6
短い髪の毛は黒く、目は赤い。
どこか、底知れぬものを持っているように思える。
三つ揃えのスーツを着た男は、静かに微笑んで倫之助を見据えた。
「初めましてかな。沢瀉倫之助くん。僕は蘇芳エーリク。よろしくね」
「はあ……」
まぬけな声に、エーリクはくすくすと楽しそうに笑った。
「よろしく、とはどういうことでしょう。俺は五光班の方々のように強くもないし、偉いわけでもありません」
「はは。面白いことを言うね。倫之助くん。五光班は偉い人だけがいるわけでも、強い人だけがいるわけでもないよ」
彼は倫之助の黄金色の目をじっと見据えたまま、一歩、距離を縮めた。
倫之助は未だぼうっとしたまま、赤い目を見つめ返す。
「五光班は、なんていうのかな。誰よりもバランスがとれている人たちが入る班だ。強さだけを、偉さだけを追及してもバランスが崩れ、いずれは駄目になる」
「駄目、とは?」
「人間として、とだけ言っておこうか」
「随分、曖昧ですね」
「人間の存在自体、曖昧なものさ。その曖昧さは、バランスを崩すこともある」
エーリクの赤い目がきゅうっと細められる。
倫之助はその目を見据えたまま、言葉の続きを待った。
「まあ、芯が通ってる人間が集まっている、と思えばいいよ。けれど、きみは……どこか違うみたいだね」
「特別枠ってことですか」
「そうだね。その通りだ。きみの芯というものは、他の人間よりもかなり――揺らいでいて、不確かなものだ。だからこそ、可能性を感じる。ああそうだ。まだ病み上がりだったね。ソファに座ってくれ。すこし、きみに話しておかなくてはいけないことがある」
木でできたローテーブルの両脇に、黒いソファがある。
未だ体がうまく動かないから、正直助かった。
エーリクが座るのを待ってから座ると、彼はにこりと微笑んだ。
「その話したい事というのはね。きみの義理の父上、峰次君から聞いたよ。きみの血が、陰鬼にとって脅威になるということを」
「……血という血を抜き取って、陰鬼に浴びせますか」
「それは人道に反する。もっとも、そうしろという声はあるけれどね。でも僕は、あえてきみに助力を賜りたい」
「五光班の班長ともあろう人が、俺に何をしろというんです」
「きみは利口な子だね」
足を組み、彼は笑ったまま満足そうにうなずく。
こう見るとどこかの若社長のようないで立ちだ。
「きみのことを知ることは、陰鬼の歴史を知る道しるべだ。きみは、100年前の風彼此使いを知っているかい」
「聞いたことがあります」
「そうか。ならば話は早い。僕は、その風彼此使いはきみなのではないかと考えている」
「100年前の記憶なんてありませんが」
沢瀉家にあった文献を見たなかで、倫之助と同じ風彼此の能力を持つ風彼此使いがいると見たことがある。
そして、学校でもそれを習った。
その風彼此使いは「英雄として」、そして「風彼此使いの始祖として」100年もの間、語り継がれてきている。
風彼此使いの歴史はそれほど古くない。
無論、100年前以前も陰鬼と呼ばれるものは存在したが、それを「陰鬼」と確定したのが100年前であった。
そしてそれを滅ぼす力を持つものを風彼此使いと呼ぶようにしたのも、どちらも政府だった。
それ以前は、歴史の裏で、ひそやかに陰鬼を葬ってきたが、それも限界を迎えたのだろう。
「陰鬼」を「陰鬼」として確定することで、一般人にとって意味の分からないその存在を認識させ、ある一定の安心感を与えるのが目的だったのかもしれない。
「それはそうだろうさ。この世に生きとし生けるもの全ては死を迎える。そして時間は有限。100年の時を生きたとしても、その存在はすでに衰えているはずだからね」
「その存在をあなたは何故認識できるんです」
「人間は脈々と歴史を紡いできた。それは無駄ではない、ということだよ」
余裕のある笑みを浮かべ、エーリクは足を組みなおした。
「では、結論を言おう。きみはこれから五光班直属の部下――蝶班として、陰鬼の生態を調査してほしい。きみという種を、僕はおおいに期待しているよ。そして、きみは僕たち人類の未来を照らす光明になるだろう」
「光明ですか。あまり、俺に期待されても困りますけどね。俺は陰鬼を殺すすべしか知らない」
「それでいい。陰鬼を殺し尽くしたあとは、僕たちの仕事だ。だが、きみはそれだけではないことを知ることになる筈だろうね。きみという魂は、きみが思っている以上に複雑に絡み合っている。そう、ウロボロスのように、そして大蛇のように」
大蛇。
倫之助が背負う、大蛇の名。
緋色の髪をした、倫之助と似た顔をした彼女。
それはあるいは――。
「さて、ずいぶん長話をしていてしまったね。これで話は終わりだ。それにしても――きみの身体はずいぶんと頑丈にできているようだ。普通、一か月も眠っていれば起き上がることすらままならないのだけれどね」
「まあ……化物、なんて言われていますから。一か月くらい、どうということもないのでは」
自嘲したわけでも、自らを蔑んでいるわけでもなく、彼は言った。
自らを、化物だと。
自覚していただけなのだ。
魂に大蛇を飼っている人間が、人間であっていいはずがないのだ、と。