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「そういえば倫之助。タクシー呼んじまったがよかったのか?」
「ああ、そういえばご当主、夕食をご馳走してくれると仰っていましたね。まあ、いいんじゃないですか。電話でもしておけば許してくれるでしょう」
「そんなもんか」
一彦が内心安堵していたことは間違いない。
花乃という女がいる屋敷に、もういたくはなかった、と言うべきか。
「半蔵」
「はい。坊ちゃん」
タクシーの助手席に乗っていた半蔵を倫之助が呼ぶと、すぐに笑顔でこちらを向いた。
先刻の、花乃と話していた時の面影はどこにもない。
「花乃さんのことなんだけど。あの人、まだ何か隠していることがあるみたいだな」
「ああ……。そうでしょうね。大守家は口伝でしか伝えない家系ですから、やましい事があるのでしょう。まあ、あいつはそんなこと、どうでもよさそうですが」
「……半蔵。花乃って女が自分の子供を実験体にしてるって本当か?」
一彦が問うと、半蔵はわずかに口を閉ざし、やがて肯定した。
「そう聞いている。風彼此使いを人工的に造りだす、と」
「そんな事が可能なのか?」
「さあ。興味ないからな。だが、人道から外れていることは確かだ。おそらくだが、あの子はそうそう長生きできないだろうな」
「……止めることは……」
「できないでしょうね。大守家は政府とつながっています。政府は今の風彼此使いの減少に危機感を覚えている。人工的に風彼此使いが作れるのなら、それは喜んで協力しているでしょうね」
風彼此使いの減少。
それは、政府が危機感を覚えるのにも分かる。
陰鬼は風彼此使いにしか倒せないということは、日本国民全員が知っている事実だ。
だからと言って、人工的に風彼此使いを造りだす、ということは人道から外れる。
それは倫之助にも理解できるし、同意できるが、それを止めるすべを知らない。
「蘇芳さんも知っていることです。俺から見て、あの人はまともな人ではないですが、真っ当な人です。俺にはどうすることもできませんが、蘇芳さんがその事実を完全に掴めば……あるいは」
「……そうか。まあ、俺らは陰鬼を殺し尽くせ、っていう命令しか下ってねぇからな。とはいえ、そのまんまってのも面白くねぇ」
わずかにイラついている様子を見せる一彦は、ビルの駐車場に停まったタクシーから出た。
タクシーの運転手には、今の事を口外しないようにと半蔵が念を押していたが、服部家の人間のいうことだ、絶対に口外しないと運転手は硬い表情で頷いていた。
おそらくだが、この運転手は服部の家を何回も往復していて、政府の人間も乗せたことがあるのだろう。
「さて、暗くなってきたし蘇芳さんに報告するか。つっても俺はあの女からの情報は知らねぇからな。倫之助。おまえが報告してくれよ」
「分かりました」
「では、俺はここで。坊ちゃん。十分にお気をつけて」
大げさだな、と倫之助は肩をすくめ、蘇芳エーリクがいる部屋へ向かった。
足の裏が沈むような絨毯を進み、木でできた豪奢な扉をノックする。
すぐに返事が返ってきたが、一彦の表情がかすかに曇った。
「……何か嫌な予感がする」
「あなたが言うのなら、嫌なことが起こるのでしょう」
倫之助は面倒くさそうに目を細めた。
おそらく、また「おつかい」のようなことをさせられるのかもしれないし、陰鬼の討伐に駆り出されるのかもしれない。
「失礼します」
ドアを開けると、椅子に座った蘇芳エーリクがにこやかに二人を出迎えた。
手を机の上で組み、赤い瞳を細めている。
「その表情を見ると、どうやらつかんだようだね? 大守家のひみつを」
「やはり知っていたんですね。大守花乃のことを」
「僕は大守家と何かとあってね。倫之助くんたちは知っていると思うけど。さあ、ソファに座って。きみたちが掴んだ事実を教えてほしい」
二人はエーリクがソファに座ってから、倣って座る。
革張りのソファは、やはり固く感じた。
「まず、結果は成功です。100年前の風彼此使いの名前、性別、能力。それらを確認することができました」
一彦は、それが「いやなこと」だと直感した。
彼自身ではなく、倫之助自身が、だが。
「名は鬼灯。性別は女性。風彼此の力は――時間の軸を歪めない力」
「そうか。さすがだね、倫之助くん。しかし、性別は予想外だったかな」
エーリクは足を組んで、どこか物憂げに口に指をあてた。
だが、目を伏せた彼はすぐに何かを決意したように、顔をあげた。
「きみは、その女性のことを知っているかい?」
その言葉に、倫之助の表情がわずかに曇った。
いや――曇った、というよりも何かを思い出すように目を伏せた、というべきだろうか。
「そうですね。知っている、といえば知っているかもしれません」
「そうか。きみのなかの欠けた人格が、その人なのかもしれない。まあ、真実かどうかは分からないけど。でも、その人は倫之助くん。きみなのだろうね。僕はそう確信している」
「蘇芳さん。それは一体どういう……」
この部屋にきて初めて、一彦が口をひらいた。
「100年前の風彼此使いは倫之助くんだと確信している、ということだよ」
「まるでおとぎ話のようですね」
「普通はそうだね」
一彦の言葉に苛立ちもせず、エーリクは微笑んだ。
「他の人はそう言うだろう。それが普通だ」
「蘇芳さんにはそれが事実であるという確証があるんですね」
「そうだね。時間を歪める力と、鬼灯という名……。それだけで確証になるけれど、それだけではない、ということだけ言っておこうか」
蘇芳エーリクはそれ以上、口に出すことはなかった。
おそらく、これで話は終わり、ということなのだろう。
「ではこれで。そういえば……一彦さんが嫌な予感がする、と言っていました」
「そうか。さすがだね、造龍寺くん。おそらくだが、明日か明後日、陰鬼の出現率が高まっている」
「……失礼します」
一彦は憮然として、ソファから立ち上がり一礼し、そのまま部屋を出てしまった。
「すこし嫌われてしまったみたいだね」
エーリクは苦笑いをして、倫之助を見送った。




