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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
49/112

 タクシーは、緑の多い坂道を行った。

 すでに緑の所々は薄い赤色に染まり、じき紅葉になることを示している。


 曲がりくねった坂道の先に、服部家はあった。

 土壁が見える前に、タクシーを降りる。

 

 緑の多いこの場所は、すこし肌寒い。

 日陰が多いからだろうか。


 ひさしく、この空気を吸っていない。


「じゃ、行くか。歩けるか?」

「これくらいなら大丈夫です」


 ゆるやかな坂道。

 土壁の、かすかなにおい。

 10メートルほど進むと、木でできた門扉が表れた。

 呼び鈴はない。

 それは、今現役を退いた服部家の当主の力が及んでいるに相違ない。

 彼はいわゆる感知型の風彼此を持っている。

 一彦と同等の力だ。


 門扉を抜け、玄関へと向かう。

 

「お待ちしておりました」


 鈴が転がるような声。

 いまだ幼い、少女の声。


「ああ――久しぶり、かな……」

「はい。倫之助さま。当主がお待ちです」


 薄い青の着物を着た少女――凛子(りこ)は、服部家の使用人の娘だ。

 小学校に通いながら、この屋敷の手伝いをしている、よくできた娘でもある。

 美しい黒髪を肩に垂らしながらも、目は菫色をしていた。

 彼女も、風彼此使いであることを表している。


「そして、造龍寺一彦さまでしたね? 当主もお会いしたいと申しておりました。……申し遅れました。わたし、藍野凛子と申します。よろしくお願いいたします」

「あ、ああ」


 一点の曇りもない大きな菫色の瞳が、一彦を見上げている。

 それにたじろいだのか、一彦は微かに圧倒された。

 にこりと微笑んだ少女は、そのまま倫之助と一彦を屋敷の中に招き入れた。


 むせかえるような、香のかおり。

 倫之助は嗅いだことのある香りだが、一彦は眉を寄せた。

 慣れていないのだろう。


「陰鬼避けの香です。ただ、効果があるかどうかは分かりません。服部家に代々伝わる香を調香しているのです」

「そうか……」


 独りごとのように、一彦は頷いた。だが、確かにこの辺りには陰鬼の気配というものが全くない。

 それはそれで、不気味なものだ。


「こちらが当主の部屋です。わたしはこれで失礼いたします」

「ああ、ありがとう。凛子」

「はい。倫之助さま」


 頬をあわく染めて、凛子は兵児帯を金魚の尾のように揺らしながら、去って行った。


「ご当主。沢瀉です」


 倫之助が襖の前に座ったので、一彦もそれに倣う。

 数秒後、入るように促す声が聞こえたので、倫之助は慣れた手つきで、すっと襖を開いた。

 そこにいたのは、灰の着流しを着た男だった。

 髪は黒い。

 あの年齢の二人の息子がいるとは思えない程の黒さだった。

 白髪一本ないのではないかと思うほどの。


「お久しぶりです。なかなかご挨拶ができなくて申し訳なく思います」

「いいや、沢瀉の。こちらこそ、半蔵――正成が迷惑をかけている。あれは元気か?」

「それはもう」

「そうだろうな。あれは主君がいて初めて役に立つ代物だ」


 自らの息子をこんな言い草をしているが、男の表情は穏やかだ。

 だが、一彦も確かに、と思う。

 半蔵は倫之助がいて初めて存在を認識できるのではないか、と。

 いくら顔がよくても、それだけでは無意味だ、とも。


「ご当主。今日は書庫を見せていただけないかと」

「ああ、あのかび臭い書庫でよければ、いくらでも調べて(・・・)も結構だ」

「ありがとうございます。助かります」


 当主の言った言葉のわずかな違和感を倫之助は聞き流したのか、頭を下げた。

 一彦もそれを真似て、頭を下げる。


「まあ待て。久しぶりの顔合わせだ。造龍寺君と言ったかな。すこし、この私と話でもしないか。現役を退いてから少々退屈でね」

「ご当主がよければ」

「そうか。すまないな。沢瀉の」


 安堵したように表情をゆるませるまだ名も知らぬ当主は、膝に手をあてたまま、もう片方の手で顎を撫でた。

 なにかを考えあぐねている様子だ。


「ご当主。保永さんにお子さんが生まれたようですね」

「ああ、そうなんだ。男の子でね」


 助け舟を出したのは、無論一彦だった。

 倫之助では決してこちらから口を出すことはなかっただろう。

 相当可愛がっているのか、自らの孫のことを語り始めた。


「この年になると、もう風彼此使いがどうのと言うことができなくてね。まだ一歳にも満たない子だから、風彼此を使えるかどうかは分からないが、私はどちらでもいいと思っている。保永の時は躍起になっていて、とても悪いことをしたと思っているよ」

「……長男が風彼此を使えないことで、周りから色々と言われていたことは知っていますが」

「そうなんだよ。いつ風彼此使いに目覚めるか誰にも分からないことだ。これから目覚めるかもしれないし、もう一生目覚めないかもしれない。私は、孫ができてからそれももう、どっちでもいいと思っている。どちらにせよ、保永は私の子だ。無論、正成もな」


 目を細めるしぐさをしたところを見ると、そのことは保永には言ってはいないようだ。

 こちらとしても、軽々しくそれを保永に言え、とは言えない。

 これは服部家の問題だからだ。

 口出しするのは間違いだろう。


「よかったら、孫と保永――それから花乃(はなの)にも会ってやってくれ。食事と寝床くらいは用意できる」

「そこまでしていただかなくても――」


 一彦が遠慮がちに伝えるが、彼は「会ってやってくれ」の一点張りだった。

 倫之助をちら、と見ても、いつもと同じようにぼんやりとその主張を聞いている。


「では、お言葉に甘えて」


 その視線に気づいたのか、倫之助は彼の言い分にあっさりと乗った。

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