18
言うべきではなかった、など思わない。
今言わなければ後悔する。
別に今際の別れというわけでもはない。
ただ、伝えたかっただけだ。
告白などそういうものなのかもしれない、と青臭いことをおもう。
伝えたい時がそうなのだと。
車はやがて古びた屋敷の前に停まった。
倫之助は、ふいに既視感におぼれる。
沢瀉の家によく似ていた。
「ここは……」
「………」
車から出てきた一彦の顔色がどこかすぐれない。
顔色は悪く、青ざめていた。
「どうしたんですか」
「いや……。ここにくる予定じゃなかったんだが……。そうか……」
「一彦さん?」
おぼつかない足取りで古い家へと向かう。
まるで、吸い寄せられるように。
「……ここは……幻だ……」
「――一彦さん!」
一彦は膝からむき出しの土に崩れ落ちた。それを支えようとしたが一彦はかまわず膝に土を押しつけて、ぼそりと呟く。
「おまえには……何が見える?」
と。
倫之助の目には、古びた民家に見える。それをそのまま伝えると、一彦はゆっくりと呼吸をした。
「そうか……。おまえには、そう見えるか。俺には……人間の骨が……何万も見える」
「……それは」
その骨は、すべて同じ大きさだという。
子供の骨でもなく大人の骨でもない、まだ発達しきっていない、人骨。
中途半端なその背丈は倫之助と同じくらいだという。
「ここはよくない」
「行きましょう。目的地はここではないんでしょう」
「ああ……」
一彦の身体を支えて、車に戻る。
どうしてここに来たのか分からない。まるで、見えない糸に絡まれたように誘われたのだろう。
ここに。
倫之助も車に乗り込み、一彦が落ち着くまで黙って前を見ていた。
彼が古い家が骨に見える理由は分からない。
だが彼が霊媒体質だというのはやはり、真実だったのだ。
見えないものを見ているのだろう。
そして、聞こえないものも聞こえているのかもしれない。
「……悪い。少し、取り乱した」
「いえ。落ち着きましたか」
「ああ。……だが……。いや、いい」
何かを言いかけていたが、倫之助は聞き返すことはなかった。
どこか、嫌な予感がしたからだ。
エンジンがかかる音がして、やがて車は再び一彦の目に託された。
海がふたたび、見える。
広い。
だが、人ひとりいない。見えない。
海岸に打ち捨てられているガラスが、陰り始めた太陽と反射して輝く。
「……ここらで今日はしまいだな。この辺りにホテルがあった気がするんだが」
「海……」
「ん?」
「海、海岸に……」
一彦は倫之助のささやかな我儘に、車を路肩に停めた。
陰る太陽。
それでも強く、強く橙に輝いている。
海岸の砂にスニーカーが埋まりながらも歩く。
独特の感覚に、倫之助は目を細めた。後ろから一彦がついてくる。
どこかに携帯でかけているようだ。
内容は、頭に入ってこなかった。
太陽の輝きに酔うように倫之助は一回、こん、と咳をした。
「倫之助、ホテルとれたぞ」
「はい」
「……眩しいな」
「そうですね」
適当に返事をしながら、ただ砂浜を歩く。
誰もいない、さざ波だけが聞こえてくるこの空間。
「倫之助」
靴のまま海のなかに入る。
あせったような声が聞こえた。
別におぼれそうになるまで海に入る気などさらさらない。
ただ、太陽にすこしだけ近づきたかっただけだ。
手をとられる。
ふっと、薄荷のにおいが通り過ぎた。
一彦の匂いだ。
「濡れるだろ」
「……そうですね」
「夜の海は危ない。よくないものが寄ってくる」
「俺はヒトではないから大丈夫です」
「だが、生きている」
逆光で一彦の顔が見えない。薄荷のにおいが強くなる。
「ああいうのは、生きているものが羨ましいんだ。だから、連れて行かれる」
「……俺でも」
「おまえでも、だ」
足を取られそうになるくらい、波が強くなった。
ぐっと手の力も強くなる。その力に誘われ、砂浜に上がる。スニーカーはもうすっかり濡れ、無意識のうちに脱いでいた。
靴下も濡れていて気持ちが悪く、重たくなったそれも脱ぎ捨てる。
はだしでは、やはり寒い。
けれど、それは自分で「選択」したものだ。
「……好きだ、って言われて」
「……ああ」
「俺は……どうしたいのか、何を選択すればいいのか、分からない……」
「人生は、選択の連続だ。そのひとつを間違えれば、転がり続けるしかないかもしれない」
すこしだけ長い前髪の奥の目をゆったりと細めた。
そして、ほほえむ。
「だが、たかが一つの選択だ。その先も答えにつながっているかもしれない。おまえの好きなように、選び取ればいい。恐れるな、とは言わない。それも一つの選択だからな」
「……あなたは、答えを教えてくれない」
「あえて言うなら」
間髪入れず一彦はそっとくせのある、倫之助の髪の毛に触れた。
潮風は凪ぐことはなく、静かに強くなっていく。
「おまえに応えてもらいたい。なんせ、俺の一世一代の告白だからな」
だが、と。
やさしい笑みを浮かべたまま、(まるで、いとおしいものにするかのように。)倫之助の頭をなでるように触れられる。
「あなたはやさしい」
自分でも驚くほどかすれた声で呟く。
「……キスを」
キスをしてください、と
自分でも信じられないようなことばを吐き出した。
一彦の手が腕を掴む。
そして、そっとキスをした。
耳朶には、海のさざ波だけが響いていた。




