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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
小望月
61/112

 耳をつんざくような、ひどい高音。

 倫之助の血、そして赤い刀身にぬらぬらと光る、陰鬼の血。


「倫之助!!」


 一彦の頬に、スーツに、血が降りかかる。

 陰鬼の血なのか、それとも倫之助の血なのかは分からない。

 ただ、濃厚な血のにおいがすぐそばにあった。

 生々しい、それは生と死の間だ。


「……まだ、です。まだ生きてる……」


 倫之助は倒れていない。そして、一彦に背を向けたまま呟いた。

 血をかぶり、ぼんやりと輪郭を表した陰鬼は、ヒトの形をしている。

 それ(・・)は地に這いずり、ガタガタと震えていた。


(やめて……。殺さないで。怖い。怖い。)


 倫之助の朦朧とする意識の中で、陰鬼は泣いていた。

 だが、それさえ意味などないことを知っている。


「お前たちは敵だ。ヒトを殺す、人間たちの敵だ。それにしかならない」


(敵だったら、殺していいの?)


「そういうお前たちは、いったい何人の人間を殺してきた。それと同じだ」


 細かい呼吸をつなぎながら、倫之助はそう吐き捨てた。


「それが悪だというのなら、俺は」


 楊貴妃を構える。

 喜びに震える楊貴妃は、どこか声を出して笑っているような気がした。


 息絶えた陰鬼は徐々に力を失っていくように、姿を表していった。

 陰鬼は女型で髪の長い、少女のような背格好をしている。


「坊ちゃん! 大丈夫ですか!」

「俺は平気だ」

「次長、運搬班を。すぐそばで待機している筈です」

「ああ」


 峰次が携帯で運搬班へ連絡を取っている隙に、一彦は倫之助の目を見下ろす。

 黄金色に輝く目は、今までと何ら変わらない。

 ただ、少し疲れているようだった。


 倫之助は言った。


「悪になってもいい」


 と。


 



 運搬班が担架を持ってきたが、倫之助はそれを断った。運搬班の男も、無理に担架に乗せようとはせず、トラックの中で服の上から布をきつく巻いている。

 だが、肩の傷から出ていた血は白い布に滲むことはなかった。

 もう出血が止まったというのだろうか。


「あまり痛くはないんです」

「え? そんな筈は……。かなり深いですよ」


 運搬班のトラックの中にいた医療班の女性は、不審そうに布に包まれた傷口を見下ろした。

 確かに、血は大量に出ていた。

 だが、傷口は浅いものだと思っていた。


「そうですか」


 倫之助は彼女の言葉に、感心がなさそうにうなずく。

 まるで、他人事だ。


「でも、痛くないんです」


 そう、他人事のように。ぼんやりと呟いている。

 医療班の女性は、それ以上問い詰めたりせず、倫之助のとなりに座った。


 どこかおかしい。

 そう感じたのは、半蔵と一彦だった。

 いつもよりも、ぼうっとしている気がする。

 けがをしているからかもしれないが。それでも少しおかしい。

 口では言い表せないが、倫之助が倫之助ではないような。



 ビルに着き、医療室に連れて行かれた倫之助を見送る。


「坊ちゃん……」

「なんか、おかしくなかったか? 倫之助」

「……カガチ……。あれは、坊ちゃんじゃない。あれはカガチだ」

「カガチ? あの、100年前の風彼此使いか?」

「そうだ。カガチは今、坊ちゃんの中にいる」

「……!」

「見たことがある。カガチの姿を。あれは、蛇だ。女の形をした蛇だ……」





 煙が出ている。

 黒い煙が。


「な……なんだ……これは……」


 倫之助の肩から、どす黒い煙が出ている。

 あれだけ深かった傷口は既に塞がっていた(・・・・・・)

 その場にいた医療班の人間全員が、驚愕している。


「私でなければ、できない荒業だけどね」

「……私? 何を言っているんだ、沢瀉君」

「私は沢瀉倫之助じゃない。カガチ……。そう、おまえたちが100年前の伝説の風彼此使いともてはやしてのが、私」


 女の声だ。

 女の声がする。

 煙が徐々に消えていき、やがて傷口は跡形もなく消え去った。


「信じろとでも」

「信じるか信じないかは自由。でも、今日は忠告しに来たの。沢瀉倫之助は観測者。ヒトが生存し続けるに値するかどうか観測している。そして私は、ヒトという存在の処刑人というところ。ヒトも陰鬼もいない世界にするため。そうすれば、誰も傷つかない。そう、意味を知ることもない。知って傷つくこともない。死だけは平等だから」

「……処刑人か」

「じ、次長!」


 医療室を訪ねたのは沢瀉峰次だった。

 表情は険しい。

 手には――金獅子を携えていた。


「お前が処刑人だというのなら、人類の敵と呼べるかもしれんな」

「そうね。そうかもしれない。ヒトにとってはね」

「ヒトにとっては? お前の上には何がいる?」

「いないわ。ヒトと陰鬼の中間……。それが私。お前たちの感情……。死へ触れ、生へ触れた心。その心が、感情が、私たちを創った」

「その存在が、人間を殺すということか」

「子は親を越えるものよ。……ちょっとおしゃべりが過ぎたみたいね。そろそろ代わらないと戻れなくなってしまう。じゃあね。お父様(・・・)


 ふっと、倫之助の身体が揺れる。


「倫之助君!」


 その体を支えたのは、峰次だった。そして、彼の背中を見て目を見開く。

 蛇の紋様。

 緋色の、蛇。

 黄金色をした、鋭い瞳孔。

 それが、倫之助の背中に存在していた。


 先刻までのあれは夢ではないのだと、そう主張しているようにも思えた。

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