20
恨めしげに大蛇は言う。
「お前さえいなければ」と。
ひゅうひゅうと、自分の呼吸音が聞こえる。
「お前さえいなければ……私は生きていられた」
「お前は生きていてはいけない存在だった」
体をズタズタに斬りつけられている大蛇は、しゃべるのもやっとな状態のようだ。
それでも倫之助とて立っていることが奇跡にも近い。
もしもここから還っても、目を覚まさないかもしれない。
だが、それでも帰らなくてはいけない。
一彦と鈴衛の戦っている現実へ。
「お前がヒトから生まれたのなら、ヒトの手で滅ぶべきだ」
「……お前は……お前は人間だとでもいうのか。こんな化け物が、ヒトだとでもいうのか」
「俺は、陰鬼から存在を赦されて生まれたわけじゃない。ただ、生まれるべくして生まれただけだ」
そうだ。
陰鬼が陰鬼のために生まれたわけではない。
ヒトの負の感情からうまれた陰鬼のように、あるべくしてあっただけだ。
倫之助の正体は、人間ではなく陰鬼から生まれた亜種だった。
亜種は自らの種を絶たんとする、ただの化け物だ。
そして陰鬼を生み、同じように陰鬼を殺す化け物。
――だからといって、なんだというのだろうか。
「お前を生んだのが間違いだったのだ」
「そんなことは、もうどうだっていいことだよ。もう……遅い。俺が人間ではなくて、何の問題がある」
視界がゆがんで、ひどく不快だ。
けれど、もう少し話をしていてもいいだろう。
倫之助を生んだ、ある意味合いでの親なのだから。
「俺は人間を守りたい。半蔵がいた世界を、一彦さんや鈴衛さんがいるこの世界を」
「……愚かな、化け物だ……それだけの力があって、なぜ殺戮を好む陰鬼の本能に従わない?」
「さあ……それは分からないな。でも、半蔵がいなかったら、きっとお前のように殺戮だけを好む人間の形をした陰鬼になっていただろう」
呼吸がつらくなってきた。
鼓動がうるさいくらいに聞こえてくる。
ぴしり、と、楊貴妃に再度ヒビが入った。
めまいがひどく、思わず頭に手を当てる。
「お前はもう、ここで朽ちるだけだ。……お前に言えることはたった一つ。俺を生んでくれたことに感謝してる」
大蛇は一度大きなため息のような呼吸をして、もう何も口にすることはなかった。
倫之助と半蔵の体が動かなくなって10分はたっている。
その間も、一彦は百花王から発せられた樹氷はそのままだった。
鈴衛は小型の陰鬼をすべて倒し、一彦のそばに駆け寄る。
「鈴衛。陰鬼の出現は?」
「もうないよ。さっきまで続いていたけど」
「……そうか」
「倫之助くん、大丈夫かな……」
「大丈夫さ。俺たちが信じないでどうする」
そうだね、と彼女はうなずいた。
その直後だった。
ぴく、と、倫之助の指先が動く。
「鈴衛!!」
質量のある砂袋を切りつけたような音。
半蔵の体から抜かれた楊貴妃を鈴衛へとむけたのだ。
「……っ! 倫之助!」
黄金色の目はひどく濁り、表情は皆無だった。
ひゅん、と、楊貴妃が風を切る音が聞こえた直後、一彦の顔に切っ先を突き付ける。
顔を避けなければ顔に穴が開いていただろう。
おびただしい数の樹氷は、煙を上げて溶けてきている。
ぱきん、ぱきん。
樹氷が倫之助の風彼此によって折れ、岩の上に水となって落ちてゆく。
「倫之助くん!!」
「……くそっ」
舌打ちをし、先刻の言葉を思い出す。
「俺が俺でなくなったら、容赦なく斬ってください」
そんなことにならないと、高を括ってなどいなかったが。
実際倫之助が自我を失っているのなら、斬らなければならない。
倫之助の楊貴妃は、一撃一撃が重い。
いなすことなどできはしなかった。
火花が散り、つばぜり合いが続く。
「……!」
そこでようやく、だった。
楊貴妃にヒビが入っていることに気づいたのは。
「倫之助! おまえ、ヒビが」
楊貴妃の悲鳴にも似た音をたて、足を下げた倫之助は肩で息をしていた。
ひどい呼吸音だ。
それでも獣のように鈍く目を光らせながら、楊貴妃を思い切り振り下ろす。
「やめろ!!」
このまま楊貴妃を振るっていれば、本当に折れてしまう。
びき、びき、と、一彦の耳をいやな音が撫でた。
「倫之助くん!」
鈴衛の声。
彼女の雪月花から、白い霧が漂う。
直後倫之助の膝ががくん、と地についた。
「……くっ」
鈴衛の苦しそうな声が聞こえる。
今まで小型とはいえ、多勢の陰鬼と戦っていたのだ、疲れているのも当たり前だろう。
「……っ、ぐ……っ」
「倫之助くん、しっかりして! きみは風彼此使いでしょう。風彼此使いがひとに刃を向けるなんて、絶対だめ!」
「倫之助」
がくがくと震えている膝を倫之助はそのままに、唸る。
せめて声が届けばいい。
「おまえは人間だ。俺たちが保証する。どんな言葉をかけられても、おまえは人を憎まなかった。人間を、見放さなかった。そんなおまえを救えない俺が、腹立たしい……」
「兄さん。倫之助くんが助からないなんて思っちゃだめだよ。いい。今は私たちしかいない。機関の人が来たら、絶対に助からない。倫之助くんも、機関の人も」
「……そう、だな」
鈴衛の顔色が悪い。
ひどく強い力を抑えているのだ。当たり前だろう。
「! 兄さん!!」
視線をさげたのがいけなかった。
倫之助のヒビが入った楊貴妃が、鈴衛の力を無視して振り下ろされた。
まるでコマ送りのように見える。
――熱湯を浴びせられたかのような痛みだった。
右肩を斬られ、血しぶきが鈴衛の青白くなった頬に飛ぶ。
「いい……」
視界が赤くちかちかとしていたが、右肩に埋められた楊貴妃を左手で握りこむ。
指先が飛ぶかもしれないが、今はどうでもよかった。
「倫之助。もういい」
もう、十分だろう。
ぎし、と、音がする。
今まで全く動かなかった半蔵の体が動いた音だった。
「まだ……!」
鈴衛がうなるが、その半蔵の体は、まるであの半蔵のように感じる。
「鈴衛、待て」
脂汗がほおをつたう。
半蔵が歩き、倫之助の後ろに控えるように立ち止まった。
「……半蔵……?」
彼はぴくりとも動かなくなった倫之助に、そっとなにかを囁いたようだった。




