似ているような違う色
16.6.9 魔法が存在している世界なのに、魔法が出てきませぬ……何故か。
メーガン・プレスコットの部屋は、可愛らしいピンク色。花柄の壁紙もピンクだし、ベッドのシーツや枕もピンク。家具は白で統一されているが、細々としたものはすべてピンク色だ。少女らしい部屋と言えば聞こえは良いが、ロザリンドの好みではない。
この部屋じゃ、くつろげそうにないから。
「妃殿下は刺繍がお上手ですわね」
「ありがとうございます」
針は好きじゃないが、お茶会よりはマシ。
アデリンが道具を貸してくれると申し出てくれたが、ロザリンドは自分の刺繍道具を持って来た。他人が用意した針を使うなんて、恐ろしい。
「メーガンは……」
目の前に座るメーガンは、退屈そうな顔で針を刺している。
どうやら、メーガンは刺繍が好きではないようだ。彼女の刺繍を覗き込めば、それが良く分かる。花なのか、蝶なのか、あるいはもっと別のものなのか。
兎にも角にも、メーガンの刺繍の腕はイマイチ。
「刺繍は苦手で……」
「お菓子作りばかりしているからよ。もっと練習しなさいと言っていたでしょう?」
アデリンの責めるような視線に、メーガンは俯いてしまう。反論しても良いだろうに、メーガンはいつも口を閉ざしてばかり。言いたいことの半分だって、言えやしない。
「向き不向きがありますもの。刺繍が出来なくても、困りはしませんわ」
ロザリンドがフォローすれば、ようやくアデリンの話がストップした。安堵したメーガンは、つまらなそうに針を刺す。
「妃殿下は、考えたことはございますか?」
「何をです?」
アデリンの標的は、娘からロザリンドへ移ったようだ。
「側妃のことです」
「お母様!」
今度はメーガンが、責めるような目を母親に向ける。
けれど、アデリンの口は閉じない。
「高貴な身分の殿方ですもの。考えたことはありますでしょう?」
「えぇ、もちろん」
刺繍の手を止めず、ロザリンドは微笑みを浮かべたまま答える。
「殿下は、側妃をお持ちでしょうか?」
「いいえ」
「まぁ……」
わざとらしい驚きようだが、ロザリンドは気づかないフリをする。手元にある布には、もうすぐ完璧な薔薇が咲くだろう。
「ですけれど、妃殿下はお嫌でしょう? 側妃だなんて……」
アデリンの探りの入れように、ロザリンドは可笑しくて笑ってしまいそうになる。
――こんなにも分かりやすい人、久々に見たわ。
「夫が決めたのであれば、私はその決定に従いますわ」
「そうですか……」
アデリンは嬉しそうな笑顔を必死に隠しているようだが、見え見えだ。隠し事をするのには向かない人。
まぁ、はじめから目的なんて分かっていたようなものだが。
――コンコンコン。
「妃殿下、よろしいでしょうか?」
ノックの音と共に、アシュレイが顔を出す。背後にはシャノンとアイリスも控えている。
「夫人、メーガン。失礼しますわ。ちょうど、完成しましたし」
テーブルに完成した刺繍を置き、ロザリンドは立ち上がる。呼び止められるよりも早く、ロザリンドはアシュレイ達と共にメーガンの部屋を出て行く。
「メーガン、聞いたわね? 今夜が勝負よ」
「で、でも……」
「言うことを聞きなさい。こんなチャンス、2度と来ないわ。分かってるでしょ?」
「……はい」
言いたいことの半分も言えない。
メーガンは逃げるように、視線を母親からテーブルの刺繍へと移す。
そこには見事な薔薇が咲いていた。赤い薔薇は、一色ではない。複数の赤色を用いている。
「この薔薇、見たことある」
あれはそう、王都で開かれた刺繍会の時だ。会の中心に居たのは、エリザベス・ミルフォード。芳しい薔薇の香りの紅茶と、美味しそうな色とりどりのマカロン。集まった淑女達の中で、彼女は一際輝いて見えた。自分とは違う。
そんな彼女が完成させた刺繍は、美しい赤い薔薇。一色ではなく、複数の色合いの違う赤を使って完成された薔薇は、どの参加者よりも素晴らしい出来上がりだった。
その薔薇と、ロザリンドの薔薇。同じものに見える。
「…………」
「メーガン? 顔色が悪いわ。緊張してるの?」
「……うん、そうだと思う」
メーガンは思い出す。
この薔薇を、自分が切り刻んだのだ。
ロザリンドが部屋へ戻ると、アシュレイは手に入れた隠し帳簿を取り出して見せる。
「褒めてください、妃殿下」
「偉いわね。シャノン、アイリス、貴女達も偉いわ」
シャノンとアイリスが、深々と一礼する。
「見せて」
アシュレイから受け取った帳簿を開き、ロザリンドはやれやれと肩を落とす。
この伯爵家の現状を思えば、この金額は明らかにおかしい。表に出していないと言うことは、正規のお金ではないと言うことだ。税金も払っていないだろう。
「でも、お金そのものはどこにあるのかしら?」
この金額を、1度に使ってしまうのはあまりにも愚か。羽振りが良くなれば、目を付けられる可能性は高くなるから。
「隠しているのでは?」
「かもしれないわね」
帳簿に記されているのは、金額と日付、それから――ニックネームらしき単語。恐らく、取引相手か何かだろう。
「ジョーカーに見せて、あとは彼に任せるわ。これは、彼の仕事だから」
「承知しました。では、シャノン。この件を、殿下にお伝えして」
シャノンは頷くと、静かに部屋を出て行く。
「それから、こちらは殿下に頼まれていました葉巻です」
ロザリンドに葉巻を手渡す。
とは言え、ロザリンドは葉巻なんて吸わない。触った経験も少ないから、この葉巻のどこにおかしな点があるのかは分からない。
「これも、ジョーカーに見せるものね」
「他にご用はございますか?」
「……明日、メーガンをお茶に招待するわ。茶葉は『貴婦人』、お菓子はマカロン。頼めるかしら?」
「仰せのままに」
アシュレイの答えに満足して、ロザリンドは刺繍道具を見つめる。
彼女も覚えてる、あの日を。薔薇の香りのする最高級の紅茶を口にした後、彼女は世界が揺れていたのを感じた。大嫌いな紅茶。大嫌いな薔薇の香り。割れたカップで手を切って、ドレスを血まみれに染め上げた。
そして、頬をぶたれた。怒りで顔を真っ赤に染めた、ミルフォード公爵夫人によって。
「再現しましょう……あの日を」
大嫌いな紅茶を淹れて、大嫌いな薔薇の香りで部屋を満たす。
そして招くのは、今も過去の罪に怯える少女。
ロザリンドは静かに、帳簿を閉じた。




