13
警報が鳴っている。
頭痛をもよおすような、鋭い音。
『警報。警報。ビル内に多数の陰鬼が出現。すべての風彼此使いは出撃せよ。繰り返す――』
その警報で目が覚めた。
ゆっくりと、倫之助は体をおこす。
頭に手をあてて、頭を軽く振った。
「……警報?」
「倫之助!」
ノックもしないで飛び込んできたのは、一彦だった。
すこし、顔が青ざめている。
「よかった、無事か……」
「この警報は一体?」
かなりの距離を走ってきたのか、膝に手をあてて、肩で呼吸をしている。
僅かに、倫之助の目が見開かれる。
一彦の後ろに、小型だが陰鬼が出現したからだ。
動けない右腕をそのままに、彼は虚空を一振り、その陰鬼を貫かせた。
ぎっ、という、奇妙な声を発したまま、陰鬼は動かなくなった。
「そういうことですか……。学校と同じような事になったんですね」
「まあ、そういうことだ。それより逃げろ。おまえは戦えないだろ」
「いえ、戦います。右手が使えなくても左手がありますし。それに、すこし疲れますが虚空もある」
「まったく、とんだ強がりだな。いいから行くぞ」
苦笑いする一彦が、手を差し伸べる。
それをとってもいいのか分からなかったが、ここは従ったほうがいいだろう。その手を左手で握った。
「行くって、どこに行くんですか」
「そりゃビル内が攻撃されてるんだから、ビルの外に逃げるに決まってるだろ。おまえを連れ出したら、招集かかってるから俺は戻るけどな」
小走りでビルの中を進む。
風彼此使いはかなりの人数を見かけたが、陰鬼の死体はあまり見当たらなかった。
小型だけならいいが、大型の陰鬼が出現してしまったら、こんなものでは済まないだろう。
「……やっぱり、俺も戦います」
「何言ってんだ。おまえ、その腕じゃ」
「大丈夫です。左腕がありますから」
「そんな器用なこと……」
「できます。まあ、少しはぎこちなるかもしれませんが」
こういう時の倫之助は、何を言ってもきかなくなるだろう。
ビルの外に出しても、すぐに戻ってきてしまうことは見て明らかだ。
「分かったよ。けど、無理するんじゃねぇぞ」
「分かってます」
諦めて、足を止める。
三角巾はそのままに、左手で楊貴妃を取る。
直後、上から突き上げられるような振動を感じた。
「!?」
ずしん、と足元を揺らされる感覚。
これが何なのか、問うことはなかった。
なぜか――目の前に陰鬼が出現したからだ。
型はヒト型。紫剣総合学園の演習の時と同じ、絡新婦と似ている。
目はぎらぎらと黄色に膿んで、殺気に満ちていた。
「数は4体ってとこか……」
「……懐かしい顔ぶれだな」
「おい、倫之助。早まるなよ」
「今の俺の状態は俺が一番分かってます」
剣の刃のようになっている絡新婦の足が、狙ったように倫之助の真上に振りかざされる。
それは試験の時よりも、はるかに速い。
鉄と鉄がこすれあうような音。
火花さえ散っている、一彦と絡新婦の交戦。
しかも、倫之助を庇っていることは目に見えている。
陰鬼もそれを理解しているのか、もう一本の足を倫之助へと振り上げた。
「倫之助!」
「………」
倫之助はそれをぼんやりと見上げて、くちびるを開いた。虚空、と呟く。
右腕が使えないならば、左腕を使えばいい。
それはそうだが、可能かと言われれば不可能だろう。倫之助は元から右利きなのだから。
だから、できることと言えば虚空を出すことだけだ。
それも最小火力にしなければ、この狭い廊下のなか、誤って一彦をも傷つけかねない。
だが――虚空は出現しなかった。
倫之助の目が見開かれる。
だが、その「理由」はすぐに分かった。
心の揺らぎだ。
未成年の風彼此使いは、心の揺らぎが多く、風彼此を出現させることができなくなる場合がある。
倫之助は、それを恐れていた。
だが、恐れていたのはごくごく最近だ。
もしかすると、と思っていた。
確かに、楊貴妃は出現させることができた。
けれど、能力が使えないとなると、楊貴妃とてただの棒切れにしかならないだろう。
倫之助の身体が突き飛ばされ、壁に背をしたたかに打つが、痛みはあまりなかった。
「一彦さん」
ぼんやりと一彦が戦っている様子を見上げる。
その騒ぎを聞きつけたのか、ほかの風彼此使いたちが集まってきた。
絡新婦の甲高い悲鳴が聞こえる。
心の揺らぎ。
それは、特に珍しいことではない。
高校生の年齢で現場に出ること自体ないからか、問題視されていなかったのだが。
どく、と心臓の鼓動が妙に強く打つ。
緊張しているのだと知る。
座りこんだまま、倫之助は戦っている風彼此使いたちを見上げている。
手に汗がにじむ。
陰鬼がそこにいるのに戦えない。
それがこんなにも不安になるとは思いもしなかった。
いや、違う――。
そうではない。
彼が、一彦が戦っているのに自分が戦えない。
そのことが不安なのだ。
「倫之助、大丈夫か」
「あ……はい」
手を差し出される。その手をとっていいのだろうか、とふいに思った。
絡新婦はもう、すべて倒されていたようだ。
だが、まだ周りはざわついている。
どうしてこのビル内に陰鬼が出現したのか、分かっていないのだろう。
無論、倫之助にも分からないが、陰鬼が自らの天敵を殺そうとするのは当たり前だろう。
だが、ここは蘇芳エーリクの力が及んでいる場所でもある。
そして、陰鬼の出現を予知できる風彼此使いもいるだろう。
事前に知らされていないということは、これは予知できなかった事象だ。
一彦の手をとって、ゆっくりと立ち上がる。
「怪我は?」
「ありません。あなたが戦っていたんですから」
「まあな」
彼は、倫之助のことを責めなかった。




