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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
十日夜の月
42/112

 彼に進呈された大蛇は、いつも、ずっと、すぐそこにいたのだ。

 倫之助の体を蝕んでいた。


 生まれた時――いや、存在が認識された時から、それはそこにあった。

 誰から進呈されたのか、何のためにそこにいたのか、誰にも分からない。

 倫之助自身でさえも。

 ただ、「何か」か「誰か」から進呈されたのだと、それだけは自覚をしていた。


「う……っぐ」


 倫之助が吐血する音が聞こえるが、そこにいるものがみな、動けなかった。

 蛇に睨まれた蛙のように、名のとおり立ちすくんでいる。

 白く黄金色の目の大蛇が、とぐろを巻いてじっとういを見据えていた。 


 

 そして、それは起こった。

 黄金色の目をした蛇が、巨大な口をぽっかりと開き――ういの体にかぶりつく。

 肉が千切れる音。

 血をすする音。

 それらがこだまする。


 それは実体がある(・・・・・)ということだ。

 大蛇はそこに存在して、ういを喰った。

 これが真実だった。



「大蛇……」


 かすれた声をあげたのは、造龍寺だった。


 大蛇は赤い舌をちらちらと出しながら、首をひねって立ちつくす造龍寺らを見据えて――そして、こう言った(・・)


「私はこの男の欠けた人格。勘ぐることはしないことだね。私は私を、そしてこの男はこの男を認識している。化物だと嘲るなら嘲ればいい。誰もそれを止める権利はない。ヒトの心は、うつろうものだ。そして、弱い。恐怖するものを恐怖するのは当たり前のことだからな」


 黄金色の目を細め、彼女は言った。

 声だけで判断するのは愚かしいが――おそらく「彼女」であろうその大蛇は、笑ったような気がした。

 その間も、倫之助の体はまるでビデオが一時停止したように、ぴくりとも動かない。


 そしてその大蛇は、黒い霧になり徐々に消えていった。

 倫之助の手からは楊貴妃は消失しており、地面の上に倒れている。


「救護班! 倫之助を移送しろ!」


 レシーバーで救護班を呼ぶ造龍寺を、遠くから見据えていたのは峰次だった。

 男は目を険しく細め、やがて携帯を取り出して「輸送車をよこせ」と呟いた。





 火はすでに鎮火されていたが、真っ二つに切断されたビルからは土煙がいまだ空気を汚している。

 その瓦礫のすぐそばに、倫之助は倒れていた。

 造龍寺は彼の隣でレシーバーを握りしめて見下ろしている。


「どうなってんだ、一体……」

「……う……」


 仰向けに倒れたままの倫之助のうめき声に、はっと彼の顔を見下ろす。

 死人のような真っ白な顔色になった倫之助の状態は、決していいとは言えないだろう。

 逆に悪い状態だということは一目瞭然だ。


「兄さん、倫之助くん!」


 救護班が到着したとき、造龍寺の妹――鈴衛が車から飛び出してきた。

 彼女も異変をききつけてきたのだろう。


「兄さん、倫之助くんは大丈夫なの?」

「いいとは言えねぇな。だいぶ吐血している。あれじゃ、楊貴妃も握れないだろう」


 ストレッチャーで運ばれていく倫之助を見届けて、ため息をつく。

 そして、倫之助の父親である峰次を視線だけで探した。

 彼はひとり、倒壊したビルを睨んでいる。

 鈴衛をおいて、造龍寺は峰次のもとへ向かった。


「次長。これから我々猪鹿蝶班は、おそらく五光班の下につくでしょう。蝶班の班長がこんなことになってしまっては、五光班としても黙ってはいられないのでは?」

「そうだな。お前たちには、我々の傘下に入ってもらう。糸巻ういがこれほどの被害を出したとなれば、五光班の監視も必要となるだろう」

「倫之助……さんはどうするのですか」

「造龍寺。お前にはどう映る」

「どう映る……とは?」


 峰次の表情は硬い。

 おそらくだが、倫之助のことだろう。

 

 あの大蛇は一体何なのか。

 倫之助とどう関係があるのか。

 倫之助の欠けた人格とは一体何なのか。


 数え上げれば、きりがない。

 だが、造龍寺にとっての倫之助は、相棒(バディ)であり、自分よりも年下のすこし変わった少年だ。

 それは、今も変わらないはず。

 真実を知ってしまったら、それは変わるのだろうか。

 そもそも真実とは、どこにあるのか。


「難しいですね。ですが、倫之助さんはあなたのご子息です。それ以上のことはないでしょう」

「子息、か……。造龍寺。お前の口の堅さを信用して言おう。倫之助は、沢瀉家の人間ではない。そもそも……俺の子ではない」

「……そうですか。このことは他言はしません。自分の百花王に誓って」

「そうしてくれ。だが……俺は時折、不安になる。倫之助は、本当は人間ではないのではないか、と」


 突飛な考えだ、とは言えなかった。

 あの大蛇を見てしまっては。

 そして倫之助から感じる、妙な気配。

 ヒトは、ある一定の気というものがある。例えば「優しそう」だったり、「怖そう」だとか、そういったものだ。

 しかし、倫之助からはそういったものはない。

 逆に、陰鬼と似た気配を感じていた。

 それが何なのか分からなかったが、大蛇と糸巻ういだったものを見たとき、決定的に感じた。


 (倫之助が人間ではないとすれば、一体何者なんだ?)


 思考の海におぼれそうになったとき、鈴衛の声が聞こえた。


「兄さん。そろそろ撤退しろって……。鹿班の班長が」

「そうか。分かった。では次長。俺たちはこれで失礼します」

「ああ」


 峰次と数人の救護班、そして輸送車の中から出てきた、5人ほどの風彼此使いを残し、峰次のもとを去った。

 

「誰だっけあの人」

「あのな、お偉いさんの顔くらい覚えておけ。五光班の次長だ。倫之助の父親でもある」

「えっ! 倫之助くんのお父さんって、そんな偉い人だったの」


 気楽そうな鈴衛に頭痛を覚えながら、鹿班の班長が乗っているであろう車に乗り込んだ。

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