5
青い目。黒い髪。
間違いない。御堂松羽だ。
「――御堂」
「………」
彼は何も言わない。
ただ影のようにそこにたたずんでいる。
「御堂に何をしたんですか。――蘇芳さん」
「すこし協力をしてもらっているんだ。ほんのすこし、心をいじってしまったけれど」
「てめぇ……それが人間のすることか!」
一彦の声が遠い。
倫之助はただ呆然としていた。
茫漠とした痛みを感じるほどに、ただここに存在しているだけのものになっていた。
怒り、戸惑い。
そういったものが身体を、心を蝕んでゆく。
「松羽くん。殺してくれるかな。造龍寺くんを」
「!!」
松羽の手には風彼此が握られていた。
黄金色に輝く、レイピア。
松羽はレイピアを握ったまま、迷いなく一彦へ刃をむけた。
「くそ……っ」
「呪いはとけないよ。彼が死ぬまでね」
蘇芳はまるでその言葉こそが呪いのように、微笑んだ。
それが真実なのか、それとも笑えない冗談なのかは分からない。
だが、殺させようとしていることは確かだ。
しかもそれは松羽の意思に関係などない。
ここに松羽の意思はないのだ。
意思はなく、ただ殺し合いをさせている。
そんなこと、あってはならないことだ。
「嘘だ」
百花王と松羽の風彼此の軋む音が聞こえる。
「そんなことできる筈がない。蘇芳さん、あなたにはそんな力はない」
ぼそぼそと独り言のように呟いている倫之助に、蘇芳は不審そうに、ん、と眉をひそめた。
その時、だった。
岩肌を濡れた何かが這う音が聞こえたのは。
「そう。オマエには、何の力もない……」
「きみはカガチだね? 僕はきみの力を欲している」
「何の力もないオマエに、私が授けるとでも思う? 私が授けるのは、観測者――今の時代で言う、倫之助という存在だけ――だった」
「ならば、僕が観測者になる。……今こそ、人類に鉄槌を与えるべきだ。不条理なこの世にある、すべての人類に」
うたうように囁く蘇芳のことばを聞く人間は、どこにもいない。
真正面に受け止める人間など、どこにもいないのだ。
それなのに蘇芳はカガチを崇拝するような目で見つめている。
「オマエは、観測者にふさわしくない。そして、倫之助――この男もふさわしくない」
「造龍寺……!」
半蔵が叫んだ先――一彦は、明らかに押されていた。
剣先の細いレイピアに、太刀が負けている。
「……ちっ」
「………」
一彦は迷っていた。
このまま続けていれば、力負けしてしまう。
だからといって百花王の力を発してしまえば、百パーセント、この少年は死ぬ。
なぜならまだ彼の風彼此の力は未熟だからだ。そう「見えた」。
ただ、力が強い。それだけだ。
「そこの男……。造龍寺一彦と言ったか? 見ただろう? オマエは。あの家で。幾重にも重なる、遺骨を」
ちら、と倫之助――カガチの視線が一彦を見た途端、松羽の身体が、びく、と震えレイピアを落とした。
すぐに一彦は動けなかった。
そう、蛇に睨まれた蛙のように。まさにそのとおりだった。
「造龍寺! 何をしている、離れろ!」
半蔵の叱咤でわれに返り、松羽との距離をとる。
「……さすが、カガチだね。ひと睨みで僕の風彼此を無力化するとは」
「私に風彼此は効かない。何故なら私は陰鬼ではないし、人類を滅ぼす存在だから」
「カガチ。一つ、聞きたいことがあるのだけれど」
「聞いてやってもいい」
「きみが寄生しているその男、僕は陰鬼の巣だと思っている。彼がいる限り、陰鬼は存在し続ける……」
カガチはほんのすこしだけ、感心したようにうなずいてみせた。
そして倫之助が絶対にしないような凶悪な笑みで蘇芳を見つめる。
「そうだ。オマエの言う通り、倫之助は陰鬼の巣。倫之助に引き寄せられて陰鬼は生まれる。人間の感情と共鳴して」
「……なんだと……」
呆然とする。
蘇芳の、ただ単なる戯言なのだと信じていた。
だがカガチが言うのならば、それは「真実」として受け入れなければいけない。
「この男がいる限り、陰鬼は存在し続ける……。何故なら、倫之助は観測者。人間と陰鬼のバランスをとらねば、無意味だろ?」
「誰が……倫之助を観測者にした。なぜ、倫之助じゃなくてはいけなかった!」
感情的になったほうが負けだ。
分かっている。
倫之助だから、ではない。最初から選ばれていたのだと。
そして、そのために輪廻の輪のなかにいるのだと。観測者というためだけに生まれてきたのだ、と。
――それではあまりにも、哀しいではないか。
倫之助に心が芽生えた。
泣くことも、笑うこともできる。
「これは決まっていたこと。生きては死に、そしてよみがえってきた。観測者の役目からは逃れられない。死んでも」
カガチはまるで憐れむようなものを見る目で、一彦を見つめた。
彼女も、もしかするとその輪にとらわれているのかもしれない。だからといって哀れだとは思えないが。
カガチを背負って、幾度も苦しんできただろう倫之助を思えば。
「死んだら終わりではない。私たちは。たとえ半蔵。キミが化物となった倫之助を殺しても、次の観測者が生まれる。殺しても意味のないことだ」
「……俺は観測者の坊ちゃんに仕えていたわけじゃない」
「そうだろうね。――っ!?」
カガチの身体が急に強張る。まるで、ビデオを一時停止したかのように。
「ぅ……っあ、ぐ」
頭を抱え、足をよろめかせながら呻く。
カガチの思いもよらない変化に、一彦は立ち尽くすしかなかった。
「やめろ!!」
血を吐くように叫んだのはカガチではなく――倫之助だった。
その直後、電磁波にあてられた機械のように崩れ落ちたのは御堂と蘇芳だが、御堂の方は倒れたまま、ぴくりとも動かない。
「ぐ……っ、これ、は……」
蘇芳は岩場に崩れ落ちたまま、倫之助を見上げた。
「……殺したく、ない……。人間を、殺したくは……」
「は……はは……っ、無様だね、倫之助くん。まだ、コントロールできていないのか。カガチを」
「お、お、お、俺、俺は……」
「坊ちゃん! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ろうとした半蔵をとめたのは倫之助自身だった。
「来るな!」
ゆっくりと顔を上げる。
すべてを察したような、そして絶望したような表情がそこにはあった。
ざり、と靴が岩場を滑る。その先は岩場が終わり、崖がある。
「倫之助! それ以上……」
(嘘だ。)
【殺したくないなんて。】
【絶望ほど、甘い蜜はないだろう?】
(死んでも、逃れられないなどと。)
(どうすれば。)
【おまえは殺すために生まれてきた。】
【生きても死んでも、陰鬼は生まれる。】
「ああ――そうか……」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。




