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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十日夜の月
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 病室に戻ったころ、外はすでに暗くなっていた。

 陽が落ちるのが早くなったものだ。


 ベッドの上に座ると、どっと疲れが出てきた。

 猪鹿蝶班は、それぞれ五光班の傘下に入る。それは、決して悪い事ばかりでもないし、良い事ばかりでもない。

 自由に動けないというのもあるし、安全な場所にいられるということもある。


 蘇芳エーリク。

 彼が持つ空気は、どこか異質なものだった。

 風彼此がそう(・・)なのだろうけれど、本人はよくあれで正気を保っていられるものだ、と感心する。


「坊ちゃん。戻られたんですね」


 扉を開けっ放しにしておいたからか、半蔵が声をかけるまでそこにいたことに気づかなかった。


「ああ……うん」

「何かご不満なことでも? あの五光班の班長……蘇芳さんに何か言われたとか」

「別に、当たり前のことを言われただけだよ。これまで通り、陰鬼を殺し続けろ、って」

「そうですか。なら、いいんですけど」


 カーテンを引いた病室は、電気がついているがどこかほの暗く感じる。それは、夜だと認識しているからだろう。

 

「これからどうなっちゃんですかねぇ。あのビル、もう建て直しとかしないでしょうし」

「金がかかるからな。まあ、別にいいんじゃないか。どこにいたって陰鬼はいる」

「それは……まあ、そうですけど。俺にとってもう一つの家みたいなものでしたし」

「……そうか。悪いことを言った」


 半蔵はおそらく、あの機関ビルにいたのが長かったのだろう。

 服部家にいるよりも、ずっと。


「そういえばおまえ、服部の家に帰らなくていいのか。たまにはご当主に顔くらいみせてやったらどうだ」

「えぇ……。どうしてそんなこと言うんですか。父は孫の世話に必死ですよ。俺が帰ったところで邪魔者扱いです」

保永(やすなが)さん、子供がいたのか」

「まだ小さいですけどね。1歳にも満たないんじゃないでしょうか」

「それは大変だな」


 ベッドの上に乗り込み、背中を丸めて座る。

 服部半蔵保永。

 服部半蔵正成の兄にあたる人物だ。

 服部家の当主は、すでに現役を退いている。そのため、保永の名は半蔵正成の兄へと継いだと聞く。

 それもつい最近のことで、風彼此使いとして目覚めなかった彼の周りは保永の名を継ぐべきではない、という声も上がっていたが、五光班の一般班員としてのぼりつめた為、認めざるを得なかったのだろう。

 周りはしぶしぶ了解したらしい。


「それに、兄は俺に会いたくないみたいですしね」

「ここにいたら、強制的に会うことになるだろうな」

「ああ、そういえばそうですね。向こうが会いたくないだけですし、会わない努力は向こうがしてくれるでしょう」


 弟――半蔵正成に風彼此使いとして目覚めたことは、兄にとって面目丸つぶれだっただろう。

 だからこそ、保永はさけているのかもしれない。


「あ、坊ちゃん。そろそろ夕食の時間ですが召し上がりましたか?」

「まだだけど。そんなに腹減ってないし、別にいいよ」

「駄目ですよ。一か月も眠っていらしたんですから。すこしは何か召し上がらないと!」


 そう言って、半蔵は部屋から飛び出していった。

 騒々しい男だ。

 ベッドの上に寝転がり、ぼうっと天井を見上げる。

 金色のエンブレムがいやらしく明かりに反射して輝いていた。

 倫之助にとって、そのエンブレムがどういう意味なのか、関係がなかった。どうでもよかった。

 ただ、まだ生きているということに対して安堵している。

 「まだ死ねない。」それは倫之助にとっての本心だったからだ。

 まだ死んではならない。意味を見つけるまでは。あの女――倫之助の欠けた人格が何を言おうと、それだけが倫之助が倫之助である所以だ。

 どんなに無様に足掻いても、這いつくばっても生きねばならない。

 そういう意味では、倫之助に矜持などないのかもしれなかった。


 体が疲れている。

 一か月も眠っていたなど信じられなかった。

 だがかすかな肌寒さは、たしかに季節が通り過ぎていると信じなければならないだろう。


「眠い……」


 独りごとを呟いたあと、倫之助は再び深い眠りについた。




「坊ちゃん。お持ちしまし……あれ」


 彼は眠っていた。

 毛布もかけずに。

 手に持ったトレイを持ったまま、近づく。

 眼鏡をかけたままだ。これでは眠りづらいだろう。

 トレイを机に置いて、眼鏡を取ろうと手を伸ばす。それは呆気なくとれたが、彼の頬の冷たさに半蔵は知らず知らず眉をよせた。

 この部屋は特別寒すぎるわけではない。

 けれど、とても冷たかった。彼はこんなにも冷たい体温の持ち主だっただろうか。

 かすかな不安感。

 起こさぬよう、うねる黒い髪の毛の中に手を差し入れ、そっと梳く。

 それは絡まっていてうまく梳くことはできない。

 そのまま手を引く。

 

 眠ったままの顔をひと月も見続けていた。

 この一か月間、生きた心地がしていなかった。むしろ生きているのかいないのか分からないほどだった。

 倫之助が、半蔵の魂を引いてしまったかのようだった。

 それでも、それが本望だ。


「あなたがもしも本物の化物となっても、俺が殺してさしあげます。そして、そのあとは……」


 自死するだろう。

 風彼此使いが自ら死ぬことは多い。

 だから風彼此使いの歴史に埋もれて、名さえ忘れられてあとかたもなく消える。

 それでいい。

 服部家など、どうでもいい。

 潰えてしまったとて。


「約束です。坊ちゃん」


 そして、彼は笑んだ。

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