰にキスを落とす。


――コンコンコン。


「入れ」


 ノックの音に、ジョーカーは顔を上げることなく返事をする。入って来たのは、ロザリンド付きの専属侍女アシュレイ・キャンベル=ジョーンズ。

 アシュレイは自身の主人達が睦み合う姿を確認すると、目を伏せる。見ないのも、礼儀マナーだ。


「始めても?」


「手早くな」


 アシュレイは許可が出ると、すぐに仕事をはじめた。ベッドの下、シーツの中、天蓋の上。部屋のありとあらゆる場所をチェックする。引き出しを開けて、中に入っているお香もチェック。


「どうだ?」


「何もありません。問題ないかと」


 チェックを終えたアシュレイが、こうべを垂れる。

 このチェックは、恒例行事だ。

 ロザリンドは、自分の領域テリトリーではない場所では、身動きひとつ取れなくなる。

 その時は必ず、アシュレイや侍女達が部屋をくまなくチェックするのだ。ドレスに針が仕込んでないかとか、ベッドに蛇がいないかとか。


「妃殿下のお着替えをお持ちします」


「頼む」


 アシュレイが部屋を出て行くと、ジョーカーはロザリンドを抱えたまま立ち上がった。ジョーカーがたくましいからなのか、ロザリンドが軽いからなのか。

 兎にも角にも、彼は抱え上げたロザリンドをベッドへと運ぶ。


「ジョーカー。面倒な妻を、貴方はいつか嫌いになるわ」


 自分でさえも嫌になる。はじめて入る部屋のみならず、信用できない人間が1度でも入れば、またチェックし直し。アシュレイも侍女も嫌な顔はしないが、ジョーカーはいつか嫌になるだろう。

 ロザリンドはそう思っている。


「もしそうなったら、お前のその手で殺してくれ。お前を愛さない俺なんて、きっと俺じゃないからな」


 ロザリンドの唇に触れるだけのキスを贈ると、ベッドから離れる。


「彼女とは知り合いなのか?」


「彼女? あぁ、レディ・メーガンのことね」


 シーツにおずおずと触れて、安全を確かめる。

 そうしてようやく、ロザリンドはヘッドボードに背を預けた。


「……昔、何度かお茶会で会ったことがあるわ」


「あまり良い思い出ではないようだな」


 ジョーカーは微笑むと、窓に近づく。閉じられたカーテンを開け、外の様子を観察する。遠くに点々と見えているのは、明かりだろう。畑は、魔物や動物達の被害に遭ってしまうから、見張りを立てているのだろうが……。


「……遠いな」


 カーテンを閉じると、ロザリンドへと視線を移す。彼女は過去を思い出しているのだろう。目を伏せ、表情が暗い。


――コンコンコン。


「入れ」


「失礼致します。妃殿下、お湯の支度が整いました」


 アシュレイの言葉に、ロザリンドは頷いてベッドから降りる。


「行ってくるわ」


「あぁ、待ってるよ」


 ジョーカーを部屋に残し、ロザリンドは隣の浴室バスルームへ向かう。眠るのも食事をするのも嫌いだが、お風呂は好きだ。降り注ぐお湯は静かな雨、少し動けば水の音、泡立つ石鹸は清潔をイメージさせる香り。夜、月明かりを浴びながらなら尚良し。

 バスタブは大抵、猫足だしね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ