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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
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11

「あまり飲まない方がいいですよ。陰鬼が出るんでしょう」

「そのへんはちゃんと分かってるから大丈夫だって」

「そうですか。ならいいんですけど」


 お通しに箸をつけて、焼酎をのむ。喉を通る、かすかな熱さが久しぶりに感じた。

 倫之助はそれから何も言わずに黙々とお通しを食べている。

 小鉢だというのに、いまだ食べ終わらないらしい。

 おそらく、一度食べる量がすくないのだろう。



「……仕事ではない話、とは?」


 料理が運ばれてきてすこし落ち着いたころ、話を切り出したのは倫之助だった。

 一彦は一口、焼酎を飲み込んでから切り出した。


「おまえの未来の話だ」


 未来。

 ヒトは、今瞬間にもそれが過去になる。

 未来は未来にしかなく、過去は過去にしかない。

 遠い未来。

 遠い過去。

 それが決められたものであっても、そうあるべきだと思うのは自分自身でしかない。

 過去は変えられない。

 どう足掻いても、過去だけは変えられない。

 だがそれがどうだというのか。

 未来がある。

 それだけで、希望はあるのではないか。


「未来……?」

「おまえは人間ではない」


 その声色はかすかに沈んでいる、と気づいたのは過去の事だった。


「そうですね」


 だが、倫之助は意に反して何も感じていないようだ。

 それが当たり前だというかのように。


「それは決められたことだ。変えられないことだ。だが、おまえの未来だけはおまえが決められる。それはおまえだけのものだからだ」

「俺だけのもの……ですか。あなたは正しい。そう思い、そう言葉に出すこともきっと正しいのでしょう。けど、俺はその言葉が眩しい。手に入らないと思っていた未来。俺はそれこそが化物だと思っていました」


 彼はいつになく饒舌だった。

 未来という名の化物。

 姿かたちのない、あいまいで険しい、そして苦痛を持ちながら歩み、掴まねばならない、それ。

 確かに化物と呼ぶことは正しいだろう。


「俺の未来は、俺が決めていいのかさえ分からない……」

「決めるんだよ」

「……そうですね。それがきっと、一番人間らしいことなのかもしれない」


 その言葉には、どこか羨望が含まれていた。

 彼は、人間で在りたかったのだろう。心も。


「悪いな」

「何がですか?」

「年を取ると、妙に説教臭くなっちまって」

「俺に説教する人なんて、そうそういませんからね。新鮮な気持ちです」

「半蔵は説教って柄じゃねぇからな」

「あの男は俺に口出しなんてしませんから。あなたのように導いてくれることも、制してくれることもしない」


 ウーロン茶を飲み込んで、ひとつ息をつく。

 

 半蔵は、一彦から見ても異常だと思う。

 だが、半蔵はそれが「通常」なのだ。

 倫之助に付き従い、すべてを受け入れ、そして彼の言う言葉こそが、彼の行うことこそが正義なのだという。

 どこで狂ってしまったのだろうか、と思うことすら忘れてしまっている。倫之助も、半蔵も。


 一彦は傍観者だ。

 一歩引いたところにいる。


「さて、真面目な話はこれまでだ。おまえ、好きな子とかいるのか?」

「いませんけど。その必要もありませんし」

「そりゃさみしい青春時代だなあ」

「あなたは?」


 黄金色の目が、じっと一彦を見つめる。

 それにいざなわれるように、口を開いた。


「残念ながら。言えるような人はいないな」

「その質問の意図が分からなかったんですが」

「いや、若いやつだから、好きな子の一人や二人いるもんかと。でもまあ、おまえの性格だったら二の次どころかずっと後なんだろうなあ」

「ご名答ですね。その通りです。でも、あなたのことは好きですよ」

「……そりゃあ、どうも」


 ふっ、と思い出す。

 服部の家の、書庫。

 触れた手のわずかな冷たさとあたたかさ。

 手首の骨の感触。

 あの、黄金色の瞳。

 

 変えられない過去の、海辺。

 海に呑まれた思い。


 よく、似ている――。


 細い髪。

 つやのある黒い髪。


「どうかしましたか」

「いや。昔のことをおもいだしてな」

「昔?」

「おまえとよく似ていた。別に好きだったってわけじゃないんだが、そいつは、俺の目の前で死んだんだ」

「……自死、ですか」

「そうだな。あいつは海が好きでな。俺もよくつき合わされた。まだ、風彼此に目覚めていなかったときだ。おまえと同じ年の時だから……もう15年くらい前か。いつもみたいに崖の上から海を見下ろしていた。そう、いつもみたいにな。だが、あいつは……何も言わず、逝っちまった。遺書だけを残して。飛び降りたんだ。だが、遺体はまだ見つかってない。あいつは、海に見初められたんだ、と言い訳をしてきた。そう思うことで、俺を正当化しようとしてた」


 倫之助は、くちびるを閉じて、じっと聞いていた。


「おまえと、本当によく似ている。だが、罪を思い出させるってわけじゃない。気づいたんだ。あいつは……自分の未来を自分で選んだんだ、ってな。だから、責めることはしない。懺悔もしない。……遺書には、こう書かれていた。一彦、ありがとう。ただ、それだけだ。だから、あいつは後悔していない。そして遺された俺たちも、後悔しない。そう望んでいるんだろう。あいつも」


 自死は、周りの人間に暗い影を落とさせる。


 倫之助はそっと目を伏せ、残り少なくなったウーロン茶が入ったグラスに口をつけた。

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