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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
小望月
77/112

17

「何があったんですか?」


 警官に一彦がたずねると、彼はこの先に陰鬼が出たと言った。


「陰鬼? ああ、そうですか……」

「一般の方はここから先、通れませんので……」

「ご心配なく。俺たちは風彼此使いです」

「え、いや……それは」


 警官は驚いたように目を見開いて、口ごもった。

 一彦は、すでに知っていた。

 ――ここに陰鬼などいない、ということを。

 いるのは、分からない。

 見えないのだ。

 黒い霧がかかったように。

 好都合だった。

 わざわざそちらから(・・・・・)正体を現わしてくれるとは。


「通りますよ、いいですね」

「待ちなさい!」


 一彦はためらわずにアクセルを踏んだ。警官の呼び止めもむなしく、倫之助を乗せた車はトンネル内に入り、やがて再び海の見える道へと出た。


「よかったんですか?」

「よかったんだよ。ありゃ、警察じゃない。蘇芳の手の者だ。つまり、政府関係者ってこと。ごく一部の、それも普通の公務員じゃない、裏のあるもんだ」

「裏……」

「ああ。なんにでも裏表があるように、日本のお偉いさんたちにも裏表があるってことだ。まあ、騙されているようだが」


 蘇芳は、国のために何かをしようとしているが、――黒い霧の隙間から見えてきたものは、全く違ったものだ。

 あの男は国を何とも思ってはいない。

 結局は、自分自身のためなのだろう。

 蘇芳の家のことはまだ、よく分からないが。


「……ここらで休憩するか」


 警官らしき人物たちは追ってはこないようだった。所詮、わが身可愛さだったのだろう。この先に何があるか分かっているのだろうから。


 休憩しようといった場所は、海辺だった。

 どうせ規制されているのだから、車は来ないだろう、と路肩に停める。

 目の前には海が広がっていた。

 車から出て、無意識に背伸びをする。

 潮風がわずかに運んでくるのは、ウミネコの鳴き声だった。

 特徴的な声がかすかに聞こえてくる。


 車に背中をあずけて煙草を吸っている一彦は、じっと海のむこうを見据えていた。すこし、睨むように。

 倫之助も彼のとなりに立ち、海を見上げた。


「思いだすな」

「自死した子のことですか」

「ああ。あいつは弓絵って言ってな。霊媒体質だと伝えたことはなかったが、分かってたみたいだ。あなたは見えないものが見えて、聞こえないものが聞こえるのね、って。もちろん誤魔化したが、あいつはただ笑ってた。やさしい、笑顔だったな」

「………」

「まあ、死んだ奴はかえってこない。どんなに祈ろうと、どんなに願おうと。死んだらおわり、だからな。だから、おまえも死ぬな。俺が死ぬまでは」


 携帯灰皿に煙草を押しつぶし、一彦は倫之助を見下ろした。

 そして――わらった。


「……わかりました」

「それでいい。おまえは風彼此使いとしては、強い。だが、人間としてはまだヒヨッコだ。存分に頼ればいい」


 新しい煙草を一彦は口に咥えた。

 ジッポの銀色に輝くライターで、火をつける。


「純粋な、好意」


 ぽつりとつぶやいたのは、倫之助だった。

 紫煙をたゆらせながら、一彦は遠くを見たまま、そのことばを聞いていた。


「そうだな。少なくとも俺にはそんなものはない。そんなできた人間じゃねぇしな」

「あなたは俺に何を求めているんですか」

「どうしておまえにキスしたのか、教えてやろうか」


 煙草を携帯灰皿に押しつぶし、車のボンネットに置く。

 そして倫之助の腕をつかんだ。そのまま、抱きしめる。強く、強く。

 呼吸が途切れそうなほどに。


「好きだからだよ。おまえが」

「………」


 かすかな、ウミネコの鳴き声が聞こえてくる。

 潮風にのせられて。

 倫之助はゆっくりと瞬きをした。


 好きだという想い。

 感情。

 感情が機械人形(オートマタ)のように動き出す。

 カタカタと音をたてて。

 心臓が歯車でできているように、ぎし、ぎし、と動き出した。


「あなたは人間ではないものを、好きだというのですか」

「べつに人間じゃねぇから好きだってわけじゃない」


 じゃあ、どうして。


 その言葉は必要なかった。

 いらなかった。

 答えは分かりきっていた。


 倫之助が、倫之助だっただけのこと――。


 たった、それだけのこと。


「……見返りを求めるものなんだよ。人間ってのは」


 ギブアンドテイクってやつだ、と倫之助の耳元で囁いた。


「あなたは、俺に何かをくれるんですか」

「おまえがくれたらな」

「俺には、あなたにあげられるものなんてひとつもない」


 抜糸する以前の、深く染みついた痣のような痛みはもうどこにもなかった。

 オレンジのにおいがしたあの時の痛み。苦しみ。辛さ。

 それはどこにもなかった。


 あたたかさだけがあった。

 やわらかなぬくもりだけが。


「金やモノなんていらねぇよ」

「じゃあ何が欲しいんですか」

「倫之助」

「はい」


 背中にまわされた手が、ブラックのパーカーをぎゅうっとつかむ。

 まるで、迷子の幼い子どもが親に会えた時のように。


「おまえが欲しい。かわりに、俺をやる」


 ラヴェンダーの香りが、かすかにかおる。

 安らげる香りだ。

 だれの香りだろう。

 だれが、たずさえているのだろう。


「一彦さん」


 ただ、その名前を呟く。


 そして、すっと体を放された。


「休憩は終わりだ。行くぞ」


 彼は、ずるい大人だ。

 何も言わせてはくれない。


 倫之助は、こくりと頷いて、助手席に乗った。

 ことばは、なかった。

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