12
「俺は、望まれたとおりには生きられなかった。それからな。俺の両親は風彼此使いじゃない。両親は求めていなかった。風彼此使いという存在を、どこか……うさんくさいもの、とか思っていたんだろうな」
酒が入ると饒舌になるなと、自分でも思う。
倫之助の、嫌味のない沈黙もそうさせているのかもしれない。
「きょうだい揃ってそんな胡散臭いものになっちまって、両親は俺たちを見放した。けど、それでやっと自由になれたんだろうな。俺の好きなように生きられた。良い子にならなくてもよかったからさ」
後悔などしない。
していない。
するものか。そうやって、歯を食いしばりながら戦って、生きてきた。
「あなたは、後悔しないんですね」
まるで心の内を見透かすように、倫之助が言った。
焼酎が入ったグラスを握る力が知らずに強まる。
くちびるが歪んだ。
「そうだな。だがそれも言い訳にすぎないのかもしれねぇ」
「あなたは、今まですれ違ってきた人間の中で、いちばん誠実です」
「誠実? 俺がか?」
「はい。ヒトは、後悔する生き物だと思います。ですが、あなたはそれを言い訳と言った。それこそが誠実だという証です」
まるで老人のような言葉を倫之助は言う。
多大な時間を浪費したような言葉を。
「俺にとっては……呪いです。後悔という言葉は。悔いる、という言葉は」
「呪い?」
「……まあ、どうでもいいことです」
一彦の問いをまるで一蹴するかのように、ごまかすように、倫之助はウーロン茶を飲んだ。
「じゃ、そろそろ帰るか。まだ食いたりねぇなら何か頼むが」
「いえ。十分です。ごちそうさまでした」
「おう」
倫之助は先に居酒屋から出て、暗くなった空を見上げた。星は、ほんの少しだけ見える。
だがほとんどが雲に隠れて見えない。
人間とは不可思議なものだ。
様々な種類の思いを持っている。
一彦であれば後悔しない、するものか、という強い思い。
倫之助ならば、意味を探すという思いがある。
ヒトではないというのに、そういう形の見えぬ「思い」というものがあること。
それはどういうことなのだろう。
なかったらよかった。
すべてなかったら。
ヒトの形をした化物、というだけだったらよかった。
「待たせたな。戻ろうぜ」
「……はい」
「――どうした?」
はっと顔をあげる。
すこしだけ、心配そうな表情をしていた。
そんな表情をしないでほしい、と思う。
心配など。
そんな心配、いらない。
そんな資格などない。
「いえ、何でもありません。そろそろ帰りましょう」
疎まれたらよかった。
あの女子生徒のように。
(急に、なにを考えているんだろう。)
(今まで、そんなこと――。)
歩いていた足が止まる。
頭が痛かった。
あの男は。
半蔵は、「違った。」
倫之助の何ものでもなかった。
ただ――ただ。
すべてを肯定してくれた。
すべてを受け入れてくれた。
それだけ、だった。
けれど、半蔵はいつもそばにいてくれた。半蔵だけは。
それが救いだったのかもしれない。
人間ではないと、そう分かっていても、ふたりは変わらない。
変わってほしくない、とそう思っているのかもしれない。
陰鬼、という存在が、人間の感情が生み出す存在が、倫之助を作ったのならば、それは――本物の化物だ。
観測者。
ヒトという存在が陰鬼に喰らわれて当然なのか否か。
それを測る存在。
はっきりとわかる。
それが「自分だ」。
それが「意味だ」。
それが――あのカガチと呼ばれる女の、そして現世にいるヒトを測るための男の、存在意味だ。
あの女が、カガチがもしも、倫之助の「ヒトへの失望」を感じたなら、それが現世に出てくる意味だ。
そして、おそらく――陰鬼になる。
陰鬼になり、ヒトを喰う。食い散らかす、ただの化物になるのだろう。
(俺は、人間への失望を抱いてはいないか。)
自問する。
(まだ、その時ではない。)
自答する。
いや、自答というにはまだ、いとけない。
稚拙だ。ただの、言い訳に過ぎない。
(その時が来たなら、俺は、一彦さんも、半蔵も殺すのだろうか。誰もが認める、化物になるのだろうか。)
「殺したくない……」
ちいさな子供が発するような、声だった。
「何か言ったか?」
「あなたは、死にたくありませんか」
「何を突然。死にたくねぇから、戦ってるんだろ?」
「でも、俺はあなたたちを殺すかもしれない。殺さなければいけないのかもしれない」
しわしわのスーツをきた、いつも倫之助のことを案じてくれた――相棒。
その境界線が分からない。
踏み込んでいいのか、悪いのか分からない。
少しだけ長い前髪のその男は、呆れたように笑った。
「馬鹿なことをいうな。おまえは俺らを殺せねぇよ」
「あなたは、何も知らない……」
「おまえが何も言わないからだろ?」
「……そうですね。でも、一彦さん。あなたになら言えるのかもしれない」
ぽつ、と、コンクリートの地面に大きな粒が落ちた。
夕立とは違う。
大きな、雨粒だった。
ほかの人は鞄を傘代わりに、急ぎ足で通り過ぎてゆく。
ある人は、カフェの軒下に逃げ込む。
ただ、ふたりは違った。
一彦は、待っていた。彼が、彼自身の口で言ってくれることを。
「――殺したくない」
赤い眼鏡だけが浮きだった、どこにでもいる顔の男は、誰もが抱えることはない衝動に耐えていた。




