7
次に目が覚めた時、すべてが終わっていればいい。
そんな甘い夢を見ていた。
だが現実は倫之助の身体を絡めとり、すべてが終わるまで苦しみ続けろという。
生まれたことが罪ならば、生きることは罰なのだ、という。
世界が言う。
人間が言う。
人類を惨殺するものが正義であってはならない。
おまえは観測者という名の殺戮者だ。
誰もおまえを愛さない。誰もおまえを信じない。
(違う。)
意識が朦朧とするなか、倫之助はわずかにその声に反抗した。
それはちがう。
たった一人の、友人がいた。
倫之助を想ってくれるひとがいた。
その人たちを、ないがしろにすることはできない。
なかったことにできるわけがない――。
ならば、抗い続けろ。
世界の意思に、人々の恐怖に、抗い続けてみせろ。
それが化物のおまえにできる唯一の贖いだ。
目を開ける。
大きく呼吸をする。
全身水浸しで、体が重く感じる。
「……生きている……」
眼鏡はどこかに流されてしまったようだ。
手探りで暗い岩肌をふれる。
体のあちこちが痛む。
崖から落ちたのだ、無傷ではすむまい。
むしろ、生きていることに驚くくらいだ。
海から這い出て、ごつごつとした岩の上に体をなげうつ。
「……月が」
月が出ていた。
一片の欠けもない、満月が。
銀色の輝き。
倫之助の目には、ひどくまぶしく映る。
重たい手をその月へかざす。
うすぼんやりとした、手の影。
倫之助の目が悪いのは、ずっと昔からだ。
とはいっても、いつからかは分からない。
気づいたら眼鏡をかけていた。
その視力の悪さを嘆いたことも、あまりない。
眼鏡があれば見えるからだ。だが、反対に眼鏡がなければほとんどなにも見えない。
ああ、そうか、と思う。
ずっと前の観測者から受け継いだのだ、と理解する。
観測者である自分を憂えて、世界を見えないようにしたのだ、と。
倫之助はまだ十数年しか生きていない。
100年前のあの風彼此使いは、倫之助ではない。
あれは、前の代の観測者だ。
観測者は、不死だが不老ではない。
時間の軸を歪めない力を持ったとしても、ふつうの風彼此使いよりも強大な力を持っていたとしても、不死身ではないのだ。
「誰だ!?」
はっきりとした声。
懐中電灯を向けられて、おもわず目をつむる。
「子ども……? きみ、なにをしているんだ?」
訝しそうにこちらに近づいてくるのは、近隣の住人だろう。
「……海に落ちてしまって」
いまだ茫漠とした意識のなかでは、上手な嘘がつけなかった。
顔の見えない男性は驚いたように声をあげて、急いでこちらに向かってきた。
「だ、大丈夫か!? 病院に連れて行ってやるからな、すこし待ってろ」
「いえ、大丈夫です。どこも怪我をしていませんから」
「しかし……」
倫之助は体を起こし、ふう、と息をついた。
ぼんやりだが男性の輪郭が見える。
声からすると、それほど若くはない。老人というよりもまだ若い。
「それより、人とはぐれてしまって。この辺りに誰かいませんでしたか?」
「え? ああ、いや。そういう話は聞いていないな……」
「そうですか。だいぶ、離れてしまったみたいですね……。ちなみにここはどこですか?」
「Y町だが……」
その町の名前は聞いたことがない。
だいぶ流されてしまったようだ。
倫之助は軽いため息をついて海水がしたたる髪の毛に触れた。
ぐっしょりと濡れていて、頭も重い。
「東京まではどうやって行けばいいでしょうか」
「東京? 100キロ以上あるぞ。きみ、東京からきたのか?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「事情があるんだな。まあいい。車に乗れ。とりあえず、その水びたしの身体をどうにかしなけりゃな」
「ありがとうございます」
実際、風が強く、冷え始めた体には辛かった。
ワゴン車に乗ると、男性はエアコンを入れてくれた。
そしてラジオから21時をしらせる声が聞こえてくる。
「………」
あれからもう、半日以上もたっていたのか。
だが、そうだ。月が出ていたのだから。
倫之助は、そっと喉に手をあてて、呼吸をした。
一彦、半蔵は無事だろうか。
そして、御堂も――。
それから、10分ほどたっただろうか。
古い民家にたどり着いた。
一彦が見たという、何本もの骨があったという家に似ている。
「今日は泊まっていくといい。嫁に、夜食を作ってもらうから、その間に風呂であたたまっていればいいだろう」
「……ありがとうございます。助かります」
ここの夫婦は、子どもがなかった。
いや、いるが、すでに都会の方で仕事を見つけ、ここを出ていったという。
湯船につかる。指の間から、湯がすべりおちた。
【私たちのような存在は、消えてしかるべき。】
おそらく、あのことばは前の観測者の言葉なのだろう。
悔いていた。
恐れていた。
そして、彼女、あるいは彼らは絶望していた。
観測者に生まれたことに。
人類を破滅へ向かわせてしまうかもしれないことに。
彼女たち、あるいは彼らはヒトが好きだったのだ。
だから、あれほどまでに自らの生を憎んだ。絶望するほどに。
だが――倫之助は幸運だったのかもしれない。
その生を、認めてくれた人間がいたのだから。




