14
次の日も、雨が降っていた。
「揃ったか」
今回指揮を執るのは、倫之助の父である沢瀉峰次であり、その下に倫之助、一彦、半蔵がそろっている。
険しい表情で立っている峰次は、重々しく口を開いた。
「先遣隊からの連絡が途絶えた。これはかなりの大型の陰鬼だと思われる」
「……途絶えた……」
「そうだ。造龍寺。今、なにか”感じる”ところはあるか?」
一彦は目を伏せ、わずかに考えるしぐさをした。
だが――不気味なほどに、何も感じない。
これがどういう意味なのか、分からないわけではない。
「――何も感じませんね。ただ、これは陰鬼がいない、という事ではありません。まるで、ジャミングされているような。何も感じないという事を感じる、ということがわかる分、いいと思いますが」
「そうか。先遣隊のことも気になる。早々に出立するが、いいな。運搬班もすでに待機している」
頷かないものはいなかった。
階段を降り、運搬班が運転するトラックに乗り込むまで、だれも口を開かなかった。
先遣隊の連絡が途絶えた、ということは一彦が言った、ジャミングのせいでそもそも連絡が取れないのか、全滅したのかのどちらかだろう。
だが、峰次自身は後者だろうと確実に感じていた。
「ジャミングされていようがいまいが、今回の陰鬼は相当な知性を持っていると思われる。人間と近い……同等の」
「――人間を越える知性を持つ陰鬼かと」
ぼそり、と呟いたのは倫之助だった。
「どういうことだ」
「憶測にしかすぎません。そもそも陰鬼は、人間の負の感情が収束し具現化したものです。負の感情というものは、とても強い。強く、そして硬化的です。簡単には折れない。つまり、陰鬼はヒトという存在を――いつでも殺せるということです。それを理解している分、悪質的かもしれませんけど」
「……ヒトを舐めているということか。面白くねぇな」
一彦は隣に座る倫之助を盗み見た。
それはいつもの倫之助で、昨日のような不安定さは見られない。
「面白くないのも分かりますが、今回の陰鬼は今までの陰鬼とどこか違う気がしますね」
「こっちが舐めてれば痛い目を見るってか」
「そういうことかと」
がたん、とトラックが揺れる。
地面が抉られているのだ。
周辺の住民はすべて避難所に避難しており、ヒトのいる気配はない。
そう、――もう誰もいないのだ。
血のにおいがする。
一彦はかすかに眩暈を感じた。
四肢は飛び散り、無残な姿をしていた。
すでに何人の先遣隊がいたのかさえ、分からない。
「陰鬼は……」
半蔵の言葉どおり、陰鬼の姿はなかった。
ただ、血なまぐささのある空間が広がっているだけだ。
「一彦さん、分かりますか」
「ああ。陰鬼は、確かにここにいる。それは間違いないな」
強烈な殺意。
それを感じるのは、一彦だけかもしれない。
だが、姿が見えない。
厄介な陰鬼だ――。
それだけは言える。
姿が見えなくては、こちらは圧倒的に不利だ。
「姿が見えないか……。確かに先遣隊がやられるわけだ」
峰次は呟き、おのれの風彼此――金獅子を抜き取った。
黄金に輝くそれは、強敵だと知ったのか、武者震いするように、透明な音をたてている。
「沢瀉次長。こちらの殺意が陰鬼に伝われば、確実に次長へ攻撃を仕掛けますよ。ここは俺が前線に出るのが得策かと」
「……造龍寺。先遣隊を選出したのは私だ。この責任は私にある」
「予測不可能の事態でした」
倫之助がつぶやくと、楊貴妃を鞘から抜きさった。
赤い刀身が、くもった合間から見える太陽に反射する。
「幸い、陰鬼は血にまみれている筈。それを見つければ、何とかなるでしょう」
彼は、電線をじっと見上げ、きしむのを見た。
――来る。
血がぱたぱたと地面に落ちてきた。
だが、倫之助はその音など耳に入っていないように、柄を握りしめる。
(なぜ、陰鬼を殺すのか。)
ふっと、誰かの声が聞こえてきた。
倫之助はかすかに目を見開いたが、緊張の糸を解くことはなかった。
血のあと。
それが、唯一の陰鬼の姿だ。
血の残骸の軌道。それを見つけた。
久しぶりの陰鬼に歓喜に震える楊貴妃は、その血さえすすろうと、打ち震える。
(なぜ、陰鬼を殺すのか。)
二度目の単語。ことば。
もう、倫之助は動揺などしなかった。
そんなもの、決まっているからだ。
楊貴妃の赤い残光。
陰鬼の肉体には届かなかった。
ただ、かすっただけだ。
「そんなもの、決まっているだろう。敵だからだ。敵の言葉に心がうつろうほど、俺はできた存在じゃない」
「坊ちゃん、何を……」
「陰鬼がうるさいんだよ。なぜ、陰鬼を殺すのか、って」
半蔵はかすかに息をのんだ。
やはり、この陰鬼は「知性が高い」。知っているのだ。倫之助のことを。
「沢瀉次長。下がっていてください。俺が何とかしてみます。半蔵、一彦さん。援護を頼みます」
「……倫之助」
ここでは、親子ではない。
沢瀉峰次は上司であり、倫之助は部下である。
「……おう。任せとけ、倫之助」
一彦の口もとが歪む。
相棒と呼ぶにはまだ遠い。
だが、すこしでも――、ほんのわずかでも信頼してくれているのだろう。
(なぜ、殺す。我らが同志よ。)
「言っただろ。俺はおまえたちの同志じゃない。敵だ。化物同士だとしても、俺はまだ選び取ってはいない」
「半蔵! 左だ!」
一彦の声で半蔵は瞬時に体を動かした。
動かさなければ――体ははじけ飛び、肉片としていただろう。
「分かってきた。この陰鬼の、音が」
一彦が口の中でつぶやく。
見えはしない。だが、聞こえる。空気の振動の音が。




