13
「最近、兄さん、おかしくない?」
一晩たって、ビルのなかで鈴衛に会ったのはおおよそ10分ほど前だろうか。
倫之助を見つけた彼女は、なかば強引に近くのカフェに連れ込んだ。
「倫之助くん、きみもだけど」
「そうでしょうか」
「なにか、かくしていること、あるんじゃないの」
鈴衛は運ばれてきたコーヒーにミルクを注いで、ティースプーンでゆるくまぜた。
「人間は、いつ滅びると思いますか」
倫之助の質問に、彼女は目をまるくしてから、ふう、と吐息だけでわらう。
ソーサーにティースプーンをのせて、コーヒーをひとくち、飲み込んだ。
「そうだねえ、神さまってのがいるのなら、もう滅びてもおかしくないんじゃない? 人間はあまりにも、繰り返し続けてきた」
「どんなことを?」
「悪いこと」
鈴衛はほほえんで、眼鏡のおくの、黄金色の目を見つめる。
やはり、彼女は一彦の妹だ。とても聡くて、おかしなところで鈍い。
「そう、かもしれませんね。でも、まだ死ねないでしょう。鈴衛さん、あなたも。……一彦さんも」
「そうだね。まだ死ねない。死ねないから戦ってる。そんな矛盾だらけでも、一個の命だからね。否定だってできるよ」
「……わかりました。俺もまだ死ねない。半蔵のためにも、まだ」
「そういうとこ」
茶色かかった、ショートカットの髪をゆらして、鈴衛は倫之助にスプーンをむけた。
行儀が悪いことを承知の上、彼女はくちびるを開く。
「まだ、じゃないの。きみが年老いて死ぬまで、死ねないと思わなくちゃだめなんだよ。ここ数年の、風彼此使いではないひとが死ぬのは、病気か事故、それか老衰が圧倒的。戦って死ぬのは、風彼此使いだけ。きみも風彼此使いだけど、戦って死ぬ、なんて思っていちゃ、ほんとにその通りになっちゃうよ。生きたいんでしょ、きみだって」
倫之助は、目の前にあカフェラテを見下ろして、目をほそめた。
死ねない、のではなく、生きたい。
膝のうえに置いていた手が、無意識に丸まった。
「半蔵くんのために生きることもいい。でも、それだけじゃあきみが何のために生きているのか分からない」
「けど、半蔵は俺のせいで」
「半蔵くんは、仕方なくなくなったと思う? きみを大事に思って、命を投げ出してもいいくらい、大切に思っていなくなったのに、きみはそれを否定するの?」
「それは……」
口ごもる。
半蔵は、決して倫之助を叱責しない。
生きていた頃の半蔵もそうだった。
ただ、倫之助のために。それが一番だった。半蔵にとっての。
けど、もう彼はいない。
誰も彼のことばを、真意を告げられない。
ただ、ひとつをのぞいて。
カガチの怨念。なまえのない、ただの残り香が、半蔵のことばを紡げるのだろう。
なまえのない、ただの化物が、人間を根絶やしにする。
それはあってはならないことだ。倫之助でさえ、そう思う。
鈴衛が、一彦が、生きている世界を壊すことを、否とする。
背中の痣がなくなったいま、倫之助に残ったのは、自我だ。
「なに、倫之助をいじめてんだ、鈴衛」
ふいにおりてきたのは、一彦の声だった。
鈴衛は、にっと笑ってうなじを掻いている。
「ちょっぴり、お説教をね。こういうのだって、たまには必要なんじゃない?」
「………」
「じゃ、私は帰るから。倫之助くんのぶんのお勘定、置いとくからね。兄さんは自分で払ってよ」
鈴衛は千円札を置いて、さっさと帰ってしまった。
そのいさぎよさは、かえって気持ちがいい。
「別に怒られてはいませんが、鈴衛さんの言ったことは、正しいと思います」
「そうかよ」
一彦は、鈴衛がすわっていた席に腰かけて、店員を呼び、コーヒーを頼んだ。
「あと、六日か。鈴衛に言ったのか、このこと」
「まさか」
「ま、そりゃそうか」
「――ただ」
いまだ残っている、カフェラテをじっと見下ろして、倫之助は呟いた。
「人間はいつ、滅びると思いますか、と聞きました。そうしたら、神さまがいるのなら、もう滅んでもおかしくないと」
「ふうん、鈴衛がね……」
「でも、俺は人間に滅んではほしくない。そのための、風彼此だと思いますから」
「そうか」
あいかわらず、よれよれのスーツを着込んだ一彦は、目を細めて倫之助を見つめた。
その目は、鈴衛とどこか似ている。
「まあ、まだ時間はある。できることは、ただ待つだけだ。早まった真似はするんじゃねぇぞ」
「――はい。俺には、まだ迷いがあります。これを解決しないと、負けてしまう気がするので」
「迷い?」
コーヒーが運ばれてきた。
一彦はひとくち飲み込んでから、辛抱強く倫之助のことばを待つ。
「俺の、想いです。どうして、俺は人を滅ぼす存在だったのかもしれないのに、あなたを好きになってしまったのか」
「そりゃ、どうしてだろうな?」
「そうですね。でも、あなたは答えを知っている。でも、聞きません。これは、俺の問題ですから」
「……そうだな。答えを見つける手伝いなら、いくらでもしてやるよ」
一彦は足を組んで、カフェの外を見つめた。
いきかう人たち。
男女、あるいは男同士、女同士。家族づれ。
そういった様々な人々が、死に近づいていく。けれど、それは「いつか」でなければいけない。「六日後」であってはいけないのだ。
「一彦さん」
「ん?」
「俺は、生きて、いたいです」
唐突なことばに、一彦はわずかに驚いたようだった。
それでもそのあと、すぐに安堵したようにコーヒーに口をつける。
一口飲んでから、ソーサーにカップを戻すと、肘を机につけて、くちもとだけでほほえんだ。
「俺が死なせねぇよ。絶対にな。だが、おまえの口からそういう言葉を聞けて、よかった。――さて、帰るか。行くぞ、倫之助」
「はい」
死なせない。
絶対に。
そのことばは強く、倫之助の心を揺さぶった。




