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「最近、兄さん、おかしくない?」


 一晩たって、ビルのなかで鈴衛に会ったのはおおよそ10分ほど前だろうか。

 倫之助を見つけた彼女は、なかば強引に近くのカフェに連れ込んだ。


「倫之助くん、きみもだけど」

「そうでしょうか」

「なにか、かくしていること、あるんじゃないの」


 鈴衛は運ばれてきたコーヒーにミルクを注いで、ティースプーンでゆるくまぜた。


「人間は、いつ滅びると思いますか」


 倫之助の質問に、彼女は目をまるくしてから、ふう、と吐息だけでわらう。

 ソーサーにティースプーンをのせて、コーヒーをひとくち、飲み込んだ。


「そうだねえ、神さまってのがいるのなら、もう滅びてもおかしくないんじゃない? 人間はあまりにも、繰り返し続けてきた」

「どんなことを?」

「悪いこと」


 鈴衛はほほえんで、眼鏡のおくの、黄金色の目を見つめる。

 やはり、彼女は一彦の妹だ。とても聡くて、おかしなところで鈍い。


「そう、かもしれませんね。でも、まだ死ねないでしょう。鈴衛さん、あなたも。……一彦さんも」

「そうだね。まだ死ねない。死ねないから戦ってる。そんな矛盾だらけでも、一個の命だからね。否定だってできるよ」

「……わかりました。俺もまだ死ねない。半蔵のためにも、まだ」

「そういうとこ」


 茶色かかった、ショートカットの髪をゆらして、鈴衛は倫之助にスプーンをむけた。

 行儀が悪いことを承知の上、彼女はくちびるを開く。


「まだ、じゃないの。きみが年老いて死ぬまで、死ねないと思わなくちゃだめなんだよ。ここ数年の、風彼此使いではないひとが死ぬのは、病気か事故、それか老衰が圧倒的。戦って死ぬのは、風彼此使いだけ。きみも風彼此使いだけど、戦って死ぬ、なんて思っていちゃ、ほんとにその通りになっちゃうよ。生きたいんでしょ、きみだって」


 倫之助は、目の前にあカフェラテを見下ろして、目をほそめた。

 死ねない、のではなく、生きたい。

 膝のうえに置いていた手が、無意識に丸まった。


「半蔵くんのために生きることもいい。でも、それだけじゃあきみが何のために生きているのか分からない」

「けど、半蔵は俺のせいで」

「半蔵くんは、仕方なくなくなったと思う? きみを大事に思って、命を投げ出してもいいくらい、大切に思っていなくなったのに、きみはそれを否定するの?」

「それは……」


 口ごもる。

 半蔵は、決して倫之助を叱責しない。

 生きていた頃の半蔵もそうだった。

 ただ、倫之助のために。それが一番だった。半蔵にとっての。

 けど、もう彼はいない。

 誰も彼のことばを、真意を告げられない。


 ただ、ひとつをのぞいて。


 カガチの怨念。なまえのない、ただの残り香が、半蔵のことばを紡げるのだろう。

 なまえのない、ただの化物が、人間を根絶やしにする。

 それはあってはならないことだ。倫之助でさえ、そう思う。

 鈴衛が、一彦が、生きている世界を壊すことを、否とする。


 背中の痣がなくなったいま、倫之助に残ったのは、自我だ。



「なに、倫之助をいじめてんだ、鈴衛」


 ふいにおりてきたのは、一彦の声だった。

 鈴衛は、にっと笑ってうなじを掻いている。


「ちょっぴり、お説教をね。こういうのだって、たまには必要なんじゃない?」

「………」

「じゃ、私は帰るから。倫之助くんのぶんのお勘定、置いとくからね。兄さんは自分で払ってよ」


 鈴衛は千円札を置いて、さっさと帰ってしまった。

 そのいさぎよさは、かえって気持ちがいい。


「別に怒られてはいませんが、鈴衛さんの言ったことは、正しいと思います」

「そうかよ」


 一彦は、鈴衛がすわっていた席に腰かけて、店員を呼び、コーヒーを頼んだ。


「あと、六日か。鈴衛に言ったのか、このこと」

「まさか」

「ま、そりゃそうか」

「――ただ」


 いまだ残っている、カフェラテをじっと見下ろして、倫之助は呟いた。


「人間はいつ、滅びると思いますか、と聞きました。そうしたら、神さまがいるのなら、もう滅んでもおかしくないと」

「ふうん、鈴衛がね……」

「でも、俺は人間に滅んではほしくない。そのための、風彼此だと思いますから」

「そうか」


 あいかわらず、よれよれのスーツを着込んだ一彦は、目を細めて倫之助を見つめた。

 その目は、鈴衛とどこか似ている。


「まあ、まだ時間はある。できることは、ただ待つだけだ。早まった真似はするんじゃねぇぞ」

「――はい。俺には、まだ迷いがあります。これを解決しないと、負けてしまう気がするので」

「迷い?」


 コーヒーが運ばれてきた。

 一彦はひとくち飲み込んでから、辛抱強く倫之助のことばを待つ。


「俺の、想いです。どうして、俺は人を滅ぼす存在だったのかもしれないのに、あなたを好きになってしまったのか」

「そりゃ、どうしてだろうな?」

「そうですね。でも、あなたは答えを知っている。でも、聞きません。これは、俺の問題ですから」

「……そうだな。答えを見つける手伝いなら、いくらでもしてやるよ」


 一彦は足を組んで、カフェの外を見つめた。

 いきかう人たち。

 男女、あるいは男同士、女同士。家族づれ。

 そういった様々な人々が、死に近づいていく。けれど、それは「いつか」でなければいけない。「六日後」であってはいけないのだ。


「一彦さん」

「ん?」

「俺は、生きて、いたいです」


 唐突なことばに、一彦はわずかに驚いたようだった。

 それでもそのあと、すぐに安堵したようにコーヒーに口をつける。

 一口飲んでから、ソーサーにカップを戻すと、肘を机につけて、くちもとだけでほほえんだ。


「俺が死なせねぇよ。絶対にな。だが、おまえの口からそういう言葉を聞けて、よかった。――さて、帰るか。行くぞ、倫之助」

「はい」



 死なせない。

 絶対に。


 そのことばは強く、倫之助の心を揺さぶった。

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