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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
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「蘇芳さん。100年前の風彼此使いのことを知ってどうするというんです」

「造龍寺くんが疑問に思うことは当たり前のことだ。突拍子のない話だからね」


 エーリクはどこか満足そうに頷いてから、足を組んだ。

 彼の空気はどこか異質に満ちている。

 だが、だからと言って敵、というわけではない。むしろ、「徹底的な」味方だろう。言うことをきいているうちは。

 だからこその異質さなのだろうか。


「先日言ったように、彼を知ることは陰鬼の歴史を知ることに通じる。僕が知ろうとしていることは、まさにそれだ。そして、100年前以前の陰鬼の歴史を知ることだ。そうすれば陰鬼の全滅させる方法が分かるかもしれない」

「どうでしょうか。陰鬼は、ヒトのつらい思いや悲しい思いから生まれた、いわば人間の分身のようなものです。それを全滅させることなんて、ヒトが滅びない限りあり得ないのでは」


 倫之助は、背中をまるめてぼそぼそと長々呟いた。

 その疑問さえ先読みしていたのか、エーリクは「そうだね」と微笑んだ。


「それはもっともだ。陰鬼自身――それらは因果律。原因がなければそれは起こらない、ということは当たり前の現象だ。けど、それは哲学において起こりうることであり、現実では分からない。人間の可能性というものはそういうものだ。陰鬼を倒すのは人間である。その人間の可能性をできうる限り広げ、限界まで達せられれば因果律はひっくり返る。そうは思わないかい?」

「――蘇芳さんの風彼此はまさにそれ(・・)ですね」


 一彦が呟き、じっとにこやかな蘇芳エーリクを見つめた。

 何かをのぞき込むように。

 それを一身に受けても、エーリクは微動だにしない。ただ、ほほえんでいる。


「そうかもしれないね。まあ、僕のことはどうでもいいさ。きみたちにやってもらいたいことは、100年前の風彼此使いを調べることだ。名前でも、年齢でも、性別でもいい。何せ、能力以外は分かっていないからね。文献を見ても殆どおとぎ話化している」

「おとぎ話ですか。言いえて妙ですね」

「調べ物は苦手なんですがね……」


 げんなりと肩を落とす一彦に微笑んだエーリクが、これで話は終わり、と言わんばかりにパイプ椅子から立ち上がった。


「それも仕事だよ。造龍寺くん。それから――このことは他言無用だ。分かっていると思うけどね」


 グレーの三つ揃えのスーツを着た蘇芳エーリクの赤い目に、蛇に睨まれた蛙のように固まった一彦は、ぞっと背筋が寒くなった。

 この男は、本気でこんなおとぎ話のような事を「ストーリーとしてではなく」真実として信じているのだ。

 倫之助の、あの時間を止める芸当を生で見たわけでもないのに、信じている。

 ただの紙ぺら一枚だけでのことを。

 妄信的と言っても過言ではない。

 それは、半蔵を思い起こされた。だが、まだ半蔵の方が可愛い方だ。なにせ、倫之助はこうして今、存在しているのだから。



「一彦さん」


 靴音が去ったあと、先に言葉を発したのは意外にも倫之助だった。

 赤い眼鏡をかけなおして、スリッパを足にひっかけた。


「あの人の味方をしていれば、当分は安全です。面倒ですが、おとなしく従っておきましょう」

「本当に面倒だな……。だが、おまえの言うとおりだ。逆らえば蝶班はひとたまりもねぇし」


 しぶしぶ承知する一彦を確認すると、倫之助はぎこちなく立ち上がった。

 まだ体を動かすことに慣れないのだろう。


「半蔵にも言わないつもりか?」

「そうですね。蘇芳さんが誰にも言うなというのなら、ここにいない半蔵も無論含まれるでしょう」

「……温度差すげぇなあ。おまえら」

「そうかもしれませんね。とりあえず、ここから出ましょう。蘇芳さんが調べろと言ったことがヒントです。このビルにはおとぎ話しか存在しない」

「じゃ、どこに行く気だ?」


 櫛もとおしていない倫之助髪の毛は、まだぼさぼさのままだ。どうやら、梳かさないまま外出するらしい。

 一彦自身も、よれよれのスーツなので言えた立場ではないが。


「まあ、とりあえず服部家にお邪魔しましょう。あそこは古い文献の倉庫ですから」

「あてがあるならそこに行くしかねぇか。って待て。スリッパで外に出る気か」

「いけませんか?」

 

 不思議そうに首を傾ける倫之助に、半蔵の存在の大きさを知る。

 

 病室をくまなく探してようやく、ベッドの隣の棚の中になぜか靴があった。

 誰がそんなところに靴を置いたのか知らないが、思い当たる節があったのでそこは深く考えないことにする。


「服も着替えろ。入院着のままじゃ警察呼ばれるぞ」

「そういうものですか……」


 どこか感心したようにうなずいた後、縦に細長いクローゼットの中から私服を取り出す。

 そして、そのまま着替え始めた。

 別に男同士なのだから、着替えを見ても何ともない筈なのだが、一彦はふいに目を逸らした。


「……よし。じゃあ行くぞ。まだ動くの辛いなら、タクシーでも呼ぶか……」

「それはやめたほうが。服部のご当主は車が大嫌いなので」

「面倒だな……。服部の当主ってのは」

「ハイカラなものが嫌いだそうで」

「車はもうハイカラじゃねぇだろ……」


 廊下を歩きながら、一彦が愚痴る。

 もっともだと思いながら、エレベーターでエントランスへ向かった。

 このエレベーターでさえ、服部の当主は苦手なのだろう。

 だとしたら、階段で上り下りするのだ。相当足腰が強いのだろう。


「途中まででもタクシーで行くぞ」

「そうします。今の俺の足じゃ、半日かかってもたどり着けないでしょうから」


 涼しい風が頬を撫でる。

 倫之助が眠っていたひと月、時が動き出した瞬間だった。

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