16
ごつごつとした足場は、慣れない。
けれどだからといって、あれは待ってはくれない。
あれは半蔵と同じ、槍を持っていた。
ただし、半蔵の六連星とはちがう、黒いもやのようなものだった。
もやといっても、「それ」は実体を持っている。
「お前たちは、私に負けるだろう。そして、人類は消滅するのだ」
「……あんたなんかに、私たちは負けない!」
鈴衛の風彼此、日本刀をかたどった雪月花が、彼女の言葉に呼応するように鈴のような音が鳴る。
彼女の声は言霊だ。
音が、鈴衛の声が聞こえるたびに体が軽くなる。
ひゅっ、と、鋭い風が吹く。
槍を突き出すような音が、倫之助の肩を襲う。
足を横へ一歩踏み、身をかがめ、避けた。
身をかがめたまま、倫之助のうなりを上げる楊貴妃を突き出す。
「……っ」
手ごたえが、ほとんどない。
まるで、霞を斬っているようだ。
「倫之助!」
足がもつれる。
不格好に転びそうになった時。
一彦の声が聞こえた。
足をひねり、楊貴妃を軸にしてなんとか転ぶのを回避する。
その間でさえ、あれは攻撃の手をやめなかった。
一彦が百花王で防いでいたのだ。
半蔵の目。
その眼の色が赤く染まっている。
ありえないほどの赤。
倫之助の歯がきしむ。
立ち上がり、一彦が抑えている間に楊貴妃を突き出す。
突き出し、両腕を切断しようとするも、それさえ見切っていたのか、それは距離を取るように後ろへ飛んだ。
「……まるで、手ごたえがない」
一彦がもらす言葉に、同意せざるを得ない。
「雨でも斬っているようだな、まったく」
「そうですね」
楊貴妃の柄をにぎりしめて胸中で舌打ちをする。
目を一瞬閉じ、すぐに開けた。
敵を睨みつけ、虚空を呼ぼうとするが一彦がそれを止める。
「おまえは、最後の切り札だ。できるだけ、温存しろ。俺と、鈴衛が戦えなくなったら、おまえの出番だ」
「……分かりました」
「それでいい」
「随分、余裕のあることだ」
「余裕?」
敵の声は、どこまでも半蔵のそれだった。
けれど、半蔵はこんな突き放すような言葉を使わない。
「余裕なんてありはしねぇよ。今まで、ずっとな」
吐き捨てるように、一彦は言う。
「いつも怯えてたさ。見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる。そういうものを気づかれないように、いつも」
鈴衛の表情が曇った。
分かっていたのだろう。
一彦の、想いを。
一彦の悲しみを。
「だが、もういい」
どうだっていい。
一彦がつぶやく。
「もうやめた。怯えるのも、悲しむのも」
半蔵の眉がぴくり、と動く。
どこか、感嘆としたような。そんな表情をした。
「人間の、そういう感情が……私はたまらなく憎い」
そういった表情をしていても、半蔵の顔を持つものはどこまでも人間を憎んでいる。
どこまでも、どこまでも。
生まれたときから人間を憎んでいる、その存在は。
どこか、哀れにも思える。
だが、共感はしない。
同情もしない。
「……鈴衛!」
がらり、と音がする。
鈴衛がいる方角から、陰鬼が湧き出るように出現してくる。
小型の陰鬼だが、数が多い。
倫之助と一彦がいる、反対の方角にいる鈴衛を、的確に狙おうとしていた。
「この陰鬼は、私に任せて。兄さんたちはそっちをお願い」
「……無理はするなよ」
「分かってる。死んじゃったりしたら、許さないからね!」
岩を蹴った鈴衛は果敢に雪月花を振るう。
半蔵の顔をしたそれは、冷めた表情で一彦と倫之助を見つめていた。
「陰鬼か……。陰鬼は、私から見れば哀れな存在だ。ただ生み出され、破壊行動でしか己を保てないのだから」
「言ってろ」
ぱきり、と、一彦の百花王の切っ先が氷をまとう。
倫之助は、わずかに寒気を感じた。
一彦の太刀から、凍えるような温度の霧が吐き出されている。
倫之助の目に半蔵の姿さえ見えづらくなるような、濃さの霧だった。
「俺の目なら見える」
「一彦さん!」
霧に飛び込むように、一彦が足を踏み出す。
倫之助の目でまったく見えないほどの霧の中に、虚空を出すこともできない。
ただ、歯噛みして立ちすくむことしかできないことを悔しさを知る。
「どういうつもりだ?」
「こういうつもりだよ」
霧がたちのぼり、見えないのは直径5メートル。
太刀ではうまく立ち回りできないことは、一彦が一番知っている。
だが、それで立ち回れないということはない。
うまく立ち回れないのなら、そう工夫すればいい。
ざり、と、一彦の足が一歩、大きく踏み出す。
「ふ……っ!」
呼気を吐き出し額を狙い、突く。
「……!」
霧の中はひどく冷たく、半蔵の足には氷がまとわりついていた。
今、動けない。
だが、動けるかもしれない。
十分注視しながら刀を振るった、と思った。
「……!?」
胴を斬った、はず。
だがそこにはもう、半蔵の体はなかった。
「がっ……!」
背中をひどく突き飛ばされた感覚。
上下左右の感覚がない。
崖の岩肌に思い切り体を打ち付けたせいか、わずかな間、気を失った。
けれどそれも数秒。
目を見開いて呼吸をする。
肺まではやられていないようだった。
顔をあげる。
霧がすこし、晴れているようだ。
「私には、効きかない。私のこの体も、私の声も、カガチの残滓なのだから」




