12
半蔵は勿論、女子に囲まれて動きづらそうに座っている。
その様子をどこか面白くなさそうにして見ているのは無論、男子生徒だ。
男子生徒、女子生徒、そして半蔵と倫之助を合わて10人にはなるだろうか。
そんな大所帯でカラオケなど、倫之助は体験したことはない。
「何いれるー?」
女子生徒が甲高い声を出すが、視線は半蔵に注がれている。
半蔵の歌声を聴きたいのだろう。
「いえ、俺、歌うのはちょっと……」
ここにきて初めて半蔵は、動揺をあらわにした。半蔵が歌を歌った所は見たことがない。
聞いたこともないし、苦手なのだろう。倫之助の方も、言えた立場ではないけれど。
「ちょっと俺、トイレ行ってくる」
半蔵の歌をあきらめたのか、早々に女子たちがリモコンを握りしめた。
どうやら男子生徒には歌わせないらしい。
そして、女子生徒だけで盛り上がっている最中倫之助が部屋を出ても、生徒は誰も気にしない様子だった。
だが半蔵だけが気づき、そっとソファーから立ち上がって倫之助のあとを追った。
「坊ちゃん!」
無駄に広いカラオケ店をぶらぶら歩いていると、背後から倫之助を呼ぶ声が聞こえてきた。
「なんだよ。女の子に囲まれていればよかったのに」
「そうはいきません。それにいい加減、疲れ切っていたところです」
「……だろうな」
カラオケ店のエントランスにソファーが並べられていたので、そこに座る。
半蔵も当然のように倫之助の隣に座った。
「坊ちゃんもお疲れのようですね」
「まあね。カラオケなんて、行ったことがなかったし……あんな大音量の密室にいたら、おかしくなりそうだから」
「……このまま逃げちゃいましょうか」
「ううん、どうしようかな……」
それもいいかもしれない。
松羽には悪いとは思うが。
「沢瀉!」
そろそろ暇しようかと思っていた時、松羽の声が聞こえてきた。
おそらく、倫之助がいなくなったことに気づいてわざわざ探していたのだろう。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも。おまえ、いきなりいなくなったから」
「ああ……。俺、そろそろ帰ろうかと思っていたところだよ」
「帰る、って。まあ、帰りたいっていう気持ちもわかるけど。今はもう雛田のグループが仕切ってるよ。ええと……服部さん、でしたっけ」
「はい」
まるで営業スマイルのような顔だ。
倫之助はこめかみを無意識に抑えた。
だが松羽はそれに怯むこともなく、青い目を細める。
「俺が言うのもなんですけど……。沢瀉をよろしくお願いします。まあ、よろしくしなくても俺なんかより沢瀉の方が何倍も強いんですけどね」
「……御堂さん。あなたは一つ、勘違いをしていらっしゃるようですね。この方は努力して努力して……強くなった。元から強い人間なんて、この世にいないんですから。――では。参りましょう、坊ちゃん」
松羽は、かすかに笑ってから倫之助と半蔵を見送った。
「そりゃそうか……」
カラオケ店を出てすぐ、じめっとした空気が流れた。
もうじき夏が終わるというのにまだ暑さは続くようだ。
「はあ、やっぱり外は暑いですね。坊ちゃん」
「夏だからな……」
いきなりの暑気に中てられたのか、強烈な眩暈を覚える。たたらを踏んだせいで半蔵に思い切りぶつかってしまった。
交差点で信号が青になるのを待っていたおかげで、地面に体を打ち付ける事はなく、助かった。
無論半蔵は気づいて、倫之助よりも真っ青な顔になって肩をつかむ。
「ぼ、坊ちゃん! お顔が真っ青ですよ。ど、どこかで休みましょう!」
眩暈を覚えた本人よりも慌てた様子の半蔵が倫之助の肩を抱き寄せた。
信号が青になる。
大勢の人間たちが、二人を避けるように流れてきた。まるで川に石でも投げこまれたようだ。
朦朧とする頭を片手で抱えて、引きずられるようにどこかへと連れて行かれる。
この近くに休めるところを探したのだが、横になれる場所というとここしかなかった。
倫之助は、ほぼ意識がない。
歩いてはいるのだが、半蔵の支えがないと倒れてしまうだろう。
財布から5000円札を取り出し、入れる。
そしてエレベーターに乗ってから表示されていた部屋番号を探し出し、何とか部屋に入った。
目に痛む程の原色をした部屋のベッドに、そっと横たえる。
ぎし、とベッドが軋んだ。
倫之助の顔色は相変わらず青白く、半蔵を混乱させる。心をざわめかせる。
赤い眼鏡をそっと外し、ローテーブルに置いた。
そしてタオルを見つけ出して水に浸し、きつく絞る。
そのタオルを倫之助の額に乗せると、かすかなうめき声が聞こえた。
「……ぅ……っ」
黄金色の目が薄く開かれる。
だが、すぐに閉じてしまう。
「坊ちゃん、大丈夫ですか? 脱水症状を起こしているかもしれません。コンビニでスポーツドリンク、買ってきますから」
「――な」
かすかな声が半蔵の耳に触れた。
すこしかさついたくちびるから吐き出される言葉が、半蔵に届く。
「いくな……」
「――坊ちゃん」
ほとんど寝言のようなものだ。
だが、彼が。
自分の主が「行くな」というのならば、その通りにしよう――。
「はい。坊ちゃん。俺はここに」
身震いがするほどの歓喜を覚えた。
今まで、命令された事など数えるほどしかない。彼のために何かができるという事。それが何より嬉しいのだ。
ずっと、彼は一人きりだった。
紫剣総合学園に通っていても、親友と呼ぶことができる風彼此使いなど、どこにもいなかった。
家にいても、父親である峰次は五光班に入りびたり、滅多に家に帰ることはない。
それは今もそうだろう。
祖母の壬子も、倫之助を「家族」としてではなく「風彼此使い」としてしか見ていないのだろう。
それが、今の倫之助を形作っているのだ。
誰も傍にいないということがどれほど辛いことか。
半蔵も、身をもって知っている。
「坊ちゃん。俺は……」
投げ出された手に、そっと触れた。それでどうなる、と言うわけでもない。
自分の力で彼を助けることができるのなら、どんなことでもしよう。
そう思う事がたとえどんなに稚拙で、身勝手だとしても。
「俺は、あなたのお傍に。この命が終わるまで」
うっとりと呟く。
なぜこれ程まで、妄信的になったのかなど、どうでもよかった。
彼と風彼此を持って対峙したとき、本能的に理解したのだ。
自分が仕えるべき人が、この人なのだと。
この命が倫之助のために使われるならば、それ程幸福なことはない。
「……ん……」
胸が微かに上下している倫之助は、未だ苦しそうだ。
額の上にのせているタオルも、生ぬるくなってしまっている。タオルを取り、再び水で濡らそうと腰を上げた――が、それを拒むように倫之助の手が半蔵の服を掴んでいた。
ぞくり、とまるで愛撫されるような感覚が――半蔵を襲った。