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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
小望月
75/112

15

「きみは、とても偉いね」


 そう、蘇芳エーリクは言った。

 対峙するのは、服部半蔵正成だった。


 ここには、ビル群はない。

 ただ、洞窟がある。

 洞窟の入り口に、蘇芳は立っていた。

 この洞窟のなかに入るべきではない存在。それが蘇芳エーリクだった。


「そして、賢い。まさに、服部半蔵正成の名にふさわしい存在だ」

「名のことなど、関係ない。俺は坊ちゃんのためにここにいるだけだ。お前はこの中に入るべき存在ではない。蘇芳エーリク」

「まあ、そうだろうね。でも、これは僕の意思ではない。この日本という国の存亡をかけた、選択だ。行くか、それとも行くまいか。国は――政府は、行け、と言った。それならば、僕はそれに従うだけだ」


 三つ揃えの、グレーのスーツを着た男は、ゆるやかに笑ってみせた。

 冷たい風が、吹きすさぶ。

 ふたりの髪が乱れた。

 蘇芳は髪の毛を掻き上げて、口の端をそうっとあげた。


「蘇芳家の歴史を知っているかい?」

「………」

「政府の傀儡として、延々と命を連ねてきたんだ。強大な力と引き換えにね。おかげで、蘇芳の家はみんな短命だ」


 強大な力。

 すべてを見通すような――そう、よくできた千里眼のような力だ。

 蘇芳は感知型の風彼此使いではない。ただ、型にはまったような風彼此使いではないのだ。

 言ってしまえば、「何でもあり」な力を持っている。

 それは精神を、自我を、体を蝕み、やがて若くして死ぬ運命にあるという。


「不幸自慢はうんざりだ」

「まあ、そうだね。どうでもいいことだ。けれど、僕は僕の意思でこの洞窟に入りたいと思う。蘇芳家の終焉のために」


 半蔵は、睨むように蘇芳を見据えた。

 その手には、六連星(ムツラボシ)が握られている。


 終焉。

 おわり。

 蘇芳家の。

 

 どういうことか、半蔵はすぐに分かった。


 政府に反旗を翻すのだろう、と。

 政府の傀儡である、蘇芳の血筋の終焉を望んでいるのだ。


「結局は、お前のためか」

「そうだね。人間なんて、自分のために生きるものだからね」


 当たり前のように言う。

 けれど、それを否定することはできない。

 大体の人間が「そう」だからだ。

 半蔵とて、人生のすべてを倫之助にささげているわけではないのだから。

 倫之助がそばにいたから、――そう、結局は「自分のため」だ。

 

 ただ、倫之助はちがった。

 求めなかった。

 自分のために、何かをしようとしなかった。

 けれど、今はちがう。

 今は――造龍寺がいる。

 造龍寺がいたから、倫之助は自分の「こころ」というものを生み出せた。

 そして、その為に生きることができるだろう。これから、きっと。



 アカシアの木が揺れている。

 わずかに。


「きみは、きみの命を投げうって、自分の主を守るんだね。それは愚かなことだ。ひとりの人間につき、命はひとつだけ。それを人類ではない存在に捧げるなんて、人間の可能性を捨てることと同意だ」

「――坊ちゃんがどんな存在だろうと関係ない。俺を初めて認めてくれた。それだけでいい。それだけで――俺は救われた」

「欲がないね、きみは。もっと、ないのかい? 何かが欲しいとか。たとえば――誰かの心、とかね」


 半蔵は手に握りしめていた風彼此を、更に強く握った。

 愛した人はいない。

 恋をしたこともない。

 倫之助という存在は、彼にとってあくまで「あるじ」であり、恋や愛といったものではないのだから。


「俺は服部家の次男だ。欲など、あってはならない」

「でも、きみは人間だ。人間は欲深いいきものだよ」

「なら、俺も人間じゃない。ただの――あのひとの影だ」


 吐き捨てるように呟き、六連星の切っ先を蘇芳に向けた。

 だが、蘇芳はいたずらをした子どもを見るような目で、半蔵を見据える。

 仕方のない子どもを見るような目で。


「人間同士、風彼此での争いは禁止されているはずなんだけどね」

「お前がこの先に行かなければいい話だ」

「それはできないな。僕にも事情があるから」

「そうか。――風彼此をとれ。でなければ、俺はお前を殺す」


 蘇芳は肩をすくめて、ため息をついた。


「それできみの気が晴れるなら」

「……俺は殺す気でいく。お前も殺す気でかかれ」


 風の向きが変わった、気がする。

 蘇芳の手に顕現したのは、レイピアの(かたち)を模した風彼此だった。


「これは瑞椿(みずつばき)。僕の相棒だよ」


 その瑞椿からは、黒いもやのようなものがにじんでいた。

 思わずその姿に、眉をひそめる。


「ああ、この煙は気にしないでくれ。ただ、気をつけてくれよ。これに触れたら――本当に死んでしまうから」

「それでいい」


 おそらくこの黒いもやのようなものが、蘇芳の力の根源なのだろう。

 倫之助たちがいる、あのビルを覆いつくす力。それが瑞椿。確かに、あのビル全体を覆う力が、今、ここに集約しているのだから、触れれば蘇芳の言うとおり、触れれば気が狂って死ぬだろう。


 だが、ここで負けるわけにはいかない。

 蘇芳が野放しにされれば、それこそ倫之助がこの日本を滅ぼすことになりかねないのだから。

 それさえ知っていて、蘇芳はやめない。

 倫之助がこの世界に絶望すれば、蘇芳さえ死ぬのだ。

 ――だが、おそらく、だが――蘇芳は「死」を恐れていない。

 死ぬことが、そう、短命だと分かっているからこその、死への思い。

 メメント・モリ。

 まさに、そういうことだ。



 半蔵にも、譲れぬものがある。

 倫之助に生きてほしい――。生きて、知ってほしい。

 この世界には、愚かなものもいるけれど、やさしいものなのだ、と――。

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