11
半蔵の葬儀は、雨の日に行われた。
寒い日だった。
倫之助と一彦は、傘を持って服部の家へ向かった。
みな、表情は暗い。
葬儀だから当たり前なのだろうが、人の多さに驚く。
見たこともない人間が大勢いた。
もっとも、服部家の人間が死んだとなれば、政府の人間も来るのも当たり前だろう。
その中でも、目立ったのは倫之助だった。
半蔵の主がどのような人間か、ちらちらと気まずそうに見ている。
「……倫之助」
「こうなることは分かっていましたけど、あまりいい気分じゃありませんね」
「――あら」
この場においては、明らかに楽しそうにしている声が聞こえる。
花乃だ。
彼女は喪服を着て、黒い髪の毛をきつく結っていた。
「きていたのね、お二人とも」
「行くぞ、倫之助」
黒いスーツを着た倫之助の腕を引いて、焼香におとずれた人間の塊の、反対側へ向かった。
雨が降り続いているなか、裏庭には誰もいなかった。
倫之助は、裏庭に溜まっているちいさな池の淵に立っていた。
何も言わない。
一彦も、倫之助も。
ただ、池を見下ろしているだけだ。
花乃から逃げるように裏庭に来たのだが、人の声がすぐ近くから聞こえてくる。
「何も、逃げなくてもいいんじゃないかしら」
「……別に、追うことはないだろ」
「もう、私たちの間にはなんの関係もないじゃありませんか」
「だから――」
「正成さんが亡くなって、相当ショックを受けているようですね。倫之助さん」
彼女はどこか楽しげに、倫之助をまるで弄るように囁いた。
「あなたには関係ない」
「関係なんてあってたまるものですか。私はただ、悲しんでいるあなたを見たいだけ」
「……あまりいい趣味じゃありませんね」
「どうとでも。もともと、私はいい趣味してませんから」
彼女はゆがんだ笑みを張り付けた顔で、倫之助をじっと見つめた。
「あなただって、似たようなものではありません? 私の――大守家の口伝を無理やり奪うなんて、いい趣味と言えます?」
「――お前、いい加減にしろよ。今はどうだっていいんだよ。今日は半蔵を弔う日なんじゃねぇのか」
うつむく倫之助の前に立った一彦の表情も、暗い。
ただ、花乃はその名の通り、雨水にぬれた花のように凛と立っている。
それが今はひどくちぐはぐで、葬式の場にはとてもではないが、溶け込んでいない。
「生きていればいい、と」
花乃がいることを忘れたかのように、倫之助がなにかを呟く。
「そう思わなかった罰だ……」
「――倫之助」
「生きているのが、傍にいるのが当たり前だと思った、罰だ……」
「倫之助、それはちがう。あいつは、おまえに罰を遺して逝かない。あいつがおまえに残したのは、願いだ。生きて、幸せになってほしい、と。ただそれだけだ。おまえを苦しめるために死んだんじゃない」
黄金色の目は、いつもと同じだ。
普段どおり、あまり何にも興味を示さない色をしている。ただ、ひとつ違うのは、そこに意思があるということだろうか。
「それはどうかしらね。死人に口なし。倫之助さん、あなたを恨んでいるかもしれませんよ」
「てめぇ……」
「だったらいい。半蔵が俺を恨んで、憎んだら楽だ。でも、半蔵はそんなことを思わない。それだけは、分かる。だから、半蔵は馬鹿だけど、愚かじゃない」
それだけ、きっぱりと言い放つ。
花乃は、顔を歪めて――「やっぱりあなたは気持ち悪いわ」と吐き捨てた。
濡れた髪の毛をそのままに、彼女は二人のことを見もせずに裏庭から出ていく。
「一彦さん」
「……ん?」
「もう、大丈夫です。俺は半蔵の死を受け入れているし、もう揺さぶりをかけられても動揺しない。弱さを見せない」
「倫之助。おまえはまだ――」
「いいえ。まだ終わっていません。何もかも。カガチが遺した呪いも怒りも、まだ何も」
蘇芳エーリクは姿を消したという。
御堂は――今、病院に入院している。時折目を覚ましたかと思えば、すぐに眠ってしまう。その繰り返しだ。
おそらく、蘇芳エーリクとカガチの力を瞬間的でも受けてしまったせいだろう。
これからどうなるのか、誰にも分からない。
「俺は、それを殺さなければなりません。それからです。半蔵が遺してくれた、生をまっとうするのは」
「……戦うつもりか」
「はい」
倫之助は頷き、裏庭に背を向ける。
戦わなければならない。
決して全人類のためではない。
今を生きている、すべての人のためではない。
それは結果論にしかすぎない。
半蔵が人間で、一彦が人間で――。ただ、それだけだ。
人間を根絶やしにするカガチの怨念は、決して弱くはないだろう。
だからこそ、倫之助が戦わなければならないのだ。
ヒトではない、倫之助が。
それが、倫之助の「運命」で、「目的」で、「意味」で――「義務」だ。
「おまえ一人で抱え込むな」
一彦の、雨のような不安定な声が聞こえてくる。
揺らぎ。
たとえるならば、そのようなもの。
「……もし」
その声は、倫之助だった。一彦のことばに応えるように、呟く。彼の顔を、見ないまま。
「もし、あなたが俺と戦ってくれるのだとしたら――」
倫之助の横顔だけが見える。眼鏡の奥の目は見えない。
うねっている前髪が邪魔をして、見えないのだ。
「ヒトという枠を、俺はまだ外れずにいられるかもしれない。たとえ、最初からヒトではなくても、本当の心ない化物へ堕ちなくてもいいかもしれない……」
「何を、今更言っている。倫之助。俺は、おまえの相棒だぞ」
「死ぬかもしれない」
「それは俺が弱かった結果だ」
「助けられないかもしれない。あなたたち、人間を」
「おまえだけが悪いわけじゃない」
「……それなら……」
「俺も、戦うよ。幸い、蘇芳エーリクは姿を消している。なにも縛るものはない」
倫之助は顔を上げて、黄金色の目を一彦へ向けた。
「それなら、俺も、あなたも――後悔しないかもしれないですね」
雨は、もうほとんど降ってはいなかった。




