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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十日夜の月
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「よくもまあ、あそこまで無理をしたものだね。私がいなかったら、キミは死んでいたよ」


 赤い髪の女が――倫之助の欠けた人格が笑う。

 彼は、「そこ」にはいない。

 ただ、意識だけが浮かんでいる。


虚空(アカシャ)は、キミにとって危険な風彼此だ。もちろん、千代の冠もだけど。どっちもあんまりおすすめできない能力だよね」


 岩の上に座る彼女は、楽しそうに足をぶらぶらと遊ばせている。

 千代の冠は、倫之助の心身に多大に影響するものだ。

 五感をすべて遮断することなど、人間には決してできないものなのだから。

 その分、倫之助の負担が大きくなる。

 それがたとえ、倫之助が人間でないとしても。


「それにしても、完全にヒト型の陰鬼がいるなんて、私も知らなかったよ。けどそれは、完璧に人類の敵だよね。勘違いされちゃ困るけど、別に人類のためじゃない。喰わなきゃキミが死にそうだったからだ。そしてキミの血液。驚いたかい。キミの血液は大蛇の毒液だ。陰鬼にとってのね」


 彼女は一気にまくしたてて、満足そうに、蛇のように笑った。

 倫之助の血液は大蛇の毒液。

 今まで語られなかった真実。


「じゃあね。もう時間だ」


 彼女は、始終楽しそうだった。

 まるで陰鬼を喰えてよかった、とでもいうかのように。




 ぼんやりとした意識のまま、倫之助の目が開く。

 初めに見えたのは、白い天井と、点滴の透明なパック。


「……あれ」


 最初の一言は、どこかまぬけなものだった。

 ここは病院ではない。

 見たことがあるものがあったからだ。

 それは壁に飾られてある、五光班のエンブレムだ。それがあるということは、五光班があるビルの中だということだろう。

 機関ビルと同じく、五光班が持っているビルの中にも、医務室はある。


 機械が動く音が振動として聞こえる。

 起き上がり、点滴を取り払う。その衝撃で血がぱっと散った。

 白い入院着を着ているようだが、ひどく落ち着かない。

 心電図を付けられているようで、動くと大きな音がした。そのチューブも取ると、心電図が大きな音をたてた。

 それと同時に、多数の足音が聞こえてくる。


「沢瀉さん!」


 看護師3人が、部屋に飛び込んできた。血相を変えて。

 だが、ベッドの上に座っている倫之助を見た瞬間、ほっとしたような表情をした。

 その中に、知っている顔があった。

 今や真っ二つになってしまったビルの医務室にいた、琴子という女性だ。


「よかった。目が覚めたのね」


 琴子は安堵したような表情をしたが、倫之助が無理やり外した点滴と、血の跡を見下ろすと眉を寄せた。


「外しちゃったのね。だめじゃない」

「あまり、いい思い出にならなかったので」

「……そうね。そうかもしれないわね」


 辛そうな目で彼女は頷いた。

 糸巻ういのことを知ったのだろう。


「気分はどう?」

「すこしぼうっとする程度です」

「そう。それくらいなら大丈夫ね。念のためにあとで血圧を測らせてもらうけど」

「分かりました。そういえば……半蔵はどうしていますか」


 言おうか言うまいか迷ったが、とうとう彼女に問うた。

 琴子は呆れたようにため息をついて、扉の向こう側を見る。


「そうですか」


 それだけで察した倫之助は、わずかにふらつく体を叱咤して、開けっ放しの扉から出た。

 誰も止めるものはいない。それほど、半蔵は騒いでいたのだろう。

 彼女たちには悪いことをした。


「半蔵」


 扉の向こう側に隠れていたらしい半蔵は、倫之助の顔を見ると大げさに顔を歪めた。


「坊ちゃん! よかった! ずっと目を覚まされなくてどうしようかと……」

「ずっと? どれくらい寝てたんだ、俺は」

「一か月程度ね」


 琴子が代わりに答え、倫之助はなるほど、と納得する。

 どうも体が動きづらいわけだ。


「風彼此使いが一か月も寝たきりで、目を覚ましたというのは奇跡に近いことよ」


 学校で聞いたことがある。

 風彼此使いは折れるまで風彼此を使い続けると昏睡状態に陥ることがあり、そこから復帰するのは非常に困難なことだと。

 

「倫之助」


 その場に、険しい声がリノリウムの空間に響く。

 峰次がそこにいた。


「お前に話がある。歩けるのなら、来い」

「だ、旦那様! 坊ちゃんはいま目を覚まされたばかりで……」

「いい。半蔵。すみません、血圧はまた後になってしまいますが」

「……わかったわ」


 五光班の次長に命令されては、お抱えの医師では彼の意に反することはできない。

 彼女たちはそれぞれの持ち場に戻り、静まり返った廊下に3人の男が口を結んでいる。


「こちらだ」


 峰次は視線だけで促し、倫之助と半蔵はそれに従った。

 長い廊下を抜けると、いつの間にか絨毯が敷かれた廊下に出る。倫之助は一度だけ、ここに踏み入れたことがある。

 峰次が、五光班の班員たちを紹介したときだっただろうか。

 それは倫之助がまだ10歳の時だったからか、記憶はおぼろげだ。


 峰次が立ち止まったのは、五光班の金のエンブレムが掲げられた、立派な扉の前だった。


「五光班班長がお呼びだ」

「班長が……」

「半蔵。お前はここで待機しろ」

「……はい」


 つぶやいた半蔵の言葉をさえぎるように、峰次は制した。

 倫之助がドアをノックすると、すぐに返事がきた。

 まだ、若い声だった。


「失礼します」


 扉を開け、締める。

 オーカーの絨毯の先。重厚な机と、椅子。

 その先に立っていたのは、にこやかな青年だった。

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