主人に仕える者
夜更け、書斎に響いたのは父親が娘の頰をぶつ音だった。倒れたりはしなかったが、それでもメーガンの頰は赤く染まっている。
そっと自分の頰に触れてみれば、熱を持っているのを感じる。
「側妃になることを諦める? 本気で言ってるのか、お前は?」
両親の責めるような眼差しに、メーガンは唇を噛む。
「……殿下は私を愛さない」
「それがどうしたと言うの? 愛がなくても、生きて行けるわ」
クラークもアデリンも、すべては娘のためだと信じている。側妃になれば、少なくとも不幸にはならないと。
だが、メーガンは違う。社交界で、多くの令嬢の影に隠れていた。男性と話すのも苦手で、未だに婚約者もいない。
けれど、現状に満足しているわけではないのだ。自分だって、愛されたい。1度くらいは、注目を集める存在になってみた。
そう、エリザベス・ミルフォードのように。
「こんな状態で側妃になっても……惨めだわ。分かってるでしょ? 側妃になったって、なんの意味もない」
「メーガン、ワガママを言わないで」
「ホントは分かってた。私を側妃にしようとするのは、自分達のためでしょ? いつまで経っても婚約者を見つけられない私を、恥じてる。そうでしょ?」
娘の叫びに、ふたりは顔を見合わせる。
メーガンだって、バカじゃない。両親が結婚を急がせるのは、行き遅れにならないためだ。女性が社会進出し始めていても、結局、女は嫁に行って、子どもを産むのだという根強い固定観念がある。
いつまでも結婚相手が見つからない娘に、両親はやきもきしているのだ。
「私だって愛されたいの! ……殿下は無理よ。私のこと、眼中にない」
彼の目に映るのは、いつだってロザリンドだけ。愛を得ようとすれば、余計惨めになるばかり。
ならば、早々に諦めるべきだ。縋り付けば、かろうじて残る自分自身の矜持さえ失ってしまう。
「メーガン……でも」
「殿下は言ってた。伯爵家には、そもそも怒りを抱いてる、って」
ジョーカーとの会話を思い出す。彼の冷たい目を思い出すと、今も震えてきそう。
「我が家に、怒り? 何かした覚えはないが……」
ヴァールハイト王国とは、確かに近い。
だが、大陸最強の国家にちょっかいを出す程、クラークも命知らずではない。怒りを買った覚えはないはず。
「とにかく、はじめから無理だったの! もうやめて!」
「メーガン!」
感情のままに叫ぶと、メーガンは書斎を出て行く。クラークは追いかけようとして、けれどやめた。
今、娘は感情的になりすぎている。何を話しても、無駄だ。聞く耳を持たない。
「ですけど、殿下は明後日の朝、出発するわ。明日の夜までにどうかしないと……」
「……私自ら、頼んでみよう。メーガンの奴は、何がそんなに嫌なんだ?」
両親には分からない。娘の幸せを願っているだけなのに、どうして意見が合わないのか。
ただ、確かにこの家族は似ているのだろう。自分は悪くない――そう思っているから。
翌日、ロザリンドとジョーカーはなに食わぬ顔で朝食の席に現れた。メーガンは気まずそうだったが、クラークとアデリンは昨夜の一件を無かったことにするつもりのようだ。一切触れず、朝食は無事に終わった。
言うまでも無いことだが、やはりロザリンドは吐いてしまっていた。
そしてお昼前。シャノンはアイリスと一緒に、鞄にドレスや長靴を仕舞っていた。クレーヴァー領も、今日でお別れだ。明日の朝には、次なる目的地・アウルム領へ向かう。
「アウルム領って、確か金鉱山があるんですよね?」
「今は採掘されてないそうだけど、それで栄えた鉱山の街があるそうよ。今は商業の街になってるみたいだけど」
アイリスの問いに、シャロンはすぐに答えた。事前知識を入れておいたのだ。王国と言えど、エヴィエニスは小国の部類に入る。
ジョーカーがこの国との同盟について切り出した時、国王や王太子は口を揃えて言っていた。
あんな小国と、わざわざ同盟を結ぶ必要があるのか、と。小国相手ならば、少し戦争の話題をチラつかせるだけでいい。大抵の国は、従属する。
だがジョーカーは、あえて同盟と言う手段を選んだ。
そして、自ら視察しにこの国へ来た。すべては、ロザリンドのために。
「妃殿下が心配ですね。この国に来てからずっと、無理をされてるような気がします」
「……そうね」
シャノンは目を伏せる。暗黙の了解として、誰もロザリンドの過去を問わないし、探らない。
以前ヴァールハイト王国で、ロザリンドの過去を詮索していた使用人がいた。ジョーカーに取り入る口実が欲しかったのだろうが、その使用人は結局、すぐに解雇されていた。
「あぁ、ここに居たのか」
ノックもせずに現れたのは、テオドールだった。シャノンが訝しむような視線を向けると、テオドールは紙袋を差し出す。
「なんですか、これ」
シャノンが受け取らないので、代わりにアイリスが受け取る。中を見れば、クリームが入っていた。
「手荒れに効くそうだ。使うといい」
「ありがとうございます」
渡すものを渡して、テオドールは仕事へと戻る。
テオドールが見えなくなるのを確認してから、アイリスは紙袋ごと、ハンドクリームをシャノンへ渡す。
「これ、シャノンさんにですよ。分かってますよね?」
受け取ろうとしないシャノンに、無理矢理持たせる。
「名指しはしなかったわ。他の子にも渡して」
受け取った紙袋から、とりあえずひとつだけ貰うことにする。飾り気のない容器に入ったハンドクリームは、爽やかな香りがした。
「どうして私の周りの先輩方は、みなさん素直じゃないんでしょうね」
アイリスは早速、ハンドクリームを使っていた。少量を手に取り、よく馴染ませる。香りもキツくないし、これなら仕事中も使えそう。
「アシュレイさんも、素直じゃないですよね。……まぁ、男性陣も似たようなものですけど」
そう言って、アイリスは荷造りを終えた鞄を持ち上げる。中々に重いが、荷物の大半は従僕や護衛の軍人が持つ。侍女がするのは、荷造りまで。
「とりあえず、荷造りは完了ね。私はこれから、マカロンを作りに行くわ」
「マカロン? あぁ、妃殿下からの頼まれ事ですね。……珍しいですよね。妃殿下が食事関連の頼み事をするの」
「そうね。けど、私達の仕事は詮索じゃない。言われた通りの仕事をして、時折、主人の名誉を守る。分かった? なら、厨房へ行きましょう」
シャノンはさっさと厨房へ向かうため、部屋を出る。
その後を、アイリスが慌てて追いかけた。




