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彼に進呈された大蛇は、いつも、ずっと、すぐそこにいたのだ。
倫之助の体を蝕んでいた。
生まれた時――いや、存在が認識された時から、それはそこにあった。
誰から進呈されたのか、何のためにそこにいたのか、誰にも分からない。
倫之助自身でさえも。
ただ、「何か」か「誰か」から進呈されたのだと、それだけは自覚をしていた。
「う……っぐ」
倫之助が吐血する音が聞こえるが、そこにいるものがみな、動けなかった。
蛇に睨まれた蛙のように、名のとおり立ちすくんでいる。
白く黄金色の目の大蛇が、とぐろを巻いてじっとういを見据えていた。
そして、それは起こった。
黄金色の目をした蛇が、巨大な口をぽっかりと開き――ういの体にかぶりつく。
肉が千切れる音。
血をすする音。
それらがこだまする。
それは実体があるということだ。
大蛇はそこに存在して、ういを喰った。
これが真実だった。
「大蛇……」
かすれた声をあげたのは、造龍寺だった。
大蛇は赤い舌をちらちらと出しながら、首をひねって立ちつくす造龍寺らを見据えて――そして、こう言った。
「私はこの男の欠けた人格。勘ぐることはしないことだね。私は私を、そしてこの男はこの男を認識している。化物だと嘲るなら嘲ればいい。誰もそれを止める権利はない。ヒトの心は、うつろうものだ。そして、弱い。恐怖するものを恐怖するのは当たり前のことだからな」
黄金色の目を細め、彼女は言った。
声だけで判断するのは愚かしいが――おそらく「彼女」であろうその大蛇は、笑ったような気がした。
その間も、倫之助の体はまるでビデオが一時停止したように、ぴくりとも動かない。
そしてその大蛇は、黒い霧になり徐々に消えていった。
倫之助の手からは楊貴妃は消失しており、地面の上に倒れている。
「救護班! 倫之助を移送しろ!」
レシーバーで救護班を呼ぶ造龍寺を、遠くから見据えていたのは峰次だった。
男は目を険しく細め、やがて携帯を取り出して「輸送車をよこせ」と呟いた。
火はすでに鎮火されていたが、真っ二つに切断されたビルからは土煙がいまだ空気を汚している。
その瓦礫のすぐそばに、倫之助は倒れていた。
造龍寺は彼の隣でレシーバーを握りしめて見下ろしている。
「どうなってんだ、一体……」
「……う……」
仰向けに倒れたままの倫之助のうめき声に、はっと彼の顔を見下ろす。
死人のような真っ白な顔色になった倫之助の状態は、決していいとは言えないだろう。
逆に悪い状態だということは一目瞭然だ。
「兄さん、倫之助くん!」
救護班が到着したとき、造龍寺の妹――鈴衛が車から飛び出してきた。
彼女も異変をききつけてきたのだろう。
「兄さん、倫之助くんは大丈夫なの?」
「いいとは言えねぇな。だいぶ吐血している。あれじゃ、楊貴妃も握れないだろう」
ストレッチャーで運ばれていく倫之助を見届けて、ため息をつく。
そして、倫之助の父親である峰次を視線だけで探した。
彼はひとり、倒壊したビルを睨んでいる。
鈴衛をおいて、造龍寺は峰次のもとへ向かった。
「次長。これから我々猪鹿蝶班は、おそらく五光班の下につくでしょう。蝶班の班長がこんなことになってしまっては、五光班としても黙ってはいられないのでは?」
「そうだな。お前たちには、我々の傘下に入ってもらう。糸巻ういがこれほどの被害を出したとなれば、五光班の監視も必要となるだろう」
「倫之助……さんはどうするのですか」
「造龍寺。お前にはどう映る」
「どう映る……とは?」
峰次の表情は硬い。
おそらくだが、倫之助のことだろう。
あの大蛇は一体何なのか。
倫之助とどう関係があるのか。
倫之助の欠けた人格とは一体何なのか。
数え上げれば、きりがない。
だが、造龍寺にとっての倫之助は、相棒であり、自分よりも年下のすこし変わった少年だ。
それは、今も変わらないはず。
真実を知ってしまったら、それは変わるのだろうか。
そもそも真実とは、どこにあるのか。
「難しいですね。ですが、倫之助さんはあなたのご子息です。それ以上のことはないでしょう」
「子息、か……。造龍寺。お前の口の堅さを信用して言おう。倫之助は、沢瀉家の人間ではない。そもそも……俺の子ではない」
「……そうですか。このことは他言はしません。自分の百花王に誓って」
「そうしてくれ。だが……俺は時折、不安になる。倫之助は、本当は人間ではないのではないか、と」
突飛な考えだ、とは言えなかった。
あの大蛇を見てしまっては。
そして倫之助から感じる、妙な気配。
ヒトは、ある一定の気というものがある。例えば「優しそう」だったり、「怖そう」だとか、そういったものだ。
しかし、倫之助からはそういったものはない。
逆に、陰鬼と似た気配を感じていた。
それが何なのか分からなかったが、大蛇と糸巻ういだったものを見たとき、決定的に感じた。
(倫之助が人間ではないとすれば、一体何者なんだ?)
思考の海におぼれそうになったとき、鈴衛の声が聞こえた。
「兄さん。そろそろ撤退しろって……。鹿班の班長が」
「そうか。分かった。では次長。俺たちはこれで失礼します」
「ああ」
峰次と数人の救護班、そして輸送車の中から出てきた、5人ほどの風彼此使いを残し、峰次のもとを去った。
「誰だっけあの人」
「あのな、お偉いさんの顔くらい覚えておけ。五光班の次長だ。倫之助の父親でもある」
「えっ! 倫之助くんのお父さんって、そんな偉い人だったの」
気楽そうな鈴衛に頭痛を覚えながら、鹿班の班長が乗っているであろう車に乗り込んだ。




