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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十三夜の月
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 主のいない狗など、あってはならないことだ。

 倫之助は眠ってしまった。

 深い眠りに。

 もう目覚めないかもしれない、という恐ろしい自覚があった。

 風彼此が折れるまでに戦い続けた結果どうなるか、それは火を見るよりも明らかだ。

 精神は硝子にヒビが入ったように危うくなり、廃人に近い状態になるか、衰弱死するかのどちらかだ。


「坊ちゃん。あなたはまだ生きなければ。生きて、意味を探さなければいけないのでしょう。あなたはそう言った。それこそが、生きる意味だと……」


 半蔵の黒い髪の毛が揺れるのを見つめた人物は、半蔵自身と、もう一人いた。

 倫之助の父親、半蔵の「主」――峰次だった。


「旦那様……」

「倫之助の様子を見に来たのだが、眠ったようだな」

「はい。つい先ほど。何か、御用でも」

「お前は、倫之助の事しか考えていないのだな」


 しわのある顔がかすかに揺らぐ。

 あまり見たことのない、わずかな笑みだった。


「この方は、俺の……たった一人の坊ちゃんですから」

「主人は私の筈だったが、それでいい。お前のような従順な存在が必要なのだから。私の部下は多いが、倫之助にはあまりにも誰もいなかった。孤独は風彼此を鈍らせる」

「承知しております。旦那様」

「そうか。ならばいい」


 孤独。

 ――その孤独を最初に与えたのは峰次だ。

 だが、気づいていないのだろう。当の本人は。だが、当たり前なのかもしれない。血のつながらない息子を息子として見るのは。

 それを峰次の前で言えるほど、半蔵は劣ってはいなかった。


「心配せずとも、倫之助は明日の朝にでも起きる。ここはそういう場所だ。班長の波動が届く場所なのだからな」

「波動……。風彼此の能力、ですか。あの、いつ気狂いしてもおかしくなさそうな風彼此の」

「そうだ。それを使いこなすことができるのは、班長しかいないだろう。一見優男風だが頭の切れる、恐ろしいほどの力を持った男だよ」


 そう言い、峰次は背をむけて最後にこう呟いた。


「倫之助は化物だ。だが、ヒトを貶めることはしないだろう。糸巻ういのようにはならない筈だ。倫之助が……人間に絶望しなければな」


 人間に絶望するのは簡単だ。

 闇ばかりをみればいいのだから。

 そのために、光が必要だ。闇を照らす光が。


 遠くなっていく気配。

 そして、再び静寂がおとずれた。

 自室に戻らなければ、と思う。

 ただ、

 ただ、ひとつ。

 一回だけ。

 

 倫之助に近づき背中を丸め、一回だけキスをした。

 ゆっくりと、丁寧に。

 かすかな呼吸音が聞こえる。生きているのだ、と思う。


 体を起こし、病室を後にした。





「よう。半蔵」


 自室の前には造龍寺が立っていた。相変わらず、くたびれたスーツを着ている。

 そう思う半蔵も、いつもと同じ藍染めの作務衣なのだが。


「倫之助、目が覚めたって?」

「ああ……。もう知っているのか。だが、また眠ってしまった。旦那様は明日の朝にでも目覚めると仰っていたが……」

「なら信じればいい。俺としても相棒(バディ)が眠ったままじゃ、どうにもな」


 造龍寺は思い出したように胸ポケットをまさぐったが、煙草が入っていないことに気づくと舌打ちをした。


「ああ、そういや切らしてたっけか……。半蔵……は煙草吸わないんだったな」

「吸わないに決まっているだろう。あんな臭いもの」

「まあなあ。鈴衛にもやめろって言われているし、この際禁煙でもするか」


 独りごとを呟いた造龍寺は、うなじを掻いてから天井を見上げた。

 どこか疲れているような顔をしている。


「疲れているみたいだな」

「そりゃ疲れるだろ。糸巻ういの部下だった存在が、周りにとってどう扱ったらいいか分からねぇみたいだし。猪鹿蝶班も戦々恐々だ」

「そうか」

「半蔵も疲れてる顔してるが……倫之助も目が覚めたっていうし、少しは安心して眠れるんじゃねぇか」

「そうだな」

「今度、またメシでも行こうぜ。鈴衛も誘って」

「ああ。そうだな」


 そこで話は終わり、とでもいうかのように半蔵は自室の扉を開け、まだ目新しい部屋の中を見渡した。

 すこし疲れたようだ。

 造龍寺が言った通り、安心した瞬間に今までの疲れが出てしまったのかもしれない。


 今は風呂に入るのでさえ億劫だ。

 ふらふらとする足を叱咤して、ベッドの上に乗りこむ。


「……坊ちゃん。あなたは……」


 化物と呼ばれて、どんな思いでいるのだろう。

 実の父親ではないとはいえ、たとえ――人間ではないとはいえ、半蔵にとってはたった一人の存在だ。

 彼を守るとは決して言えない。

 ただ――支える存在でありたい。


 そうあれたならいい。




 月が出ている。

 丸い月だ。満月かもしれない。


「坊ちゃん。月というのは、様々な名前があるんですよ」

「ふうん。いいね、そういうの」


 何年前だろうか。

 ふたりで月見をしたことがあった。たった一回の事だったが。


「なぜですか?」

「いろいろな名前があるっていうことは、いろんな存在になれるってことだろ? 人間は、自分にしかなれないからそういうのって、いい」


 彼の黄金色の目は、月と似ていた。

 様々な姿に変貌しても、存在はひとつだ。それを知っていて、倫之助はそう言ったのだろう。

 だから羨望の目をしていたのだろうか。

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