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雛菊は今も、揺れている

 ジョーカーが街の視察に出向いている間、ロザリンドはボーデン家に残り、本を読んでいた。淑女レディらしい、紅茶も刺繍もピアノも嫌い。

 ヴァールハイトにいた頃も、やることといったら決まっていた。本を読むか、アデルと遊ぶか。

 時折、思うこともある。

 こんな人生で楽しいのか、と。色んなものに怯え、食事も満足に出来はしない。朝目覚めるたびに、輝く太陽の光を忌々しく思うのだ。

 そんな人生、大抵の人間なら嫌になるだろう。


「妃殿下。お客様がお見えです」


「誰?」


 シャノンが迷いつつ、扉を開ける。廊下に立っていたのは、ネヴィルだった。


「いいんですかっ? 殿下がいないのに、殿方を部屋にいれて」


 隅に控えていたアイリスが、シャノンに駆け寄る。

 もしもこのことがバレたら、自分達は運が良ければクビ。悪ければ――想像するのはやめておこう。


「入ってもよろしいですか?」


「――どうぞ」


 ロザリンドが微笑むと、ネヴィルは安堵したような顔で、部屋へ入った。


「夫と一緒に出かけたのかと思っていました」


「父と……妻が行きました」


 この街のことは、伯爵よりもハーリング家の方が詳しかったりする。息子のネヴィルは留守番で、嫁のデイジーが同行者。

 かくも不思議な組み合わせだ。


「座っても?」


「……どうぞ」


 ネヴィルが、ロザリンドの目の前に座る。本を閉じたロザリンドは、自身の手を膝の上に移動させ、チラリとシャノン、アイリスを見た。

 ふたりは頷くと、ロザリンドの側へと移動し、アイリスは部屋の窓をすべて、開け放った。


「……妃殿下は、お美しいですね」


「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ」


「お世辞だなんて……。こんなにも美しい人を見たのは、2度目です」


「2度目? あぁ……1度目は、奥様ですね」


 ロザリンドは目を伏せ、自分の手を見る。大丈夫。震えてはいない。


「妻はその、まぁ……」


 ハッキリしないネヴィルを、シャノンとアイリスは呆れた目で見ている。

 こういう男は、好きじゃない。


「……妃殿下は、本当にヴァールハイトの出身ですか?」


「昨夜、そうお答えしましたわ」


「本当ですか? ……エヴィエニスの出身では?」


「何故、そう思われるのでしょう?」


 ロザリンドは一切の躊躇いもなく、問い返す。


「……似ているんです。エリザベス・ミルフォードに。いや、瓜二つ!」


 バンッと大きな音を立てて、ネヴィルが立ち上がる。反射的に、ロザリンドの肩がビクリと跳ねた。


「貴女は本人ですよね? 本人のはずだ! エリザベス!」


「――ッ」


「無礼ですよ!」


 掴みかかるような勢いのネヴィルを、シャノンがキツイ声で制する。


「お引き取りください」


「僕は伯爵家の者だ。侍女の命令を聞くような立場じゃ――」


「お引き取りください、ネヴィル・ボーデン様」


 新しく聞こえた声は、アシュレイのものだった。全員の視線が、部屋の扉へと向けられる。


「だから、僕は――」


「わたくしは確かに侍女ですが、父はヴァールハイトの侯爵です」


「こ、侯爵?」


 ネヴィルの表情が、一瞬で変わる。侯爵と聞いただけで、こんなにも顔が変わるとは……。


「情けない男」


 シャノンの呟きに、アイリスは無言で頷いた。


「侯爵家は、伯爵家よりも位が高い。その侯爵家の者の命ならば、聞いていただけますか?」


「僕はただ……エリザベスに話が……」


「ロザリンド様です。ヴァールハイト王国第3王子オスカー・J・ドラクロワ様の奥方、ロザリンド様です。お間違いなく」


 アシュレイがハッキリそう告げれば、ネヴィルはすがるような目をロザリンドへと向ける。

 けれど、ロザリンドはネヴィルを見ない。視線は開け放たれた、窓の外。


「お引き取りください」


「……妃殿下、失礼します」


 ネヴィルは形式的に頭を下げ、部屋を出て行く。納得していない顔ではあったが、この場に留まるのは得策ではない。

 コツン、コツン……。

 ネヴィルの足音が遠ざかっていく。

 その音を聞きながら、ロザリンドはため息を漏らす。


「妃殿下、部屋を調べ直します」


「えぇ」


 ロザリンドが頷くと、アシュレイは部屋のチェックをし始める。ネヴィルが触れたものは限られているが、それでも他人が入った時点で、チェックし直し。

 そうしなければ、ロザリンドは今座っている椅子から立てなくなってしまう。


「………………」


「殿下はすぐにお戻りになりますわ、妃殿下」


「……そうね」


 微笑んで、ロザリンドは外を見続ける。

 この視察の最終的な目的地は、王都だ。エヴィエニス王国の首都・フォルティスに、この国の支配者・アロイス王が住まう王城がある。

 その傍らには、可憐な王妃・マリアンヌの姿もあるのだろう。亡き姉に代わり、アロイスの婚約者となり、そして王妃となった。


「この国は『高潔』とは程遠い国になってしまったわね」


 目を伏せ、ロザリンドは呟く。

 『彼女』が愛していたものは、限られている。最愛の母、愛猫のジジ。

 そして、エヴィエニス王国。先代のフィリップ王は、素晴らしく高潔な人物だった。不正を許さず、弱者を助け、王族としての務めを果たしてきた。

 『彼女』は先代フィリップ王を、敬愛していた。


「愛したものは、すべて壊れてしまったわ」


 だから、怖くなる。

 いつかまた、愛したものが手から滑り落ち、壊れてしまうのではないだろうか、と。





 ハーリング商会へ向かう馬車の中、ジョーカーは目の前の人物を観察していた。一緒に乗っているのは、デイジー・ボーデンただひとり。義父であるセドリックは、前を行く馬車に乗っている。


「あと数分で、商会へ着きますわ」


「そうですか」


 デイジーのドレスは、綺麗なオレンジ色。主張するような濃いオレンジ色ではない。品のある色合いで、レースもふんだんに使われているし、刺繍も手が込んでいる。触ってはいないが、生地は最高級品を使っているのだろう。

 宝石類は身につけていないが、動きやすいよう履いている長靴ちょうかも一流品。ロザリンドのために購入しているので、2年間で随分と、女性ブランドに詳しくなった。


「貴女は、何故ネヴィル殿と結婚を?」


「政略結婚です。わたしの意見は関係ない。殿下ならば、よくご存知なのでは?」


 ジョーカーを前にしても、デイジーは畏縮していない。堂々と、ジョーカーの目を見ている。


「政略結婚、ですか。けれど、ハーリング家が手に出来るのは、伯爵家と親戚になれるくらい。得しているのは、ボーデン家のみでは?」


「…………私が、ネヴィル・ボーデンとの結婚を望んだからです」


 隠すつもりは無かった。

 ただ、この街の人間には知られたくなかったから、口を閉ざしていただけ。

 デイジー・ハーリングは、金持ちハーリングのひとり娘。結婚の申し込みは多かった。皆、金目当てだったけれど。

 そんな中、デイジーが選んだのはネヴィル・ボーデン。爵位しか持っておらず、負債もかなりのもの。両親は苦い顔をしていたが、ハーリング家は常々、きちんとした身分を持ちたいと考えていたから、娘の望みを叶えることにした。


「彼を……愛しています。笑いますか?」


「何故?」


「だって、彼は私を愛していない。お金で……買ったようなものだから」


 結婚して半年、デイジーはいつも思っていた。ネヴィルは自分を愛していない。ちまたの噂を真に受けて、ハーリング家が爵位を手に入れるため、結婚させたと信じている。

 実際、両親の思惑はそこにあるのだし、否定はできないのだが。

 それでも、自分は好きな男を金で手に入れたようなもの。一生愛されないかもしれない。

 そんな不安を押し隠すように、ボーデン家の者には高圧的に接してしまう。


「愛する者を繋ぎ止めたいと言う気持ちは、私にも理解できますよ」


「……殿下は、妃殿下を愛していらっしゃるんですね」


「えぇ、心から」


 望むもののすべてを与えよう――そう、あの日に約束した。

 けれど最愛の妻は、金も宝石も地位も望まない。望むことはただひとつ。


――『彼女』の代わりに、すべてを壊したい。


 取り戻せないことは、承知している。失ったものは、2度と戻りはしない。

 それでも、愛した女性の心を満たすためなら、ひとつの国を滅ぼしたって構いはしない。


「…………彼女はいつだって、愛される」


 疲れたように笑うデイジーに、ジョーカーは冷ややかな視線を向ける。


「デイジー・ボーデン嬢、貴女はひとつ、勘違いしている」


「え?」


「愛とは求めるものではなく、与うるものですよ。自分が愛しているからと、相手にも同じものを求めてはいけない」


 ジョーカーは思うのだ。愛ほど思い通りにならないものはなく、愛ほど自由なものもない。

 ロザリンドと出会い、ジョーカーは愛を知った。彼女だけを愛する。他はどうでもいい。


「星を取るより、国を壊す方が簡単だ」


 そう呟くのと同時に、馬車は止まった。

 ジョーカーはデイジーを見ると、やれやれと首を振る。ロザリンドへの思いを言葉にするたび、聞いている人間は、なんと言うか……様々な反応をする。笑っていたり、顔を真っ赤にしたり、険しい顔をする者もいた。

 けれど今のデイジーは、そのどれでもない。目を伏せ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。



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