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倫之助は峰次のいうとおり、次の日に何事もなかったかのように目覚めた。
だが、まだ体がうまく動かないのか歩くのは辛そうだ。
「よう相棒。加減はどうだ?」
「まあまあです。体がまだこってる感じがありますけど」
病室にやってきたのは、造龍寺だった。
いつものよれよれのスーツにしわくちゃのシャツを着ている。
「そりゃそうだ。一か月も寝てたんだからな。五光班の班長――蘇芳さんって言ったか。その人の所まで歩けただけでも俺は驚きだが」
「俺もです」
倫之助は肩を軽くすくめて、眼鏡をかけなおした。
相変わらず、彼の赤い眼鏡は顔に浮いて見える。
黒くうねる髪の毛は、一か月前とくらべてすこし伸びていた。
当たり前だが、その事実がどこか神秘的に見える。
それは馬鹿げた幻想だと信じながらも、造龍寺は倫之助から目が離せない。
黄金色の目が、満月ととてもよく似ていたからだ。
その視線にきづいた倫之助は、顔をあげて造龍寺を見上げた。
造龍寺――造龍寺一彦は、純粋な、芯から透き通った暗闇を見た気がした。
今まで見てきた倫之助とちがう。
薄ぼんやりとした存在ではない。
純粋かつ、鮮明な色がそこにあった。
完全完璧な――黄金色。
まるで、黄水晶よりも濃く、シトリンよりも透明度が高い。
「なにか?」
「あ……いや。そういえば、俺の名前を言ってなかったな。鈴衛と混同しちまうだろ」
「そういえばお聞きしていなかったですね」
「一彦だ」
「そうですか。では、鈴衛さんと同じく名前で呼んだほうがいいですね」
「まあ、おまえに任せるさ。俺はどっちでもいい」
造龍寺――一彦は笑い、ベッドの隣にあったパイプ椅子にすわった。
なんとなく、胸ポケットをまさぐる。
そこに煙草はあったが、ここが病室だと今更気づいて手をひっこめた。
「どうぞ。煙草吸いたいんでしょう。俺は構いませんが」
「そうもいかねぇよ。ここは一応病人の部屋だからな」
ぼさぼさの髪の毛の一彦は、にっと笑った。
その動きにあわせて、パイプ椅子がぎいと鳴る。
鉄がこすれる音がしたあと、足音が聞こえてきた。
靴音は、革靴のようだ。
半蔵ではないことは確かだろう。
一彦は目を細め、その靴音の音をたどる。
「あの靴音……おまえの親父さんでもない。蘇芳さんだ」
「靴音でわかるんですか?」
「ああ、そりゃな。俺の百花王の力の一つだ。出してなくてもそのくらいは分かる」
「それはまた……難儀というかなんというか」
扉をノックする音が聞こえる。
おそらく、五光班班長、蘇芳エーリクだろう。
「どうぞ」
倫之助が答えると、扉は呆気なく開いた。
そこには、グレーの三つ揃えのスーツを着た蘇芳エーリクがにこやかに立っていた。
「やあ、倫之助くん。気分はどうだい? それから造龍寺くん。ちょうどいいところに」
「俺はただの見舞客ですが。俺にもなにか?」
「そんなに卑下しないでくれ。きみの能力を僕は買っている」
「それはどうも」
一彦は首の後ろを掻くように腕を上げた。
その言葉をむやみに信じていない証だ。
「感知型の風彼此使いはとても貴重だからね。座っても?」
「どうぞ」
倫之助が手をパイプ椅子へ向けると、エーリクはにこりと微笑んで椅子に座った。
長い脚を組んでいるが、鼻にかける様子は全くなく、自然体だ。
「倫之助くん。きみと造龍寺くんが相棒を組んでいることは知っている。だからこそ、僕はきみたちに話そうと思う」
「聞きたくないですけどね」
「まあ、そういわずに。造龍寺くん。やはりきみは”勘がいい”。とても貴重な存在だ」
ということは、「聞きたくない話」あるいは「嫌な話」「面倒くさい話」なのだろう。
エーリクはそれを華麗に受け流して、微笑みを絶やさずに――こう言った。
「調べてほしいものがある」
と。
倫之助は黄金色の目を伏せて、ちいさく息をついた。
「100年前の風彼此使いのことですか」
「そのとおりだ」
「……天女戦の……」
一彦はぼそりと呟き、嫌なものを見たように眉をひそめた。
時を止める、という、陰鬼でさえできない芸当をする倫之助の能力。
時間の軸を歪めないということは、並大抵の風彼此使いでは命さえ危うい力だ。
それでも倫之助はそれを使った。
そして今も生きている。
これはまぎれもない事実だ。
100年前の風彼此使い――名前も史実には載っていない存在は、受け継がれてはいるものの、「本当かどうか」は分からない。
ただの憧れとして、形作られているだけなのかもしれない。
だが――存在したのだ、と戦慄する。
「時を止める、その能力は100年前の風彼此使いしか使えない。それは学校でも習ったはず。まあ、殆どの生徒は信じていないだろうけどね。でも、それは存在する。僕はそれは知っている」
「なぜですか? ゆめまぼろしかもしれないのに」
「きみ自身が使っているじゃないか。それが現実だ」
「まあ、そうですけどね。でもあまり使いたくないんですよ。疲れるから」
「あれで疲れない風彼此使いはいないよ。そもそも、きみ以外時を止めるなんて芸当できはしない」
「なぜそう言い切れるんですか」
「……きみが一番よく分かっていると思っていたのだけど」
「俺が化物だからですか」
黄金色の目がまたたく。
満月のように。
「倫之助。おまえは自分を何だと思ってるんだ」
「……どうということはありませんよ。ただ――そうなんだ、と思っただけです」
倫之助は化物だ――。
恐ろしいことに、一彦もそう思ってしまっていた。