10
「よお、半蔵、目が覚めたって?」
「はい。昨日の夜」
朝食を食べている最中、造龍寺が眠そうに倫之助の隣に座った。
「煙草、いいか?」
「どうぞ」
本当は食堂は禁煙なのだが、誰もいないからいいだろう、という造龍寺の勝手な判断だった。
倫之助は煙草の煙が大嫌いというわけではないから、承諾したのだが、造龍寺は意外そうな顔をした。
「なんです?」
「いや」
倫之助の食事はもうじき終わる。
ライターに火がともる音が聞こえた。倫之助の視界に、灰色の煙が漂う。
「倫之助。おまえさ」
「はい」
最後にほうれん草のおひたしを食べてから、箸をおいた。
「半蔵と、どういう関係?」
「どういう、とは」
「あいつ、坊ちゃん坊ちゃんうるせぇからよ」
「ああ……確かに。別に、どんな関係とか、そういう型にはまっているようなものではありませんよ。半蔵はそもそも、坊ちゃんって言ってますけど――実際は俺の父に仕えているんですから」
「そうなのか? てっきり、おまえの手下かと思ってた」
「手下って……。そんなんじゃありません」
型にはまることが大事だというわけではないだろう。
もっとも、そう思わない人間もいるのだろうけれど。
携帯灰皿に煙草を押し付けると、造龍寺は次の煙草に火をつけようとした――が、気が変わったのか煙草を箱に入れ、よれよれのシャツの胸ポケットにしまい込んだ。
「でもよ、半蔵がおまえを見ている目、なんか違うんだよなぁ」
「違う? どういう意味ですか」
「なんつーか、好きっていうより、崇拝しているみたいな感じだな」
「……そうかもしれませんね。そもそも半蔵は、俺を好きにならない。妄信的ですから。あの男は」
「妄信的……そういうのって、怖ぇよな」
「そうでしょうね。俺が死ねと言えば、半蔵はおそらく死ぬでしょうし。半蔵は……馬鹿な男ですよ」
吐き捨てるように呟く。
ほんとうに馬鹿だ。
そして、不幸な男だ。
倫之助は服部の家のことを詳しくは知らない。
知ろうとも思わない。
そのせいで、半蔵を傷つけているとしても。
「縛っているのは俺のほうかもしれませんね」
「おまえは半蔵に何を望んでいるんだ?」
「何も望んではいませんよ。俺は何も望まない。望んだら望んだ分だけしっぺ返しがきますから」
「まあ、それが世の常ってやつだからなぁ」
「そうですね」
倫之助は立ち上がり、お盆をもって造龍寺のもとから去った。
残された造龍寺は、煙草をふかし始める。彼は――倫之助は、「相棒」と呼ぶには遠すぎた。
「遠いねえ……」
ぼそりと呟いた言葉は、誰にも知られずに消えていった。
倫之助が再び雛田馨に会ったのは、自転車で半蔵がいる病院に行く途中だった。
先に彼女を見つけたのは倫之助だったが別に用もないし、と思い無視しようとしたとき、呼び止められたのだ。
「沢瀉くん、ちょっと待ってよ」
「……なに?」
一応自転車のブレーキを握って、馨を見下ろした。
学校は、と思ったがそういえばあんな状況だった、と思い出す。
「なに無視してるのよ?」
「別に無視なんてしていないけど。何か用?」
「あの人は? 一緒じゃないの」
「あの人?」
「服部さんよ」
ああ、と倫之助は頷いて「病院に入院している」と正直に話した。
すると、彼女は顔を青ざめさせて口に手を当てた。
「え……。どうして!? どこか悪いの!?」
「どうしてって。怪我しただけだけど」
「怪我!? ……どうして!」
「……雛田さん。忘れてない? 半蔵だって風彼此使いだってこと。風彼此使いは怪我なんかに怯えていては務まらないって授業で習わなかった?」
「う、うるさいわね! 服部さんと違って、あなたはいつも……」
的確なことばかり言う。
そう彼女は言いたいのだろう。
だが、倫之助はそれ以外のすべを持たない。
「……じゃあ俺、行くから」
「……なんで」
黒く、きれいな髪が風にゆらりと揺れる。右のこめかみ辺りで結んでいるリボンも、ふっと揺れた。
「なんで……あんたはいつもいつも……何でも知っているふりして……人を見下して……」
ぶつぶつと、倫之助に対する不満を呟いている。
否――不満ではない。
敵意。憎しみ。
そういったものだ。
「化物め」
あんたなんて死ねばいいのに。
自転車で病院に着く頃には、すでに昼もまわっていた。
病院のエントランスを抜け、そのまま半蔵の病室に向かう。
(化物、ね……。)
階段をのぼりながら、ぼんやりと思う。
別に化物だろうが何だろうがいい。
他人にとっての倫之助が、そういう存在だということだけで彼が彼を思っているものとは全く違う。
(おかしなものだな。人間って。)
自分で思っている自分と、他人が思っている自分とは全く違う。
「あ、坊ちゃん! 来てくださったんですね!」
「ああ、うん。約束だったからな……」
半蔵は嬉しそうに上半身を起こした。
「いいから寝てろよ。まだ痛むんだろ」
「すこし痛む程度です。……それよりどうかされたんですか?」
「別に、どうもしないよ。雛田さんに会っただけ」
この男は、どうにも聡い。
昨晩と同じように、パイプ椅子に座った。
半蔵はかすかに眉をひそめて「誰でしたっけ」などとほざいた。
もっとも、倫之助も人のことを言えないが。
「この前、カラオケ行っただろ。その時の女の子だよ」
「あ、ああ……。よく覚えていないですけど……」
「だろうな。どうでもいいことを話しただけ」
「そうですか……。あ、坊ちゃん、おなかすいていませんか? ここの病院、カフェが併設されているみたいで」
「おまえ、動いていいのか?」
「はい。激しい運動をしなければ動いてもいいそうです。行きましょう。ぜひ」
これは半蔵が行きたいだけなのでは、と思ったが、倫之助もちょうど喉が渇いていたので承諾した。