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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
上弦の月
28/112

 それは快楽、といっても過言ではない。

 喉が知らず知らず鳴る。


(超えてはならない。)


 耳元で囁かれたような、違和感。

 はっと顔を上げる。

 今、何を考えていたのだろう。


「……え?」


 そこ(・・)に、赤い髪の女が立っていた。

 半蔵の後ろ。

 緋色の振袖を身にまとった女は、倫之助と同じような顔をしていた。


「お前は……」

「――私は私。名もない、ただの亡霊。どこにでもいて、どこにもいない。ただの――意識の塊」

「意識……坊ちゃんの意識か?」

「そう。倫之助の意識に芽生えた、もう一つの倫之助。それが私」


 半蔵は、倫之助を守るようにベッドの前に立った。

 その意図をくみ取った彼女は、ふっと微笑む。


「何も、取って食おうとなんてしない。倫之助がいなくなったら私も消滅するのだから。まあ、消滅しようがしまいが私にとってはどうでもいい。今日はただ、忠告をしに来ただけ」

「……忠告?」

「あまり、倫之助に固執しない方がいい。痛い目を見たくなかったらね」


 黄金色の瞳がすうっと細められる。

 彼女――いや、倫之助の意識は、半蔵を否定しているのだろうか。

 そうではない。

 すぐに思い返す。

 痛い目を見たって、構わないのだ。

 たとえ、どんなことがあっても、半蔵は彼の傍にいると決めているのだから。

 倫之助が否定しても拒絶しても、それは変わらない。


「キミだって、うすうす気づいているんじゃない? 倫之助が、人間じゃないんじゃないかってことくらい」

「……それは」


 人間ではない。

 突飛なことだと笑える程、倫之助のことを知らないわけではない。

 風彼此使いとしては優秀だと周りから思われているだろう。

 だが人間性として、どこかに欠陥がある。

 パズルのピースが、ひとつだけ欠けてしまっているかのように。

 それはおそらく、探しても探してもどこにもない。この世のどこにも。


 それでも、それだけで人間ではない、と言い切れることはできない。

 彼から発せられる「恐怖」は、陰鬼を目の前にした時と同じだったのだ。

 純粋な、一滴の不純物のない恐怖。何かを取られるかもしれないとか、殺されるかもしれないとか、そういったものではない。

 言葉では言い表せない程、澄み切った恐怖がある。

 それが――糸巻ういの言った、完全ヒト型とおなじ「波動」というものなのだろう。



「人間ではなくても、俺はこの方のお傍にいる。それこそが、俺自身の意味だ」

「意味ね……。ヒトは、意味なんてなくても生きていける。すべては――虚無。虚無が世界を支配している。誰もがうつろを抱え、誰もが満ち足りていないのは、その証拠」

「意味があってはいけないのか。人間が意味を探すことなど、無意味だというのか?」

「そうだ」


 彼女はきっぱりと発言した。

 黄金色の目は、哀れなものを見るような色をしている。


「意味を求めてはいけない。知れば知る程……求めれば求める程、人間は絶望する。失望する。真理に手を出してはならない。倫之助のようになりたくないならね」

「どういう……ことだ」

「――半蔵……?」


 まるで水をかけられたような衝撃が走る。

 ベッドがある真後ろを見ると、倫之助が起き上がろうとしていた。


「坊ちゃん!」


 背中を腕で支えて起き上がらせたときには、既に赤い髪の女はどこにもいなかった。

 存在が掻き消えてしまったように、完璧にいなくなっている。


「誰かと話していたか」

「いいえ」

「そうか。……そういえば……ここは」


 不思議そうに、原色でまとめられた部屋をきょろきょろと見まわした。


「え……っ! ええっと……こ、これは……その」

「随分と派手な場所だな」


 倫之助はここがいわゆる「ラブホテル」ということを知らないのだろう。

 そこまで視野が広くなかったのが、幸いした。


「……お加減はいかがですか?」

「だいぶいいよ。ここまで運んでくれたのか。悪かったな」

「いいえ。こう見えて力はありますから。ですが、まだお顔の色が優れません。もう少しお休みください。俺、コンビニ行ってスポーツドリンク買ってきます」

「いい。こういう原色ばっかりのところにいたら、余計具合が悪くなる。立てるし、タクシーを呼べば苦じゃない」


 ベッドから立ち上がるが、倫之助の体にはまだ力が入っていなかったのか足元がふらつく。

 思わず肩を抱いて、倒れるのを防いだ。


「だ、大丈夫ですか坊ちゃん。やっぱりまだ休んでいたほうが……」

「大丈夫だって。少しふらついただけだ。それより、タクシー呼んでくれ」

「……わかりました。すこし、お待ちください」





 ラブホテルを出てから数分でタクシーが来た。

 よほど心配なのか、倫之助の隣に半蔵が座る。


「どちらまで?」

「対陰鬼機関ビルまで」

「ああ、風彼此使いの方でしたか」


 風彼此使いを乗せたことが嬉しかったのか、運転手は機嫌がいいようだった。


「それにしても、毎日暑いですねえ。そろそろ暑さも収まってほしいですよ。本当に」


 倫之助の頭の中は、ほとんど朦朧としていた。

 半蔵には大丈夫だと言っていたが、意識がまるで引きずり出されるような感覚に陥っている。

 運転手と二人の会話さえ、頭に入ってこない。


 (暑い……。)


 背もたれに凭れたまま呻く。

 それでも、汗は出ない。異常なほどのおかしな暑さが、倫之助を蝕む。




 ――そして、再び倫之助は意識を失った。

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