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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
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 花乃は、ほんとうに――汚らわしいものを見るように、吐き捨てた。

 顔をゆがませ、まるでほんものの鬼のような形相だった。


「人間は、誰かに似ているから、同じだから存在できているのですよ。それに比べてあなたは誰にも似ていない。汚らわしい、まるで――」

「坊ちゃんを愚弄するのはやめろ」


 半蔵の怒りめいたつぶやきは、花乃の耳には入っているものの、どうでもよさそうだ。

 白い流水紋の着物の裾が、すこしだけ冷たい風にゆれる。


「まるで、ヒトではないみたいだわ……」


 とうの倫之助は、それに傷ついたとか、嫌悪感をあらわすとか、そういったものは感じられない。

 ただ、面倒くさそうにぼんやりと花乃を見据えている。


「まあ、どうでもいいですよ。俺のことは。俺たちが知りたいのは、あなたの記憶の底にある記録という物体ですから。それを邪魔するというのでしたら、お相手しますが」


 花乃は熱が冷めたのか、ため息をついて黒いつややかな髪の毛を耳にかきあげた。

 そのしぐさは、あまりにも人形的だった。

 まるで、コンピュータ・グラフィックスのようだ。


「これだけねちっこく、かつ簡単に怒りをかれる嫌味を言ったのに、全然、全く反応しないんですから。まったく、つまらない人。いいわ、もう。あなたのその楊貴妃で、どうでもいい記録を盗めばいい」

「物分かりがよくて助かります。花乃さん」

「……そういうところ、やはり嫌いですし、気持ち悪いわ」

「では、花乃さん。その玉滴を仕舞ってください。そうしないと、うまく吸い取れない」

「……仕方ないわね」


 彼女はもう、倫之助に対抗する意識はないのか、その手に持っていた玉滴を手から放した。

 すると、空気に溶け込むようにすうっと消えていく。


 それを見届けた倫之助は、自身の楊貴妃を彼女の額に、ひたりと切っ先をむけた。

 

 ずっ、という、何か質量のあるものが吸い取られるような音がここにいる全員が聞いた。

 いや――花乃だけは違った。

 ただ茫然とした表情をして、ぴくりとも動かない。

 その光景は異様としか言えなかった。

 まるで花乃の周りだけ、時間が止まったような、そんな気がする。

 一彦は、ぞっと背筋が寒くなるような不快な思いをした。


 楊貴妃の赤い刀身が、徐々に白く染まっていく。

 記録を吸い取った、という証だ。

 楊貴妃を持つ倫之助の表情が、かすかに曇る。

 赤い眼鏡の奥にある黄金色の目が、鈍く光った。


 違和感――。

 そう言ったほうがいいだろうか。

 倫之助は、確かにそれを感じていた。

 目の前が歪み、様々な色をした花々が混色と化し、まるで油絵具をめちゃくちゃに塗りたくったように見えたのだ。


「……坊ちゃん?」


 半蔵が呟いても、倫之助は表情を変えなかった。

 ただ、ぼんやりとその光景を他人事のように見つめているだけだ。


 倫之助がやっと楊貴妃をおろした直後、花乃の身体が崩れ落ちるように土の上に倒れこんだ。

 だがすぐに気を取り戻したのか、体を起こす。

 かすかに乱れた髪の毛をそのままに、ゆっくりと立ち上がった。


「……そうか。そういうことか」


 ぼそりと呟いたのは倫之助だった。

 何かを納得したように、頷いている。


「倫之助さん。何かお分かりになって?」

「ええ。ですが俺が本当に知りたかったことはあなたの記録の中にはありませんでした」

「本当に知りたかったこと?」

「これは俺自身が個人的に知りたかったことなので。今回は仕事でしたから、ここまでにしましょう」


 倫之助の顔色はいいとは言えなかった。

 記録や記憶はその存在だけのものだ。それを他人が強制的に吸収することは、嫌悪感を感じる以外、ない。

 

「では、俺はこれで失礼します。どうもありがとうございました」


 本気で「ありがとう」と思っていないのは、花乃も一彦も分かっていた。

 だが、誰もそれに気に留めていない。

 倫之助が「そういう存在であり、そういうモノ」であることを知っているからだ。


 花乃も、倫之助に興味が去ったように中庭の花を眺めている。

 タチアオイが枯れている中庭は、初秋らしくコスモスがすこしだけ咲いていた。


 中庭から玄関に向かう間、三人はひとことも口を割らなかった。

 ただ、何かを思考している倫之助を案じている。


「倫之助。タクシー呼ぶがいいか?」

「あ……ええ、お願いします」


 彼はどこか上の空だ。

 それを心配そうに、半蔵が見下ろしている。


 一彦がタクシー会社に電話をしている間、半蔵がそっと倫之助に問いかけた。


「坊ちゃん。なにを……見たんです?」

「それは言えない。一応、機密事項だからな」


 倫之助の口調だと、別に言っても構わないと思えるが、半蔵はすぐに諦めた。

 彼が言わないというのなら、言わないのだろう。

 無理に聞いて、倫之助に悪影響を及ぼすことをむざむざ半蔵はしない。



「まったく、不気味な女だな。花乃ってのは」


 いつの間にか一彦は携帯から耳を離し、ぼそりと呟いた。

 倫之助も半蔵も、それに賛同することも、否定することもしない。


 ただ、倫之助が記録を吸い取る前に言っていた、「一番したたかで気味の悪い女」ということがすべてだった。

 糸巻ういよりも、本当に気味が悪い。



 やがて、タクシーが来ると黙って三人は乗り込んだ。

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