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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
三日月
23/112

 手のひらの温度が、湿ってゆく。

 細かい呼吸の音。

 

 喉が潰れる音。

 骨が砕ける音。

 

 半蔵は、それを聞いた。

 誰の命よりも優先される命。

 自分の命よりも優先される命。


 その「ばけもの」が、半蔵の手によって消されようとしていた。

 黄金色の瞳が半蔵を見つめている。その瞳は光が消えていて、まるですり硝子のようにくすんでいた。


「ああ……坊ちゃん……」


 かすかな声が恍惚に歪んでいる。


 半蔵の白い指。

 砕けた骨のせいで、ぐにゃりと曲がっている首がそうっと、静かに離れた。

 半分に開いたくちびるが、徐々に青ざめてゆく。


 死んでいる――。




「うわあああっ!!」


 自分の悲鳴で、ベッドから思い切り起き上がった。

 そのおかげで、背筋がつるような痛みを覚える。


 肩で息をして、震える自分の手を見下ろした。そこには「夢」とは見紛うほどの、生々しいあたたかさがある。


「ぅう……」


 今、半蔵はひどく混乱していた。

 本当に夢なのか?

 現実だったら――。

 あれが本物の「沢瀉(オモダカ)倫之助」だったら――。

 

 自らの命を投げ打ってでも守りたかった命が己の手で、消えた。

 それがどれほどの恐怖か、半蔵は今初めて知った。

 哀しいというより、嫌だというより、自らを責めることより――何より、恐怖した。


「何故だ……。どうして、俺が……坊ちゃんを……俺は……おれ、は……」


 今にも悲鳴を上げそうになり――がくがくと体が震えている。

 自ら喉を締めなければ悲鳴を上げそうになるほどだった。



 倫之助たちが「天女」を倒してから、一日がたった。

 半日目を覚まさなかった彼は、今日の昼に目を開けた。

 

 あの黒い霧が彼の背中に吸収される様を見たのは、今回で2回目だった。

 初めて見たのは、5年前。まだ倫之助が小学校6年生の頃だ。


 大型の陰鬼を、半蔵と二人で相手にしていた時。

 半蔵が傷つき、気を失い倫之助が一人になった直後、気づいた頃には黒い霧が周りに充満し、とぐろを巻くように倫之助の体に吸収されていった。

 その時の恐怖は、今も忘れられない。

 あの霧。

 あれが倫之助の体に今も「生きている」のだとしたら、いつか――彼が壊れてしまいそうな気がして、恐ろしいのだ。

 それが、昨日も起こった。

 いつもいつも、肝心な時に倫之助の傍にいられないことが、何より悔しく、恐ろしい。


 ふいに、扉を軽くたたく音が聞こえた。

 はっと顔をあげて、未だショックが抜けない頭で扉を開けた。


 突然の訪問者は――倫之助だった。


「ぼ――坊ちゃん……。こんな夜遅くにどうしたんですか」


 その声は、どこか惑っているような色をしている。

 倫之助は部屋着のまま、戸惑う半蔵を見上げた。


「どうした、というのはこっちの台詞だけどね……。あんな大声出されたら、誰でも起きるよ」


 寝ぐせで髪の毛があちこち跳ねている倫之助は、眠そうに欠伸をかみ殺している。


「も、申し訳ありません……。起こしてしまいまして」

「いいよ、別に。夢見でも悪かったんだろ?」

「……ええ、まあ……」


 まさか自分が倫之助を殺した夢を見たとは言えず、ただ口を閉じてしまう。

 その様子をぼうっと見据えていた倫之助が、ふいにため息をついた。




「大丈夫か」

「はい。坊ちゃん」


 倫之助の部屋に半蔵を招き、ほうじ茶を淹れた。湯呑は一つしかなかったため、半蔵が一人で飲んでいる。

 最初は恐縮して手を付けようとしなかったが、根負けしたのは珍しく半蔵自身だった。


「申し訳ありません。俺ばかり……」

「だからそれはいいって」


 半蔵がベッドに、倫之助が椅子に座っている。

 呆れたように彼はかぶりを振った。ほうじ茶は元から用意されていたもので、倫之助が買ってきたわけではない。だから、そんなに恐縮される覚えはない。


 そして、彼は何も聞かなかった。

 どうしてあんなに魘されていたのかも。

 それはおそらく、興味がないわけではない。感じ取ったのだろう。半蔵の、暗い夢の底を。

 夢の内容は知らないだろうけれど。


「半蔵」

「は、はい」


 ぎくりと背中をこわばらせる半蔵に、倫之助は眉を寄せた。


「別に、夢のことなんて聞かないよ。夢は忘れるに限るって、おまえが言ったんだろ?」


 半蔵は自身の手のひらを無意識に見下ろす。

 あの生々しさは、まだここに渦巻いている気がした。


「坊ちゃん……」

「うん?」

「あの、お体は本当に大丈夫なんですか? あの黒い霧……5年前にも」

「大丈夫だって言ってるだろ。それに5年前なんて、殆ど覚えていないし。俺だって、どうなっているのかよく分からないけど。まあ、こうして目覚めたんだからいいんじゃないのか」

「……でも俺は、心配なんです。あなたのお命が……」

「命が心配っていったって、風彼此使いは80パーセントの確率で布団の上で死ねない。おまえも分かっていると思ったんだけどな」


 ふう、と再びため息をつき、椅子から立ち上がる。

 それから――半蔵の隣に座った。

 彼の体に緊張が走ったように、びくりと揺れたのを感じる。


「それでも、俺は……」

「おまえは、甘くないはずだ。半蔵」

「それでも! 俺は、俺の命が枯れるまであなたを守りたいんです! いえ、俺なんかより、あなたの方がはるかに強いことは知っています。――それでも……あなたがせめて……せめて、幸福だと感じてくださるまでは……」


 何を言っているのか、半蔵自身も分からなかった。

 ただ胸が痛むのを感じる。

 自分の心を自身で踏みにじるような、自虐的な言葉だった。

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