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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
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 当主の言うとおり書庫はひどくカビ臭い場所だった。地下のせいか、じめじめしており湿気も強い。

 なぜ書庫を地下に造ったのかは不明だが、おそらく最初は書庫ではなかったのだろう。


「うーん……」


 倫之助は湿っていそうな古い本をめくって、珍しく呻いている。


「どうかしたか?」

「駄目ですね。文字がにじんでいて読めないどころか見えない」

「そりゃそうだろうな。ここは湿気だらけだ」


 一彦は最初のうちは真面目に探していたが、殆どが読めないとわかると諦めていた。

 退屈そうに、壁によりかかって欠伸をしている。


「100年前ってんだから、そんなに古いもんじゃないだろ。それさえ読めねぇってんだから、それ以前の本なんて無理無理」

「そうですね。常識的に考えればその通りでしょう。まあ、予想通りというか何というか」

「……予想通り? じゃあ何のためにここまで」


 ひたりと彼の目が一彦へと向けられる。

 その目は黄金色というよりも、影のせいで赤みを帯びていた。

 

「……倫之助?」


 背筋に冷たい汗がにじんだ気がする。

 倫之助から発せられる純粋な「恐怖」。ひとつの混じりけもない美しく、芯から透き通る感情。

 それ(・・)こそが、倫之助が倫之助である要因ではないのだろうか。


「俺がここにきたのは、すこし見ておきたいものがありまして」

「見ておきたいもの?」

「ええ」


 ずらりと並ぶ本に興味を失ったのか、適当に腐り始めた木の本棚に仕舞った。

 倫之助は書庫の壁に一彦と同じように寄りかかり、低い天井を見上げる。


「花乃さんに少々用事が」

「保永さんの嫁か?」

「彼女も風彼此使いで、俺と同系統の力を持っているんです。彼女に近づくにはこの屋敷に乗り込むのが一番だと思いまして」

「だったら最初から――」

「気づかなかったんですか? あのビルは、あの班長の力が及んでいる。話せば長くなるのですが……。花乃さんの家は蘇芳エーリク……彼と少しばかり因縁があるんです。花乃さんの家――大守家は代々そういう系統の力を持っていて、何というか……蘇芳さんの力と少々間合いが悪いんです」


 間合いが悪い――。相性が悪い、ということだろうか。

 蘇芳エーリクの力はよく分かっていないが、倫之助の力は分かる。


「だから、おまえをけしかけたのか。まったく、末恐ろしいな。あの男は」

「まあ、てっぺんに立つ人間が手を汚さないのはこの時代、そうそう珍しくはありませんからね」

「手を汚す……?」

「別に、悪いことはしませんよ。ただ――少々手荒いことをする程度です」

「おい、花乃って女はもう人妻だろ」

「関係ありませんよ。すべて忘れられるんですから」


 倫之助の横顔を見下ろす。

 そこには何の感情も表していない、ただの彫刻のようにそこにあった。


 すべて忘れられる――。


 そこに、違和感を感じた。


「一彦さん。あなたの陰鬼を検知する能力とおなじです。俺の楊貴妃は、人体――感情、記憶を含めて何らかの存在を吸収する力も兼ね備えています。まあ、あまりいい思いはしませんが」

「……そうだろうな。風彼此は自分の存在そのものだ。自分以外のどこかや誰かにに放出することはできない」

「そんな大層なこと、思っていませんが」


 ふっと、倫之助が笑う。

 その時感じた感覚に、ぞっとした。

 いや――もう遅かった。


「……なにか?」


 黄金色の目が――満月の色が――見上げている。

 手首を握りしめ、倫之助の身体を壁に押し付けていた。

 

 黒くうねる髪。

 暗い部屋のなかにいるせいか青白く見える肌。

 それが一彦をさいなませた。


「俺は人間ではありません。人間に似せて作られた存在です」


 ざああ、と、砂嵐のような音が耳朶を襲う。

 まるで倫之助の存在が遠く遠く、遠ざかっていくようだ。


 聞いてはいけないのだと、本能が言っていたのかもしれない。

 だが、「それ」は素直に入ってきた。


 人間ではない、ということを。


 確かに、時を止めるという芸当は人間では決してできない。

 100年前の風彼此使いとて、本当に存在したかどうかも分からないのだ。


 それをわざわざ一彦に打ち明けるということは、倫之助にとってどうということもなかったのだろう。


 相棒だから、というわけではない――。

 むしろそれ以上でもそれ以下でもない。


「俺は、おまえにとってどういう存在だ? ただの……ただの、他人か?」

「あなたが、俺のことを相棒だと言ったのでしょう。だったら、そうなんでしょうね」

「……俺はおまえのことが分からない」

「人と人は、他人同士です」


 愕然とする。

 ある意味、半蔵と一彦は同じ線上にいる。

 それこそ、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 特別、などとそんな存在はいない。

 なにも――望んではいないのだ。

 それがどれだけ「生きていて」むなしいものなのか、分かっていない。


 だが――彼は、倫之助は人間ではないという。自らを。


「他人同士だから何だってんだ。俺は、おまえと対等になりたい。おまえは、いつもいつも人間を見上げている。何かを観測している」

「……ここまで踏み込むのはあなたが初めてですよ。一彦さん」

「悪ぃな。こういうサガなんでね」


 諦めたように、倫之助は力なくくちびるの端を上げた。

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