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倫之助の姿かたちをした陰鬼は、赤い眼鏡までも模倣していた。
「どっちが倫之助くんか分からないったらもう!」
「違うじゃないですか! 全然!」
「私らには分からないよ!」
半蔵と水雪が言いあっている間にも、陰鬼は「一人」で5人の相手をしている。
これは驚くべきことだ。
陰鬼は、模倣した風彼此だけでこちらと対峙しているのだから。
甲高い、ぎん、という音が周辺に響く。
「目のわずかな色とか! 手のしなやかさとか!」
「……半蔵。気持ち悪いこと言ってないで手を動かせ」
「うわっ、うわぁ……。倫之助くんのこと、よぉく見てんだねぇ……」
若干引き気味の倫之助と水雪の言葉を無視して、陰鬼を不愉快そうに見据えている半蔵は、やはりどこかおかしい。
今の言葉でおかしくないと言えるのは、聖人君子くらいだろう。
だが、陰鬼の動きは速い。
まるで倫之助の動きをそのまま真似たように。
それがますます半蔵を苛立たせた。
陰鬼の軍刀が、造龍寺の喉元を穿とうと大きく突く。造龍寺はそれを腰を曲げ、避けた。かすかな隙ができたところに百花王の刃が、倫之助の腹をかすかに裂く。そこから、黒い霧状のものがじわりと滲んだ。
それは空気中に広がり、やがてさらさらと音をたてて消えていく。
「……」
陰鬼は、そのくちびるから黒い煙を吐き出した。
冬に吐き出される蒸気のように。
「なにこいつ……。なんか不気味ね……」
水雪がつぶやいた直後、彼女の言葉に反応するように、陰鬼が地を蹴った。
息をのむ程の速度。
だが、彼女とて蝶班の人間だ。それくらいの速さで目がくらむことはない。
手に握りしめられた日本刀――通称「鈴梓」を目の高さにまで上げ、迎え撃つ。
軍刀の切っ先が水雪の利き手を切り裂こうと斜めに構えた。
その瞬間を彼女は見抜き、くるりと左に回り込み、陰鬼の後ろを取る。
「ふ……っ」
彼女のかすかな呼気。
ずっ、という、砂をひっかけるような音をたてて陰鬼は前にのめりこんだ。
その隙を鵠が右腕を、風彼此を模した軍刀ごと切り裂く。
どっと、右腕が落ちる。
それもやがて黒い霧状になって空気中に消え去った。
右腕が肩ごとなくなった陰鬼は、ぐらぐらと不気味に揺れ動いている。
「やっぱり、気味悪いわこいつ」
鈴梓についてもいない穢れを払うように、血払いをした。
「……クイーンじゃなくてよかったよ、全く」
ぼそりと呟いた造龍寺が百花王を再び握りしめる。
「……」
じっと、赤い縁の眼鏡の奥にある黄金色の瞳が半蔵を見据えていた。
まるで何かを待っているかのように。
「……坊ちゃん……?」
ふらり、と半蔵の足が陰鬼のほうへ向かう。
時折、幻覚を見せる陰鬼が出現する。
しかし、この陰鬼はクイーンではないからか、それほど強い幻覚を見せることはできないようだが――。
黄金色の瞳が鈍く、くすんだ色へと変化する。
「半蔵!!」
倫之助が叫ぶが、それさえ気づいていないのか半蔵は陰鬼の方へと吸い寄せられるように足を進めた。
ちっ、と舌打ちをしたのは誰でもない、倫之助自身だ。
半蔵の肩をつかむ。
ぎし、と骨がきしむ音が倫之助の手のひらにダイレクトに伝わった。
だが半蔵はそれでも止まらない。
「っ」
手を思い切り振り払われ、かすかに呆然とする。
(半蔵に、拒絶された。)
「――がっ」
半蔵の、肩口。
そこから、血しぶきが上がる。
呼吸が止まったような音。
おびただしい量の血が地面に落ちていく。
「くそ……っ! 半蔵!」
「……」
造龍寺が唸ると同時に倫之助が地を蹴った。膝を折った半蔵を通り過ぎ、――自分のうつろな目を自覚しながらも――そのすりガラスのような陰鬼の目を憎しみの目でにらみつけ、楊貴妃で首を――刎ねた。
コンクリートに首が落ちる、リアルな音。
ごろごろと転がり、倫之助の足元に止まった。
「……倫之助?」
胴体だけになった陰鬼は、やがて倒れ――そのまま空気中に消えることなくそこにとどまっている。
倫之助は呆然と立ち尽くしていた。
ぼうっと、その自ら刎ねた首を見下ろしている。
半蔵にも見向きもしない。
「鵠。救急車! 水雪は処理班に連絡を」
「は、はい!!」
倫之助の様子がおかしい。
今はそれよりも規制解除に向けて動かなければいけない。
陰鬼は完全に死んだ。
おそらく、あの被害者は人間に化けた陰鬼をヒトと勘違いをして油断をしてしまったのだろう。
何故なら、被害者は紫剣総合学園の生徒だったからだ。
ヒト型に化ける陰鬼は、そういない。
授業で習っただけで、実践の機会が少ない生徒にとってはそれが陰鬼だと判断できる材料も少なかったのだろう。
やがて、サイレンを鳴らしながら救急車が到着した。
「倫之助」
「はい」
その時にはもう、いつものぼうっとしている顔の倫之助がいた。
造龍寺は首の後ろを掻いて「半蔵のお守をしてろ」と言い放った。
「……わかりました」
救急車に乗り込む姿は、やはりどこか――おかしかった。
造龍寺はそれが気になったが、今は処理班を待つしかない。
(半蔵に。)
――拒絶された。
振り払われたその手をぼんやりと見下ろす。
(どうして、こんなに気分が沈むのだろう。)
黄金色の瞳は、あの陰鬼のようにくすんで見えた。




